『皇国史観の対決』
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 以前にこのブログの二月十六日の記事で、女系天皇論に関連して批判させて頂いた皇學館大学名誉教授の田中卓氏の本だ。この本は田中氏が五十代後半から六十代の初めにかけて書かれた本で、皇学館大学出版部から発行されている。

 読んですぐに「あっ、田中先生の本だ」と思った。田中氏は文体が独特なのだ。特に「〜よいであらう」「〜するがよい」といった具合にだ。二月十六日に批判した田中氏の『諸君!』論文でも締めくくりは「この後醍醐天皇のお言葉を心して拝聴するがよい」となっている。

 さて、その中身であるが、かなり面白い。且つ読み易い。田中氏もまだ若かった頃だから、闘志と熱血が溢れているし、全体的に毒舌が目立つ。だから面白いし、すぐ読めてしまった。表題の「皇国史観の対決」というのは、昭和五十八年に岩波書店から永原慶二氏の著書として出された『皇国史観』という本への反論論文が冒頭に二編おさめられている。

 岩波書店とそこに巣食う「進歩的文化人」達が示した“皇国史観”と田中卓氏をはじめとする平泉学派の“皇国史観”を示し、皇国史観を軍国主義の偏狭な歴史観とする考えに徹底反論する。だから『皇国史観の対決』なのだ。

 戦前の文部省編纂『国史概説』と、田中卓氏の師匠であり、皇国史観の巨星と言われた平泉澄博士との関係を明らかにし、皇国護持史観と皇国讃美史観との違いを明確にしている。それに戦後の日本を「YP体制」と新右翼民族派ばりに痛烈批判しているとこからも、田中氏の当時の豪気健筆ぶりが察せられる。

 他にも「『建国記念の日』と二月十一日」「教育勅語を仰ぐ」「国旗日の丸と国歌君が代」「元号法の制定」「教科書問題解決のために」といった論文がおさめられている。だから、「田中卓短編集」と言えば、本の構成はご理解いただけるだろう。しかし、田中氏は戦っている。皇室を否定する者、建国記念日に反対する学者、国旗国歌に反対する日教組教師などに対峙して、透徹した皇国史観(皇国護持史観)の理論を引っさげて“退治”していく。

 だから“皇国史観の対決”だ。少し内容を紹介しよう。

「日の丸を国旗といふ証拠がない、などといふのは、歴史と伝統を知らない妄想である。このやうな妄想者は、おそらく自分の父親にたいしても、父親といふ科学的証拠がない、と言つて騒ぐのではなからうか。」(125頁)

「日の丸を国旗ではない、などと放言するものは、すなはち日本に国旗なしといふ見解に立つのであるから、この船舶法の規定を承認し得ないはずである。
 偏向教師諸君、諸君のなすべきことは、まづ船舶法否認運動ではあるまいか。さもなくば、諸君らの教へ子が船長になると、例外なく『五万円以下の罰金』を取られることになりますぞ。」(128頁)

「(元号)反対論者は、西暦一辺倒を引つこめて、紀年法を自由にせよ、と論旨を改めた。『自由』の語は口あたりがよいので、ふとそれに同調するものもあらうが、国家が独立してゐる以上、公的紀年法は必ず一定させる必要があり、もし国民が自由に、勝手気ままな紀年法を用ゐると、国家秩序は崩壊するであらう。
 たとへば、役所への出生届や婚姻届、学校や会社への履歴書の中で、今年(昭和五十四年)を表記するのに、八人の人それぞれが、A、二九二八年 B、二六三九年 C、一九七九年  D、一三九九年 E、一一一年 F、五四年 J(原文ママ)、三五年 H、五七年 と書いてきたら、どうするか。Aは仏滅暦、Bは皇紀、Cは西暦、Dは回暦、Eは明治維新、Fは昭和元年、Jは昭和二十年(敗戦の年)を基点とする。Hは私の生誕年(大正十二年)を元年とした計算だ。紀年法が自由ならば、これらを拒否する根拠はない。」(159〜160頁)

 時に毒舌であったり、アルファベットの順序を間違えたりする茶目っ気(?)を覗かせながらも、田中氏の祖国日本への至誠と情熱が全編に皇国史観理論と共に流れている。読み進めていて、いまの日本が比較的まともな状態であるのは、田中氏のような人の働きがあったからだと感じた。


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by shikisima594 | 2006-05-28 00:36 | 読書録
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