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同じ日本人同士が…
 先日とある切っ掛けで、昭和四十年代の学生運動華やかなりし頃の映像を見た。ヘルメットを被った無数の学生達が角材を振り回し、火炎瓶をバンバン投げまくって機動隊と衝突している。スゴい。国際反戦デー新宿騒乱、安田講堂の攻防戦、成田空港反対闘争など、今では全く発生すらしない大事件が多発する。

 その中で僕の印象に残ったのは、昭和43年1月19日にアメリカの原子力空母エンタープライズが長崎の佐世保港に寄港した時の、寄港阻止闘争の映像だった。このエンタープライズは当時のベトナム戦争に飛び立つ飛行機を甲板に満載してやってきたのだ。

 この事により、日本とアメリカの関係や、憲法と戦争との問題をめぐって日本の国論は二分され、寄港をさせようとする政府と、反対する野党などの間で激論が交わされた。特に現地である佐世保では、寄港反対の最先鋭的な極左学生と機動隊が激突した。

 学生達は角材や丸太で機動隊に突撃し、機動隊も棍棒で逃げる学生をボコボコ殴っている。それでも抗議行動をやめない学生達に対して機動隊は催涙剤を混ぜた水を放水車から撒き、ガス弾を打ちこむ。それによって多くの一般市民が巻き込まれて目をまっ赤にして病院に駆け込んだ。

 その中の人が、「同じ日本人がどうしてこんな争いをしなければならないのか」と言ったという。その台詞だけがスゴく印象的で、ずっと心に残っていた。昭和43年という時代は、あの大東亜戦争の決定的な敗戦から23年しかたっていない。学生達はまさに戦争を知らない子供達の最初の世代だが、普通の多くの国民は戦争を知っている世代だったのだ。

 それは同時に、日本人同士が争う余裕もなかった時代を過ごし、みんなが一つとなって国難を打開すべく戦った経験を有している人々からすれば、戦後の内乱とも呼べるような状況は想像のできないものであったのだろう。

 この「同じ日本人同士が…」という言葉を、偶然にも再び聞く事になった。先日、7月5日に北朝鮮がミサイルを発射した。一昨日の記事にも書いたが、このミサイル発射に対して朝鮮総連前で抗議行動が行われた。抗議に来た人々と、それを止めようとする機動隊の間で小競り合いがあったようだ。

 当日、朝鮮総連前に行った人から聞いた話だ。その様子を朝鮮総連の者達は上の階の窓越しにカメラを回しながら、「同じ日本人同士がなにやってんだよ」と、蔑んだように見ていたという。本当に腹の立つ話だ。その思いは抗議に行かれた方々もそうだろうし、機動隊の人々も同じ日本人だから、そうだと信じたい。

 さて、昭和43年1月19日にやってきた米原子力空母エンタープライズは、23日には兵士の休養と艦載機の整備を終えて悠々と出航していった。事前の数千人の学生と機動隊の衝突や、日本の世論を二分にした激論も、馬耳東風どころか、風の前の塵のごとく、はじめからそこに存在しなかったように物事は進んで行く。……

 そして、日本人がどれほど北朝鮮に対して怒りの声をあげても、拉致された四百名とも言われる同胞は帰らず、ミサイルは撃たれ放題なのだ。この構造は30年前から一向に変わっていない。日本人は国内で論敵との論争にあけくれたり、党派をつくってのケンカをしている場合なのか。

 同じ日本人同士が同胞相撃つような事をしている間にも、敵は日本への牙を向けているのだ。同じ日本人同士という、かつての大東亜戦争を経験した先人達が有したであろう感覚を我々みんなが取り戻して、国難の打開にあたろうではないか!全国の日本人、団結せよ!

文責:タカユキ

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by shikisima594 | 2006-07-09 01:35 | 随想・雑記
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