『反米論を撃つ』を撃つ 最終回
 二月六日から始まった、この連載もついに今回で最後を迎える。すでに親米派に対する批判は出尽くした感がある。今回は『反米論を撃つ』の最後である第七章「日米同盟の意義を考える」を取り上げてみたい。これは、いままでのMr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriの主張のまとめだから、それに対する批判も、いままでとの重複が多い、概括的なものになると思う。Mr.Yoshihisa Komoriは、日本がアメリカと協調しなければならない理由を五つあげている。

古森「まず第一はアメリカのいまの行動が基本的に対テロリズム闘争だという点…(中略)…第二は日本とアメリカの共通の価値観です。
同盟関係は単に安全保障上の軍事のきずなではありません。基盤に共通の価値観としての民主主義、自由主義、市場経済というシステムへの信奉があります。」(230頁)

 日本は民主主義、自由主義、市場経済を“信奉”していたのか、どうも納得がいかない。この人は“信奉”の意味が分かって言っているのだろうか、それは思想ではなく、信仰の次元に近い話になってくる。

 勝手に個人で“信奉”してくれるのはいいが、それをあたかも国際戦略で日本が当然取るべき道のように言われたのでは、困惑してしまう。日本にはもっと信奉すべき価値があるはずだ。それを忘れて、自由主義、民主主義、市場経済を信奉したいのならば、アメリカに帰化すればいいじゃないか。

 同盟関係が比較的同じ価値観を持った者同士でなされるのは当然だが、同盟相手の価値観に自分達が同一だと論じるのは、全く違う話だ。むしろ同盟だけど利害や価値観の不一致を研究するのが、国際戦略を大上段に論じるMr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriの仕事ではないのか。

 テロとの闘争だから支持する、と簡単に言っているが、今まで見て来たように、お粗末なテロ認識しか持たないこの二人が何をか言わんやだ。アメリカの「対テロ戦争」を支持することにより、日本にも降り掛かるかもしれないリスク、日本がいずれ前線に出なければならない可能性、それらは遂に二人の口から語られることがなかったが、それでは「憲法九条を守り、外国から攻められて殺されて、それぐらいの覚悟で平和を守る!」と言っている護憲教徒の方が、馬鹿だが覚悟がある分、立派だ。

田久保「テロというのは、いつ、どこから、いかなる手段で、誰をターゲットに、何を目的に、どういう手段で襲いかかってくるのか分からない。新たな二十一世紀の敵なのです。」(232頁)

 Mr.Tadae Takuboは「テロ」と「通り魔」の区別がつかないのだろうか。少なくともテロならば、何を目的に行われるかは、かなり予想が立つし、誰が誰をターゲットに、どんな手段を用いて行われるかは予想ができる。

 しかも、何が大きな事件や出来事の発生の前後ならば、その出来事に特殊利害関係を有する集団が、間を置かずにリアクション起こすのは予見出来る。つまり、いつ、どこからも予想しようと思えば出来る。

 それに二十一世紀の敵、などと週刊誌の見出しのような事を口にしているが、テロは昔からあったもので、何も二十一世紀になるのを待ってから始められたものではない。

田久保「じゃあ、反米主義で自主防衛するにしても、どこと組むかという選択になる。中国と同盟を結ぶのか。韓国と同盟を結ぶつもりなのか。まさか北朝鮮と手を握ろうという者はいないでしょう。僕がアメリカとの同盟をきちんとやろうと言うのは、古森さんの見解のほかに、第一にいちばん強い国だからである。いちばん強い国とけんかすると、潰れちゃうぜ。一回潰れただろうと言いたい。」(234頁)

 学校の試験で、「二元論、事大主義、属国根性をテーマに短文を書きなさい」という問題があったら、このMr.Tadae Takuboの発言を書けば百点満点だろうなぁ、とふと思ってしまった。アメリカじゃなければ中国と組むという発想自体がアメリカ人らしい二元論だ。どうしてそこに日米同盟の枠組みの中で、一線を引くとか、対等な関係を指向するという発想が生まれないのか。

 いちばん強い国と組む、なんて言っているが、アメリカが何かの拍子に崩壊し、中共が地上最強の軍事国家になったらどうするの?案外、この二人ならばその時は「日本は中華人民共和国と同じ、一党独裁、人権抑圧と計画経済への信奉があります」と語ってそうだ。

 それに、この「一回潰れただろう」という発言は、やはり日本人の物には聞こえない。そこには父祖への敬意や、当時日本人のおかれた状況と、そこで下した決断への理解が欠落している。Mr.Tadae Takuboよ、あなたは太平洋のどちら側に立っているのか!

 また、Mr.Yoshihisa Komoriは、先に挙げた対米協調の理由の補足として、次のように言っている。

古森「第四には、アメリカは日本に何も強制していない、という点です。」(244頁)

 この発言を見たとき、思わず本の扉と奥付を見た。そして、そこに「この対談はフィクションです。」という注意書きが無いのを確認して呆れてしまった。Mr.Yoshihisa Komoriに問う。アメリカの対日年次改革要望書とは何か!それともそれは日本が主体的意思で受け入れているとでも言うのか。

 そして、この二人の半アメリカ人による対談の最後は、 Mr.Yoshihisa Komoriによって、締めくくられる。

古森「ブッシュ政権は日本が普通の国になって、対等に近いパートナーへの道を前進することを奨励するという意味では、初めての日本最重視の政権なのです。
 そんな好機に、反米のスローガンを叫んで、何だかんだと揚げ足を取ろうとするのは、どうみても日本の国益を利しませんね。反米論者には、もっと大局をみよ、と告げたいです。同時に、日本にとってのプラス、マイナスを考えよ、とね。」(256〜257頁)

 アメリカが何も強制しないと言った同じ口で、このような論理を吐く。まことに滑稽な人だ。アメリカが何も強制しないのなら、日本が普通の国になることを、ブッシュが奨励しようがしまいが関係ないではないか。

 それが関係性を持ってくるということは、日本が自主的判断で憲法を改正し、自主国防体制を確立しようとした時にアメリカが反対し、強制的に押し止めるということだ。それに日本が強くなる事には、アメリカの「ウィークジャパン派」が反対して来た、と第六章で散々論じていたではないか。自分達の言った事も覚えていられないのか。

 第五章と第六章で西部邁氏と小林よしのり氏を「反日」「左翼」と痛罵していたが、両氏の先に紹介した『反米という作法』では、あとがきの日付が元号で知るされていた。それに対してMr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriのあとがきは西暦で綴られていた。

 もう結論から言ってしまおう、近視眼的でありながら大局を装い、アメリカに気に入られるという国益を追い、日本の大義を忘れる、これらは断じて日本の保守に非ず!
 保守に偽装したポチの存在は、日本の世論を誤らせ、日本の歴史に消しがたい汚点を刻むことになる。

 大西郷は言われた。
「正道を踏み、国を以て斃るるの精神無くんば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順するときは、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受くるに至らん。」
この言葉は対中共・対朝鮮外交を指して頻繁に使われてきたが、我々は今やこの大西郷の言葉を踏まえ、ポチとアメリカを睨みつけ、我々の祖国の未来を見つめていかなければならない。


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by shikisima594 | 2006-03-04 22:22 | 読書録
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