『天皇私観』
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 草地貞吾氏といふ方が居られた。氏は明治三十七年に大分県に出生され、大東亜戦争では参謀として支那・満州で活躍され、終戦後にソビエトによつて十一年間に渡り抑留された。戦友や部下達が次々とソビエトの洗脳により共産主義化される中で、氏は将兵達に日本書紀・古事記を懇々と説かれ、あげくにソビエトの将校に対し「文句があるなら、スターリンを俺の前に連れて来い、何なりと話してやる」と一喝されたというのだから凄い。

 帰国後は多くの役職をされながら、愛国運動を歩まれた。昭和四十二年から四十九年まで、国士舘高校と中学校の校長も務められていた。平成三年、八十八歳で全ての役職から身を引かれたが、愛国の至誠揺るぐ事なく、石川県金沢市の大東亜聖戦大碑の建立にも尽力され、この碑を建立された後の平成十三年に帰幽された。享年九十八歳。鮮烈怒濤の生涯である。

 この『天皇私観』は、さうした草地貞吾氏の天皇観を書き綴られたもので、平成八年に刊行されたものだ。その時で氏は九十三歳だが、本書の行間から氏の博識で透徹した天皇観が伝はつてくる。とても九十三歳の人間の業ではない。文章は簡潔にして明瞭。比喩も的を射て居り解り易い。氏の明晰な頭脳と尊皇精神が輝いてゐるかのやうだ。既存の紋切型尊皇論とは一味も二味も違ふ。

 少し内容を紹介しやう。
天皇に責任はない
「われわれ個人の生命はその個人にとっては絶対なるものである。従って個人の如何なる行為に対しても無限の責任は負担するが、これに有形無形の責任を追及することはできまい。刃物で誤って指を切ったと仮定すれば、直ちにわが全心身はー眼も手も足も神経もーその救援におもむくのであって、この際その個人生命は、相すまないなどというような責任をとって自殺するようなことはしないだろう。
 天皇は日本国家生命の全体的顕現なのだから、どんな場合にも天皇が常に天皇としておわしますことが、最善最良の責任遂行行為であって、終戦後一時話題に上った退位などということは、天皇の無限責任性を放棄する以外の何物でもない。」

天皇は自己同一である
「人間としての天皇は、それぞれ個性を持たれる。その固有の年令、能力、識見、健康度などに差等のあるのは当然である。だが、天皇というものは、その個性において見るべきものではなく、その全体性において捉うべきものだ。天照大神の血統と道統を継受する允分允武、至真至善なるものとして認識せらるべきものである。
 天皇に対する差別、個性観はやがて革命思想に通ずる。明治天皇は殊更に明治大帝と称揚されることを喜ばれない。孝明天皇も明治天皇も大正天皇も、みな同一である。それは万年杉の一貫生命にほかならない。」

天皇に公私の別はない
「日本一億国民には、それぞれ公事もあれば私事もある。実はそれら一切の公事、私事の最良の手本原点となられているのが、天皇であられる。日本中を探しても天皇の日常ほど透明で昭々たるものはない。それはその筈で、天皇は昔も今も日本の大陽様なのだから。果して太陽に公私の別などあろうや。」

 この他にも氏の見識に驚かされ、感動を受ける箇所が多々ある。草地貞吾氏は多くの後進達から“本物の日本人”と賞賛されて来た方だが、その名通りの精神である。この本は日本民族覚醒の会といふ所から僅かな部数で出版され頒布されたもので、書店を探しても古本屋に行つても見つからないだらう。その道の人に伝手があれば何とか手に入るかもしれない。この本が大勢の人に読まれる機会が再び訪れん事を願つて止まない。

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by shikisima594 | 2006-05-17 01:04 | 読書録
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