『皇統断絶』
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 秋篠宮妃殿下の御慶事により、皇位継承の問題は一時期に比べて議論されなくなってきた。しかし、現状において皇位継承の問題が根本的に解決されたわけではない。引き続き慎重で活発な議論が必要であるように思える。

 この『皇統断絶』は、以前に紹介した『日本核武装の選択』の著者である、筑波大学教授中川八洋氏が書いた物で、男系継承維持、女系天皇反対、旧皇族の皇籍復帰、皇族への養子制度制定阻止を主な主張とする。

 大体、氏の説く所には勉強になるところも、同意するところもあるが、全体的に突っ込みどころ満載であり、はっきり言って「トンでも本」の仲間であるように思えてならない。笑える箇所、トンでもない箇所に傍線を引いていたら本が真っ赤っかになってしまった。

 まず、國學院大学講師の高森明勅氏が、千三百年前の養老令に「皇兄弟皇子。皆為親王。女帝子亦同。…」と記されているのを、「天皇の兄弟・皇子はみな『親王』とせよ。女系の子も、これと同じ扱いをせよ。」と読み、過去に女系天皇が制度的に認められていた時期もある、と説くのを批判している。

 中川氏はこれを「いかがわしい読み方」「高森流の曲読」「こじつけ」と散々罵倒し、正しくは「皇女も帝の子だから、皇子と同じに親王(内親王)とせよ」と読むのだと言う。

 しかし、不自然な読みはどちらだろうか。内親王という言葉を勝手に差し挟み、女帝を皇女と置き換えている中川氏ではないか、試しに高森氏と中川氏の解釈を読み比べていただきたい。高森氏の方がすっきりと読める。確かに高森氏の言う通り、女系天皇が制度的に認められていたことがあったのは事実だろう。しかし、それが空文化した歴史的事実も重視せねばなるまい。その点は高森氏も「女系天皇は確かに存在しなかった。が、制度上は認められていた」と述べている。

 ところが中川氏は自分の誤りは棚に上げ、高森氏のこれだけの言説をもって、高森氏を「マルキスト」「学者になれるだけの基礎教養が著しく不足」「外国からやってきた野犬」「共産革命家と同じ」「土井たか子の息子」「在日の外国人」などと、聖教新聞顔負けの罵倒を繰り広げる。

 そして極めつけの台詞は「高森は皇位継承問題の専門家ではない。ズブの素人である。」と言い切っていることだ。高森氏は皇室に関する著作が何作もあるが、中川氏は今回の『皇統断絶』と、そのあとに時局便乗的に出した二作しかない。奥付の著者略歴にも「専門は、エドマンド・バークを主に英米系保守主義の政治哲学・憲法思想。フェミニズム、フランクフルト学派、ポスト・モダンなど、現代思想にも取り組む。」とあるように、「ズブの素人」は中川氏自身である。

 そのことは、本書執筆の動機と経緯として、あとがきにもあるように明らかだ。

「(現在の皇太子殿下が御即位される未来の日本を心配して)その頃の日本で、井上毅の遺訓は大切にされているだろうか、などとの心配が次から次に頭をよぎりました。それからしばらくして私は、国際政治学を休むことにして、英米系の政治哲学と憲法思想の研究に取り組むようになりました。」(269頁)

 これを読んだ時は冗談かと思ってしまった。どうして日本の国体を研究するにあたって、記紀や律令、昔から繰り広げられた国体論を一切かえりみないで、英米系の政治哲学を研究するのだろうか。自らが皇位継承問題に対して「ズブの素人」で「在日の外国人」ではないのか。

 中川氏の著作には、相手を「共産主義者」「外国人」「無知無学」と罵倒するものが多いが、この『皇統断絶』の中で、中川氏は日本共産党とコミンテルンが創作した「天皇制」という言葉を使っているし、元号は書かれず、西暦ばかりが使われている。それだけではなく「昭和大帝」という言葉を使っている。これは君主が偉いか偉くないか品定めする西洋の習慣である。この言葉は裏を返せば、“大”ではない、大した事のない天皇がおられた、という発想につながる。そんな事も知らない中川氏自身が「無知無学」の上に「不敬」ではないか。

