『大東亜戦争大観論』
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 この本は以前に紹介した『天皇私観』の著者である草地貞吾氏が大東亜戦争に関して自分の考えを記されたものだ。

 平成七年に出版された本書は長い間、世に広く知られたものではなかった。それが広く世にその題名を知られることになるのは、平成十八年に千葉大学名誉教授の清水馨八郎氏が白人のアジア、アフリカ侵略の歴史とそれらと日本が必然的に戦うに至った経緯を書いた『侵略の世界史』(祥伝社黄金文庫)がベストセラーになったことによるものだろう。

 『侵略の世界史』では、巻末に参考文献一覧として草地貞吾『大東亜戦争大観論』日本民族覚醒の会、として紹介され、そこで本書の存在を知った人が多数だろう。しかし、惜しむらくは、その後、この『大東亜戦争大観論』の内容に触れる機会に接することが出来た人は圧倒的に少ないはずだ。

 僕は有り難い事に、本書を知人のご好意により貸してもらい、その内容に目を通す事が出来た。『天皇私観』と同じく草地節が炸裂している。詩のような独特の表現と鋭い切り口とコペルニクス的展開が息もつかせず読ませる。この人ホントに執筆時92歳なのか?

「宇宙飛行士向井千秋さんは、『太平洋に差し昇る朝日に照らされる日本列島はすばらしかった』と言った。実を言えば、日本列島中に汚い所は少なくない。他人に見せたくない数々のものも渦巻いている。しかし、向井さんは、そのようなものは見ない。もとより無重力の遥かなる宇宙空間からだから、細部が見えるわけもない。向井さんは肉眼でなく心眼を働かせ、深い愛情と誇りをもって、自分が生まれ育った故郷日本の有り難くも美しい日の出を眺めたのだ。」(12頁)

 そう。宇宙も地球も富士山も、そうなのだ。離れて全体を見た時は美しい。しかし、近づいてみればゴツゴツした無骨な岩肌やゴミが散らばっている。それは事実ではあるが、そえ全体の美しさを否定するには足らないのだ。

「大観すれば大観するほどに、大東亜戦争の人文歴史上における偉大雄渾さが、いや増しに発見されるから妙である。更に反語で言えば、これが分からぬ人間は全くの歴史音痴である。」(13頁)

 歴史も同じなのだ。それは戦争ともなれば虐殺などの不法行為をなした者もいただろう。しかし、全体から何が見えるのか、そうした視点を大東亜戦争に対して今一度向けてみる必要があろう。

 「白色帝国主義の直接的潰滅と赤色帝国主義の間接的崩壊は、人類普遍の願望たる自由と独立をもたらし、世界万国の平等・互恵を招来した。今や大東亜戦争の余沢は、太陽がホクホク照らして旅人の上衣を脱がせるようにも、大東亜はおろか、世界の隅々にまで波及せんとしつつある。改めて大東亜戦争の栄光と偉大さを思うべしだ。」(27頁)

 また、草地貞吾氏は大東亜戦争中に“第三次世界大戦”が発生していたとの説を主張されている。それはドイツが降伏した昭和二十年五月八日から同年八月十五日までの百日未満の期間のことだ。この間に、日本は実に世界を戦った。そして世界最初の原爆を二発投下されることになる。

 第一次世界大戦は国際連盟を生み、第二次世界大戦は国際連合を生んだ。そして第三次世界大戦は世界中の植民地を独立国へと導き、「結果として世界国家或いは世界連邦の出現する可能性はある。」(30頁)としている。

 後半は主に大東亜戦争以前の朝鮮や台湾など、日本に合併されて統治下にはいった所が植民地ではない事と、大東亜戦争で日本が東南アジアに攻め込んだのは戦争における作戦行動であり侵略ではない事を明晰で簡潔な言葉で次々に語っている。

 平成十二年八月四日、石川県金沢市の石川県護国神社境内に高さ12メートルの「大東亜聖戦大碑」が建立された。その建立の委員長を務められたのが草地貞吾氏だった。その碑の前で大東亜聖戦祭が催行された。この模様は小林よしのり氏の『新ゴーマニズム宣言』で読んだ人も多いだろう。

 その式典の最後に草地貞吾氏は高らかに聖寿万歳を唱えられたと聞く。そして翌年平成十三年十一月十五日に97歳でご逝去される。その生き様を聞いた後で、この本を読了したあと、胸に迫るものがあり、不覚にも泣いてしまった。

 大東亜聖戦大碑の碑文には草地貞吾氏の和歌が刻まれている。その和歌をこのブログの読者の方々にも深く味わっていただきたい。

大東亜 おほみいくさは 萬世の
   歴史を照らす かがみなりけり


文責:タカユキ

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by shikisima594 | 2006-06-17 23:09 | 読書録
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