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7月14日、皇国史観研究会定例会
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 7月14日、国士舘大学世田谷校舎で皇国史観研究会定例会が開かれました。今回は一人目の会員から「大帝」という呼称を天皇陛下につけることの問題性に関して発表がありました。この「大帝」という呼称がつけられているのは、明治天皇と昭和天皇のお二方だけです。

 これは何故かと言えば、明治維新後の文明開化の際に西欧的価値観や思想が大量に流入して来た事に起因するのです。西欧では国民と王との関係は対立構造に近いものがあり、総理大臣や大統領に対するのと同じように国民が王を“品定め”する風潮があったのです。

 それにより、国民が善政をしいたり、戦争で大きな戦果を祖国にもたらした王を「大帝」や「大王」と呼んだのです。これは反面で、大した事のない王がいたという事を言っていることに他ならないのです。

 確かに明治天皇や昭和天皇の御代は我が国の歴史上において特筆すべきものがあるのは確かですが、それを以て国民が「昭和大帝」「明治大帝」と呼ぶのは、反面で他の天皇は大した事がなかったと言っているのと同義であり、西欧かぶれのなせるものです。

 特に中川八洋などは『皇統断絶』で昭和天皇、明治天皇に大帝という呼称をつけていますが、中川八洋は病的なまでにアングロサクソン的思想に毒された学者であるのは言うまでもありません。こうした国民が天皇陛下に対して“品定め”をすることこそが、革命の萌芽であるとも言えます。

 その次の会員からは「国粋発展主義的思考」に関して話がありました。この思想をする上で重要な基軸となるのが、民族の“粋”を集め、民族性の文化に根ざした芸術性が問題となるのです。こうした際に技術は外来のものであるから、これを排除しなければ理論の筋が通らないと言う人がいますが、技術とはおおよそ世界的な普遍性を有するものを見落としてはいけません。

 歴史とは、歴史事実よりも歴史観の方が重要であり、自民族の歴史を見る際の視点こそが民族の歴史発展を考える上で必要になります。こうした時に「If」(もしも…)を歴史にあてはめてみる思考が、国粋発展主義には必要なのです。

 例えば仏教伝来後に蘇我氏と物部氏の争いで蘇我氏が敗れていれば、日本の歴史は大きな変化を遂げ、仏教の影響が見られない、純日本的な文化が構築され、我々も死んだ時に「戒名」をつけられ「成仏」する事を強制される事もなかったかもしれないのです。

 我々は日本の歴史と、これからの時代を、日本の独自的文化を確立するという方向性で考えていかなければなりません。


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by shikisima594 | 2006-07-15 00:20 | 活動報告
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