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「愛国を歩く」を読んで
 日本が右傾化している。そんな指摘がされるようになってから5年ぐらいたつかな。
 確かに世論の変化は感じる所があったけど、最近は特に感じる。というのは、八月って季節柄もあるのかもしれないけど、新聞社が「日本の右傾化」その中でも特に「若者達の右傾化」ってことで特集記事を組んだりし始めたからだ。

 今月の二十二日から二十四日まで、朝日新聞が「愛国を歩く」って連載を三回にわけて掲載した。随分と分量と読み応えのある記事で、まぁまぁ面白かった。特に二十二日の第一回目には自分の知り合いが二人登場して取材されていたから驚いた。いやぁ、世の中ってのはどうしてこんなに狭いのか。

 他にも中国と韓国の愛国主義的な若者達の取材は、彼らの意外な側面が見られて面白かった。あたりまえだが、彼らだって二十四時間三百六十五日、日の丸や小泉の人形を燃やしてるわけじゃない。それに集団心理ってのもある。皇国史観研究会だって、いつでもどこでも、日の丸掲げて天皇陛下万歳をしているわけじゃない。

 漫画も読めば、ゲームもして、酒も飲み、授業をさぼったりもする。そんなの当たり前だが、その当たり前の姿が見えなくなって、その人間の持つ一つの側面が相手に「敵意」や「狂信」としてのみ伝わってしまうマスコミってのは厄介なもんだと改めて思った。

 それから、二十二日の記事をよく見ると、出っ張った頬と嫌らしい眼鏡に独特のクセ毛頭のおじさんの写真が出ている。姜尚中だ。こういうの見ると、ホント朝日新聞だなぁと思う。自分なんか姜尚中がテレビに出たら即チャンネルを変える。おかずにもご飯にも、何でもマヨネーズをかける子供じゃあるまいし、何でも在日朝鮮人姜尚中にコメントさせりゃあいいって問題じゃないでしょ。

 でも、姜尚中も面白い事を言っている。

「(今、起きていナショナリズムは)明らかに戦前のナショナリズムとは異なる。近代100年で経験していないことが起こりつつある」

 自分の知り合いで、民族派運動に長年たずさわって来られた年配の活動家の人達が同じ事を口にしていた。「“本”を見失った愛国心」「左翼や外国への反発だけで“核”がない」
表現する言葉は違ったけど、大体同じ意味の事を言っていた。

 その言葉は反面で、いままで自分達が活動して来たのとは無関係にナショナリズムが勃興してきたことに、ある種の“焼きもち”みたいなのでもあるのかなぁ、と思ったりもしたが、確かに納得させられる部分が多かった。

 だから、今回の姜尚中の主張と、熟練の民族派活動家の人達の見解が、最近の「右傾化現象」に対して一致したことが興味深かった。さらに姜尚中は言う。

「日中韓がお互いのナショナリズムに刺激され、映画の題を借りれば『パトリオット(愛国者)・ゲーム』を繰り広げている」

 この指摘に誰がどう反論できるのか。せいぜい「最初に仕掛けて来たのはあいつら(中国・韓国・北朝鮮)だ!」という程度のことしか言えないんじゃないか?
 これではつまり支那・朝鮮と同じレベルになってケンカしていると言われても仕方ない。ただ、誤解なきように言っておくけど、自分はそれを否定するつもりはない。

 元来、ナショナリズムってのは情緒が基本で、情緒ってのは理性や論理とは異質なもの。論理や理性が大人っぽいとすると、情緒ってのは子供っぽいの。だからナショナリズムも子供っぽい部分がある。じゃあ子供っぽいそんなナショナリズムなんか捨てちまえって事を大人ぶって言う奴がいるけど、子供っぽい支那・朝鮮に“大人の対応”とやらをしていて、今まで日本は何をされたの?

 領土問題、拉致問題、教科書問題、安全保障問題、靖国神社問題、戦後補償問題……
こんなに不当な無理難題を押し付けられているだけじゃないか。だからこっちも向こうが生意気なことしたら、それ相応のお返しをしてやればいい。

 ただ、本当にこれだけだと、日本は支那・朝鮮と同レベルに落ちてしまうだけだ。だからこそ、先の民族派活動家の人が言っていた「本」や「核」となるものを、自分の中に持って、それを磨く事だ。我が国には万世一系の天皇陛下が君臨されている。神武天皇以来、百二十五代連綿とだ。吉田松陰は何と言ったか。「身、皇国に生まれ皇国の皇国たる所以を知らず、何を以てか天地に立たん」と。

 つまり、日本人としての“本”を知らなきゃ生きている価値なんかない!と叫んだのだ。その“本”を知って研鑽を重ね、確固とした自分の信念となったとき、自分の中に“核”ができる。そのために自分達は皇国史観の研究をしているのだ。

文責:タカユキ

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by shikisima594 | 2006-08-26 20:28 | 随想・雑記
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