6月23日皇国史観研究会定例勉強会
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 6月23日国士舘大学世田谷学舎にて、皇国史観研究会の定例勉強会が開かれました。
 弊会は平泉澄『物語日本史』(講談社学術文庫平成十二年)の「上」・「中」を取り上げて参りました。23日はいよいよ「下」を取り上げ、『物語日本史』勉強会を完結させました。
 特に会長より人物を中心に発表がありましたので、以下に主旨を掲載致します。


 日本の歴史を通史として描く場合、大抵下巻は江戸時代から描くものである。『物語日本史』では戦国時代から始まっている。戦国時代といえばまず名前が挙げられるのが織田信長である。織田信長は宣教師が連れている背が高く色の黒い人間は何かと問うた。宣教師は「これは黒人、奴隷である」と答えた。キリスト教は「愛」を根本としている事知っていた信長は「何故愛を根本としている宗教の人間が奴隷など連れているのか」と喝破した。その黒人は信長の処置に感動して終始信長に付き添ったと言う。

 織田信長は皇室への礼儀も忘れなかったという。国史絵画には天皇陛下の前で三つ指をついて頭を垂れている姿が描かれている程である。ところが「功名が辻」では織田信長は天皇を無視し「余がこの国の王となる」と言う場面がある。明智光秀はそれを防いだ人間として描かれた。時代が移り変わるにつれ人物の評価は様々に移り変わっていく。最新の情報を常に抑えておくことは勿論だが、その情報をよく自分のものにして自分の中で確固たるものを築き上げなくてはならない。

 山鹿素行は『中朝事実』を著した。儒教は孔子や孟子の教えにより、「徳」も良く注目される。ところが肝心の中国では易姓革命(=天命が改まる)の思想を元にして、「私こそが天命を受けた者だ!」と名乗った者が天下を支配した。孔子や孟子は徳をもって国を治めるのが良いと言ったが中国では実践されなかったのである。
 ところが日本に於いては皇室の下、日本人は纏まって国を営み続けてきた。山鹿素行はこの事実を見て「日本こそが中国である」と説いた。『中朝事実』とはこの視点から書かれたのである。

 江戸時代は中国を本当に世界の中心と仰いだ。「中国」という名前からしてそうだろう。林羅山や新井白石は儒教をそのまま取り込む余り、自身が中国に生まれなかった事を嘆いた。当時のインテリにはそれ位の影響力を持っていた。今でもそうだが外国の方が先進的で中心的であるという意識が蔓延っていた。『中朝事実』はこの様な中では正に衝撃的だったのである。

 この事大主義的な意識は現在でも変わっていない。日本というものを忘れ、中国が良いかアメリカが良いかを言い争っている訳である。排外主義ならぬ「拝外主義」と言わねばならない。

 勉強会の最後に、今までの勉強の成果の確認として会長作成の試験を行った。是非とも抑えておかねばならない事、覚えている様で忘れがちな事がちりばめられた問題に一同改めて『物語日本史』の要点を抑える事が出来たのであった。


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by shikisima594 | 2006-06-28 23:50 | 活動報告
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