『神さまと神社』
f0018981_20452411.jpg 「日本は天皇を中心とした神の国である」と森喜朗氏が総理大臣在任中に言ったら大問題になってしまった。あの時自分は中学生で、その時、マスコミが森氏を散々批判する報道に言い知れぬ違和感を覚えた。

 日本が神の国でどこが悪いんだ?いや、そもそも、日本が神の国かいなかという議論が行われて、日本に神様は全くいないって結論でも出たのか。それともマスコミは全社唯物史観的無神論を社是としてんのか。だったらそれをまず説明してくれよ!

 そう思ってたのが中学生のころだった。日本は神の国だと言ったら、さも国粋主義や軍国主義のように取られる。自分の国に神々がおられると思う事と軍国主義にどんな結び付きがあるのか。そんな風に短絡的に考えてしまう方こそ、非科学的な思考じゃないか。

 さて、自分は日本は神の国だと思う。山、川、森、海、岩、木、はてや街角から家にいたるまで八百万の神々が鎮まります国だと思っている。これは多くの日本人の普通の感覚の中にあるはずだ。でも、我々がそう考えるもとには「神道」というものがある。

 これは宗教というよりも日本人の自然観・伝統・文化といった方がしっくりくる。神道の神様たちをお祀りしたのが神社で、日本全国に数万社もの神社がある。創価学会だってそんなに文化会館はもっていない。で、そのほとんどに神主さんが不在だ。でも神社はたっている。神社は我々の身近にあって、どんなものか案外ほとんど知られていない。

 この井上宏生著『神さまと神社』(祥伝社新書)は、そんな神様と神社を初心者にも分かりやすく解説してくれている。神話にはじまり、神道を外国の宗教と比較して解説したり、神社の仕組みを詳しく説明していて面白い。

 著者は伊勢の皇学館大学中退という経歴を持っている。この理由ついて「あとがき」に言及がある。

「なぜ、大学に背をむけたかといえば、教室での講義に馴染めなかったからだ。そこでは法学の教授が大日本憲法を論じ、国史系統の教授は天皇中心の国家が日本の本来の姿だと語っていた。それらを耳にするたびに、私は時代錯誤の匂いに悩まされていた。世の中は一九七〇年の安保問題にゆれ、学生運動が激しさをまそうとしていた。」(247頁)

 自分から見れば楽園以外のなにものでもない。いまでもそうなら皇学館大学に転入したくなりそうだが、とにかく著者はこうした民族主義とは距離を取りたかったようだ。しかし、だからといって著者が左翼思想かといえば違う。

「教室に顔を出さなかったが、伊勢の神宮の清冽な大気には感動したし、素朴な神々の存在を身近に実感したりした。それは新鮮な経験だった。伊勢の風土は温暖であり、町の人びとは温かかった。学生のような、学生でないような私をあたたかく迎えてくれた。あの町に住まなければ、私が神々に興味を抱くことは永遠になかっただろう。」(248頁)

 僧侶だった西行法師が伊勢神宮を拝し、「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」の感慨を伝えたのに通じるものがある。右とか左とか、何とか主義じゃなくて、我々は日本人として生まれた以上、神を感じる事ができるのだ。

 その神と我々がどう関わって来たか、日本という国を考える上でこの『神さまと神社』は基礎的な知識を与えてくれる良い本だ。ところどころに「戦前は国家神道で…」というような表現もみられるが、そのへんは差し引いて読もう。

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by shikisima594 | 2006-08-23 21:13 | 読書録
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