映画「スパイゾルゲ」を見て
f0018981_616032.jpgもうかれこれ三年前に制作された映画「スパイゾルゲ」を見た。
制作された当初は、その内容に、豪華キャストと莫大な制作費も相まって、大きな話題になっていたが、公開されたあとは、批判も賛辞もめっきり聞かなかった。

僕自身、大学の論文で当時の特高警察について書いた事もあったので、興味を持って見てみた。いわゆるゾルゲ事件とは、共産主義者のドイツ人リヒャルト・ゾルゲが、ソビエトから日本でのスパイ活動を命じられ、日本で元朝日新聞記者の尾崎秀実らとスパイ団を組織し、日本とドイツの最高機密情報を盗み出していた事件だ。

この、尾崎秀実に関しては、以前に紹介した『大東亜戦争とスターリンの謀略』で、その謀略に長けた明晰な頭脳と、あまりにも革命的な共産主義者として、共産主義社会実現のために妻子も同胞も捨て去る非情極まりない姿を知っていた。

この映画の監督は、「天孫降臨にはじまる日本の歴史を憎む」と公言している篠田正浩氏が務めた。篠田監督の思想性は置いといても、老監督をして「この映画を撮れたら、死んでもいい」と言い切る作品だ。だから少しばかり期待した。

しかし、というべきか、だから、というべきか、結論から言って期待は裏切られた。何とも冗長な映画だった。全編三時間ある。意識が朦朧としてくる。最初は昭和十六年のゾルゲと尾崎が逮捕されるところから始まり、昭和六年、ゾルゲと尾崎の上海での出会いにさかのぼり、昭和の様々な事件と、それに関わる大勢の人間にスポットを当てて映画は進んで行く。欲張り過ぎで、二兎追う者は一兎も得ずの観が強い。

それだけに、話の焦点がぼやけ、主人公が尾崎なのかゾルゲなのかも分からなくなってくる。尾崎の人物像の印象も、『大東亜戦争とスターリンの謀略』で受けた主体的で積極的な印象ではなく、ゾルゲに引こずられていった受動的な人間に見えてしまう。

また、ゾルゲの人物像はと言うと、ソビエトが制作したかのように美化されている。このゾルゲと尾崎の行動が、当時の日本をいかに害し、ソビエトをどれほど利したか、制作者がそうした歴史的事実を理解できないわけがあるまい。ソビエトの一方的日ソ中立条約破棄、シベリア抑留で、どれだけの日本人が殺されたことか。

映画の中でゾルゲは死刑に際して「国際共産主義万歳!」と言い残す。実に彼らが命をかけて尽くそうとしたのは共産主義の祖国ソビエトであった。しかし次の瞬間には、絞首刑にされるゾルゲと取り壊されるレーニン像、崩されるベルリンの壁が映る。これでは、見る者は、三時間かけて見て来た主人公達のやったことが無意味であるとの結論に至らざるを得ない。(事実そうなのだが)

そして最後にジョンレノンの「イマジン」が流され、「この世に国家なんか存在しない」というメッセージで終了する。国際共産主義が実現すれば、「イマジン」のような世界ができるとでも?
篠田正浩監督は一体何がやりたかったのだろうか?

数十億とも言われる巨額の制作費と、映画界を代表する俳優達をかき集めて、左翼礼賛にも平和の主張にも、歴史映画にもならない物をつくってしまった。これが一人の監督が「死んでもいい」と言って作った映画には、到底思えなかった。


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by shikisima594 | 2006-03-11 21:42 | 映画
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