日経の闇を突く! 第七弾 偽綸旨ならぬ富田メモ
「此のごろ都にはやる物、夜討、強盗、偽綸旨…」


 この文は七百年近く前、当時の後醍醐天皇が建武の新政をはじめられた折に、二条河原に貼り出された落書だ。おそらく、中学高校の教科書で見て、その独特のテンポのいい文章が印象に残っている人も多いだろう。

 「綸旨」(りんじ)というのは天皇の御意思などを書き表した通達書のことだ。建武の新政の際は、後醍醐天皇が直接政治を執られ、多くの法令や通達を出されたが為に、国内に混乱が生じ、上記のような落書が書かれるに至った。

 そのような時代であったからこそ、というべきか、そのような時代でも、こうした天皇の御言葉をでっち上げた物があった。それが「偽綸旨」だ。天皇の側近であったものなどが、自分の都合のよいように天皇の御言葉として文書をでっち上げる事件が多発した。

 しかし、今からこの二条河原落書を読んでも、あまり違和感がないような気がする。外国人犯罪者による「夜討」「強盗」は連日発生し、そして日本経済新聞による「偽綸旨」ならぬ「富田メモ」だ。日本は七百年前と今も駄目な部分だけは相変わらずだ。

 この二条河原落書で「偽綸旨」と記されているが、これは天皇の御言葉を偽るという行為が他の嘘よりも格別に悪い事だと言う意識があったからだろう。日本の歴史を通して見れば、天皇とは政治学者がいうような「象徴」(Symbol)や「権威」(Authority)などを越えた御存在として認識されていた事がわかる。

 その日本人が持っていた自然な感覚が、藤田東湖をして正気の歌で「神州誰が君臨したもう、万古 天皇を仰ぐ」と詠ませ、大日本帝国憲法に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と明記させたのだ。それだけではない、「偽綸旨」との関連でいえば、こうした物は今でも明確に残っている。

 それは刑法154条の「詔書偽造等の罪」だ。不敬罪や大逆罪はなくなったが、この詔書偽造罪は今でも明確に定められて、法的拘束力を持っている。これは天皇陛下の御璽や御名を偽造したりして詔書を偽造したものを裁く法だ。注目すべきはこの罪が公文書偽造(刑法155条)や私文書偽造(刑法159条)とは分けられていることだ。

 しかも、私文書偽造や公文書偽造が十万円以下の罰金から十年以下の懲役であるのに対して、詔書偽造は「無期又は三年以上の懲役」というように、厳重な刑となっている。このことから、天皇陛下に対し古来から今に至るまで、どれだけ日本人が格別の思いを払ってきたかが伺えるだろう。

 それを今回、日経が自分達の政治的・経済的な理由で見事に踏みにじってくれた。主語も不明確な走り書きのメモ一枚で日本人の皇室と靖国神社に対する思いを揺るがせたのだ。700年前に書かれた「偽綸旨」は朝廷に仕える一部の不心得者達が天皇の命として土地や貢ぎ物等の利益を得る為だった。今から見れば可愛いものだ。

 残念ながら詔書偽造罪は、あくまでも公文書として御名御璽の記された詔書の偽造にのみしか適用されない。だから、今回の「富田メモ」は富田長官の筆によるもので、当然ながら御名御璽もない。その内容も内々のものだから詔書偽造罪は適用されない。

 よって、日本経済新聞社の「富田メモ」報道は違法ではない。しかし、日本人が本来、有してきた感覚からすれば限りなく“脱法行為”に近いものがある。天皇陛下のものと断定できないものを政治的効果を見込んで、天皇陛下のものとして報じたのだ。

 この罪は重い。朝日新聞が天皇陛下の御言葉を「重い」と社説で書いたが、その重みが跳ね返ってくるのだ。日経はそれなりの社会的制裁を受けねばならない。本日発売の週刊新潮に「『昭和天皇』富田メモは『世紀の大誤報』か」という大見出しの記事が出ている。ネットの世論についにマスメディアも動き出したのか。

 日経が「富田メモ」を報じてから今日で二週間が経過した。短いようで長かったが、まだ戦いは続いているのだ。そして、日経の闇が徐々に徐々に、日本を愛する国民の力で暴かれようとしている。反日分子との戦いもいよいよ新たな局面に入ってきた。俺たちは負けないぞ!

文責:日経追及班

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by shikisima594 | 2006-08-03 02:07 | 随想・雑記
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