 以下に本書の凄い部分を一部だけ紹介する。

「(本当は共産主義者の)近衛文麿は、GHQから東京裁判への出頭を命ぜられ、自分の真実が曝け出されることを知ったとき、“大東亜戦争の真実”を歴史の闇に葬るために、青酸カリを飲んだ(一九四五年十二月)。ソ連から『自殺せよ!』の命令が出た可能性も高い。」(57頁)

 大東亜戦争の真実とは、ソ連の工作員で共産主義者の近衛文磨がソ連のためにはじめた戦争だと言うのだ。しかも近衛文麿の自殺はソ連からの指令だと言う。世に言う「陰謀論」とは、ある程度、根も葉もあるものだが、中川氏のこの主張には根も葉もない。なぜならソ連が満州や千島に侵攻した事も、アメリカが対日圧力をかけてきたことも、この観点では説明出来ない。

「中曽根(康弘)が講演において、合祀されているA級戦犯を『分祀しろ!』という神道否定の主張が、『中曽根=唯物論者』説を再び喚起した。」(60頁)

 中曽根の靖国神社に対する考えが褒められた物ではないのは分かる。分祀というのは、ある神社に祀られている御祭神を他の神社にも祀るという意味で、決して取り除くという意味ではない。神道ではそんなことは出来ないのだ。しかし、中曽根が「分祀」といった以上、中曽根は神の存在を信じていることになる。もし仮に唯物論者、無神論者ならば、分祀や合祀の議論を論ずることは無い。なぜなら神が存在しない前提であるからだ。そんな基礎的な事も中川八洋氏は理解出来ていない。

「ところで、朝鮮人はすべて、日本国籍をとっても、韓国系であっても、マルクス・レーニン主義者と変わるところ無く、天皇への憎悪感情の炎を燃やし続ける。」(68頁)

 これが学者かと思うほどの暴論だ。全ての朝鮮人がそうだとするなら、生まれたばかりの赤ん坊も、禁治産者もそうなることになる。それ以前に、朝鮮人全てがそうならば、韓国はこの世に存在していない。なぜなら全朝鮮人の主体的意思の下、赤化統一朝鮮が誕生しているからだ。

 また、朝鮮人の名誉のために言っておくが、韓国の韓日文化研究所の朴鉄柱氏は「…そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後までとり組んだ。それまでの日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。“事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。」と語っている。大東亜戦争は共産主義の陰謀で開始されたとする中川氏より、むしろこの人の方が大東亜戦争に対する認識が透徹している。

「祖先の叡智を崇拝する保守主義は、バークを継承する私や英国首相W・チャーチルあるいはM・サッチャーそしてR・レーガンを見てもわかるように、剣をもって戦うことを辞さない戦闘的なイデオロギーである。いかなる全体主義・アナーキズムの思想とも、生命を賭けて闘う“哲学”である。」(259〜260頁)

 そういえば、創価学会が、“名誉会長”を担ぎ上げるために、「ガンジー、キング、イケダ」とやっていたが、それを思い出してしまった。生命を賭けて闘うのなら、せこせこ文章を書いていないで、国体破壊を画策する共産主義者に実力闘争を開始されたらいいだろう。

 中川氏の文章はとにかく、自分の意に沿わない人間は「共産主義者」というレッテルを貼り、口汚く罵るばかりで、その思想の内実についての言及は少ない。よくもこんな文章が活字として出版されたものだ。しかし、この独特の毒舌と破綻気味の言説は相変わらず面白い。

 しかし、中川八洋氏が男系護持をこのような言説と並べて主張していると、男系護持論がトンでもない主張のように世間から偏見を持たれる恐れがあるから、御国のために沈黙していただきたいものだ。

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by shikisima594 | 2006-05-06 00:13 | 読書録
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