文化防衛論から文化侵攻論へ!
対談参加者
タカユキ@皇国史観研究会代表
ムネカミ@皇国史観研究会々員


ムネカミ ぼくはその国・民族の倫理とか価値観というものは重要だと思っているんです。それらはその国の過去を保障していて、ナショナリズムはそれに守られていると思うんです。けれども、民族の現在を保障しているのは、この「風文化」だと思っているんです。

タカユキ そこは敢えて“現在”なのかい?

ムネカミ なぜかというと、例えば、人間の感覚は視覚に85%も頼っているそうです。ということは、日本の風景が100%グローバル化してしまったら、単純に考えてそこに住む地域の人は、この国の意識のうち85%が違うものになっているんじゃあないでしょうか?

タカユキ はぁ、なるほど面白い視点だね。視覚的情報に多分に依拠しているとは思っていたけど、具体的数字を出されると感嘆してしまうよ。

ムネカミ さらに、特別なものとして扱われる「和風」なイメージさえほかの美意識に駆逐されてしまった場合、そこで暮らす人々は、少なくとも現在においては、他の国との違いをイメージすることが難しくなる。

タカユキ ゲームや漫画などが長い間、『指輪物語』に見られるような、北欧神話などを基調とした世界観で構成してきた。特にRPGなんかにはこの傾向が顕著だった。
それらから浮いて目立つ為に、和風な世界観を強調した作品がいくつか制作され、日本人はそれを見て、日本だと認識出来たけれども、そうした日本人の原風景に根ざした物すら駆逐されたなら、遠くない未来に、そうした自己認識もできなくなってしまうという可能性がある。

ムネカミ だからこそ伝統や民族文化は、より具体的に、明確に認識されやすい必要があるんです。風文化が日常に近ければ近いほど、伝統文化は認識されやすい。
というよりも、風文化は可視的な民族文化そのものであり、いわば、イメージ的な民族文化と実在としての民族文化とを橋渡しする、「可視的な伝統」でもあると考えるのです。

タカユキ 風文化を顕在化させることが、文化一極型グローバリズムに対抗しうる手段というわけかな?

ムネカミ そうです。日本を守ろうとするなら、日常の全てを和風で覆う必要があるのです。そしておっしゃるとおり、グローバリズムへの対抗ということにならば、攻めに出なければいけない。
それには、他の民族全てが独自の風文化を展開していかなければならないんです。僕はこうした意味で、「国際国粋主義者」とでもいうべき思想を持つにいたったんです。

タカユキ 国粋主義者による、反グローバリズムの国際連帯か。実におもしろい構想だね。しかし、そこには「防衛」ではなく「攻め」の姿勢も込められているわけか。奇しくも三十九年前に三島由紀夫氏は『文化防衛論』を著されたけど、いまや時代は、「守り」ではなく「攻め」に出るべきだと?

ムネカミ ええ。我々は攻めに出なければなりません。指摘するまでも無いことですが、僕らが対抗すべきグローバリズムが「国際化」「普遍化」などと訳されてきたのはうそで、その正体はアメリカニズム、パクス・アメリカーナでしかなかったからです。
それらに僕らは侵食されてきた。世界中の文化が、アメリカ化されていくんです。それらに対抗するには、とても一カ国ではあがないきれないというのが僕の考えです。
それに対抗できるのは、少なくとも風文化や民族固有の道徳の防衛論、すなわちパクスを否定する民族間の新秩序を約束する、各民族の連帯協調でなくてはならないのです。

タカユキ それこそが「八紘為宇」なんだよ。僕が言うまでもないけど、アメリカ化という現象が「国際化」「普遍化」という偽りの言葉の下で押し進められている。
先に連載していた「『反米論を撃つ』を撃つ」でも指摘があったけど、保守を自称する者においてすら、アメリカの押し進める自由民主主義と市場経済が、世界の普遍的原則であると豪語している。言っておくけど、彼らは一応、日本人らしいよ(笑
そこまで、アメリカによる世界アメリ化は進んでいるんだ。だからそれに対抗する手段として、君の提起は非常に的を射ていると思う。

ムネカミ これはあくまで美術・芸術論としての国防論ですが、アメリカは経済や政治思想でも攻めていますから、それについてもきちんと話さなければなりませんね。
さて、いよいよ詰めに入りたいと思います。具体的に僕が目指すのは、以下に分けられます。「技術 発達促進」「国風 独自一元」「道徳 独自一元」「芸術 多元共存」ということです。

