6月3日、皇国史観研究会定例勉強会
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 六月三日昼過ぎより国士舘大学世田谷学舎にて、皇国史観研究会定例勉強会が開かれました。

 今回は「皇国史観研究」と題して、弊会の会名にもなっている「皇国史観」についての意見が会員より発表されました。一般に皇国史観の主唱者と言われる平泉澄先生の歴史観と特徴を汲み取り、皇国史観とはどの様なものであるのか、どの様にあるべきなのか等、活発な意見交換がなされました。以下に要旨を掲げます。


 「皇国史観」とは「日本中心史観」或いは「天皇史観」など様々に言い換えられている様だが、概ね、肯定否定の差は有れど「日本の歴史は天皇を中心として発展してきたと言う見方に立つ歴史観」の事を指す様である。

 皇国史観を調べる上で必ず名前が挙がるのが平泉澄先生である。実態を捉えることが困難に見える皇国史観を研究せんとする場合、私達は平泉史学を研究すれば良いのであろうか。

 「明治以来の学風は、往々にして実を詮索して能事了れりとした。所謂科学的研究これである。その研究法は分析である。分析は解体である。解体は死である。」(平泉澄『我が歴史観 歴史に於ける真と実』至文堂昭和十二年 三百七十九項)より。
 この文章は平泉澄先生の実証主義批判=非科学的歴史観の提唱である、とされて頻りに非難の為に引用される文章である。ところが上記文章の続きを読んでみると

 「まことに歴史は一種異様の学問である。科学的冷静の態度、周到なる研究の必要なるはいふまでもない。しかしそれのみにては、歴史は只分解せられ死滅する。歴史を生かすものは、その歴史を継承し、その歴史の信に生くる人の奇しき霊魂の力である。この霊魂の力によって真は実となる。歴史家の求むる所はかくの如き真でなければならない。」(同上三百七十九~三百八十項)

 平泉澄先生は実証的・科学的態度を寧ろ歴史家の最低条件に位置付けている。大事なのは判明した事実より遺訓を汲み取り実践する事こそが大切であると訴えておられていたのである。


 では「霊魂の力によって真は実となる」とはどういう意味なのか。

 大楠公の墓に立ち寄って涙を流された吉田松陰先生の例によって解釈が試された。時を隔てた楠正成公と吉田松陰先生とは尊皇精神という同じ心を持っている。楠正成公の御霊と吉田松陰先生の内に秘めたる魂が共鳴する事によって、吉田松陰先生の中に楠正成公が生まれる。楠正成公が残した有名な言葉「七生滅賊」とは、七回だけ生まれ変わるだけではない。楠正成公と同じ思いの人間が居る限り永遠に何千人にもなって生まれ変わり続ける事を吉田松陰先生は気付かれるのである。これが「霊魂の力」である。この「霊魂の力」の力によって、歴史の中に於ける「真(実)」は「実(現)」するのである。そしてこれが歴史を作っていくのである。

 「ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待」(平泉澄『物語日本史』講談社学術文庫平成十六年 五~六項)された平泉澄先生の姿勢に改めて、現代の年数羅列による歴史教育の欠陥が衝かれたのである。
 

 また一概に皇国史観といってもそれは、「霊魂の力によって真は実となる」と喝破された平泉史学による「皇国護持史観」と、戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきものがある事を確認した。(田中卓『平泉史学と皇国史観』青々企画 平成十二年を参照)


 最後に平泉史学は皇国史観か?という事について話し合われた。
 平泉澄先生は実証主義に留まる歴史・年表羅列の歴史を批判し、どんなに姿形を変える日本史の中に於いてそれでも変わることの無い悠久の精神を歴史から見出そうとした。その「それでも変わることの無い悠久の精神」を、天皇を中心に戴く日本の伝統文化や尊皇の志士たちの働きに求めた。天皇や伝統文化を我が国の発展の原動力とみなし、欠くべからざる存在として歴史叙述の中心に置かれた。
 その意味で平泉史学とは立派な皇国史観と言えるのではないだろうか。

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by shikisima594 | 2006-06-04 00:44 | 活動報告
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