『男たちの大和』
f0018981_23202855.jpg 先日、皇国史観研究会員達と『男たちの大和』を見る機会があった。昨年の末に公開されて大きな反響だった。それをいまさら取りあげるのも躊躇われるが、いろいろと感じるものがあったので書く事にした。

 「北緯30度43分、東経128度4分へ行きたい」ーー高齢の漁師である神尾のもとに若い女性が頼んできた。その場所こそ、60年前に戦艦大和が沈んだ場所で、神尾はかつての戦友達を思い出しながら、その場所を目指す。

 大東亜戦争末期。戦局は悪化の一途をたどり、日本はついに一億総特攻の先駆けとして大和を沖縄に出撃させる。その直前に乗組員達は最後の上陸をして肉親や友人たちと会って来る。そして、束の間の再会を終えて、大和に乗り沖縄に向かう。……

 彼らはこの時、自己の生命を賭けてでも守るべきものを見つめてくるのだ。涙なしには見られない。不覚にも私は泣いてしまった。そこには左翼が描く矮小化された犠牲者でも、遺書に崇高な文を綴った超然とした英雄もいない。ただただ等身大の、純粋な日本人の群像が描かれている。

 沖縄に向かう大和に無数の米軍機が襲いかかる。戦闘シーンは激烈を極めるている。人間の体が飛び散り、甲板はたちまち血の海と化す。なんだか左翼チックかもしれないが、本当に戦争は嫌だとも思ってしまった。

 しかし、それは当時の情勢では戦わなければならないものだったのは、言うまでもない。ただ、映画とはいえ、こうした戦争を戦ったであろう先人達の姿に想像力を働かせる事を忘れ、いたずらに彼らを褒め讃えるだけでは、少しまずいのではないか。

 先の大東亜戦争に散って行かれた方々が英霊であり、それに対し我々が感謝の誠を捧げなければならないのは当然だ。だが、彼らの戦った戦場とその苦しみに少しだけでも思いを馳せて苦難を偲ぶ事も必要だと考えた。

 何を今更そんなことを、そんなの当たり前じゃないかーーーと思われる方もいるだろう。そう、自分はいままで、こうした点に思いを馳せられなかったので、自省の意味も込めて書いている。彼らの苦しみとは、戦闘の苦しみだけではなく、自分が愛する人と生きたい、けれどもその人とそれを取り巻くこの国を守れるのは自分で、その自分は死ぬかもしれない。そういった葛藤の苦しみもある。

 その苦しみを乗り越えて、大和に乗り込んで行った3300余名の男たちの物語りが、この『男たちの大和』だったように思う。

 それから、この映画を見るときの注意点は軍事マニアと見ない事だ。皇国史観研究会には何人か軍事マニアがいる。こいつらは映画を見終わって、人が感動して余韻に浸っているのにも関わらず、「あの爆弾は爆発のしかたがおかしい」「何ミリ機銃がスゴかった」「戦闘の演出が下手だ」などと自分の知識でツッコミを入れてはしゃぐ。

 私は軍事知識はほとんどないし、戦争映画も見ない。ただ、この映画は本当に感動出来た。そこから人間の思想や情念を読み取る事ができて、いろいろと自分で考えられる。それを横から人が興ざめする事ばかり言う軍事マニアはドロ舟に乗って北朝鮮にでも出撃せよ!


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by shikisima594 | 2006-08-18 23:20 | 映画
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