タカユキ さて、解説を願います。

ムネカミ ぼくは今まで、風文化(国風)と道徳(宗教観・価値観などを含める)が独自であることを強調してまいりました。それはよろしいですね?
これはその民族において、それらが独自であり、かつ内側では一元的であるべきであるということとともに、それらは変わってはならないものでもあると考えます。

タカユキ つまり、日本の宗教を例に取るならば、不変唯一の神道のみが存するべきであると。

ムネカミ そして国風ということにおいても、わが国には唯一和風があるべきこと、ということです。さらにここでは、説明にあぶれたものをあげておきたいのです。その一つが、技術です。

タカユキ 和風技術?

ムネカミ そういうことではないんです。わたしは、技術は普遍的なものと考えます。ですから、技術には和風なものも中華風なものもないんです。
国粋主義、というとよく聞かれる反論があります。「日本にからあったものなどなかった」という趣のものです。

タカユキ それはさすがに違うだろう。何もないのなら、外部から何かを取り入れることも出来ない。

ムネカミ ええ、これらは考古学などで実証されてきた歴史をもとにした考えですが、ぼくは考古学にはかなり問題があると思っています。話がそれてしまうため、詳しくは言いません。
ですが、たしかに今使っているものの中に、確かに重要な渡来品、つまり外国生まれのものがあるわけです。文字なんかはいい例でしょう。
漢字は外国から渡ってきたものです。ですから、もとからあったものを求めるなら、文字自体使わないべきとなってしまうということです。

タカユキ そうか、以心伝心だ!僕がこれから心で念じた事を書きたまえ!

ムネカミ 残念ながら、ぼくには文字の有用性は否めないようです。(笑) しかし、そういうことになってしまうので、ことの整理が必要だと考えたのです。

タカユキ うーむ、国粋主義のジレンマやなぁ(笑

ムネカミ そこでこの解決策が生まれました。僕が提案する解決策とは、国風・道徳と技術の完全な分離です。

タカユキ 技術に国粋的観点を求めない、と。

ムネカミ 御意。つまり、われわれは国風・道徳に関してはもとからあったものに重きをおきますが、技術は普遍的なもので、取り入れれば取り入れるほど世の中が潤うのだから、保守的にはならず、どんどん取り入れるべきだろうと。

タカユキ そうすれば、整合性が付き、すっきりするね。

ムネカミ 例えばこの観点から漢字についてみれば、技術として、文字の取り入れはよかった。しかし道徳・国風からは、それは「漢」の名のとおり外国のものだった。だから、受け入れるべきではなかったと捉えます。しかし、日本人はそこから国風・独自性に適うように、かなを生み出した。これは快挙としてほめられるのです。

タカユキ 平泉澄先生も、仮名を発明した事を国史の光輝と説いておられるからね。

ムネカミ これは、今からでもそういう風にすればいいと思います。まあそういうわけで、僕は潜在的に漢字廃止論者なんですが(笑) これはおいといて、つぎに「芸術」としたところを説明します。
芸術にどうしても必要なのは、多様性、共存性だとよく言われるようです。何かから弾圧されるようなことがあってはならないと。民主主義とか市民主義なんかが、こうした理由で全体主義を批判することがあるみたいですね。

タカユキ 芸術には、ある種、技術と共通する部分もあると思うのだが。

ムネカミ ええ。四つ挙げた項目は、いずれも単体では存在しにくいものです。ですから、これらはそれぞれ組み合わせが効くものだと思っていただきたいのです。

タカユキ なるほどね。だとするならば、完全保護も完全排斥もできなくなるのではないかな。難しいところだね。

ムネカミ その問題提起が、次につながるのです。「芸術の多様性」というのは確かに重要です。要するに、それは芸術が生まれる地盤の多様性のことですから、結局は社会の融通のことになるんです。
社会にはいろいろな側面があって、都市と田舎、信仰深い地域と浅い地域、人にしても、富裕層と貧乏人とか、オタクとB系とか、いろいろあるわけです。

タカユキ いわゆるサブカルチャーだね。そうした者が国風の枠内での多様性を生み出すわけだ。なるほど、面白い話だなぁ。まぁ今日はこんなところで、どうも有り難う御座居ました。


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by shikisima594 | 2006-03-10 12:37 | 対談・座談会
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