軍神杉本五郎中佐の最期
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 壮烈な最期———。と聞けば誰を思い出すだろうか。このブログをご覧のような方ならば、三島由紀夫氏や野村秋介氏の最期を思い出される人もおられるだろうが、大方の日本人にとって、壮烈な最期と言えば、今から八百年前に源義経に仕えた武蔵坊弁慶が敵の矢を全身に受けつつも、長刀をかまえた仁王立ちのまま立ち往生を遂げた鬼神の如き最期を思い浮かべられるのではないか。

 立ち往生とは、まさに神話や伝説の類いぐらいに思われている最期だが、日本の歴史上もう一人、立ち往生を遂げた人物がいる。それがこの杉本五郎中佐だ。時に昭和十二年九月十四日未明。昨日でちょうど戦死六十九年となる。場所は支那山西省宛平県東西加斗閣山であった。

 敵陣に斬り込み、軍刀一本で敵兵を次々に切り伏せるも、敵弾と手榴弾を身に受け、最期を悟った中佐は刀を杖代わりに持ち替え、はるか東方、皇居の方角に正対して敬礼して事切れた。その余りに壮烈な最期故に、杉本中佐は日本人から「軍神杉本中佐」と呼ばれ、中佐の地元である広島には石碑や銅像がいっぱい作られた。かの作家山岡荘八も『軍神杉本中佐伝』を書いたほどだ。

 杉本中佐はこのブログで何回か紹介して来た、杉本中佐の遺著『大義』は読書録でも書いたし、弊会から復刊版も出版した。『大義』の第一章「天皇」には次のようにある。

「 天皇は 天照大御神と同一身にましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統治の最高神。国憲・国法・宗教・道徳・学問・芸術乃至凡百の諸道悉皆 天皇に帰一せしむるための方便門なり。即ち 天皇は絶対にましまし、自己は無なりの自覚に到らしむるもの、諸道諸学の最大使命なり。」

 詳しくは過去の記事を参照いただきたいが、当時で百万部超の大ベストセラーになり、戦後もナショナリズムを研究する学者達は『大義』に取り組み、様々な解説をしている。吉本隆明や浅羽通明も書いているが、どちらも単純なナショナリズムでは捉えきれないとしている。

 さて、立ち往生に話を戻すと、立ち往生は科学的にあり得るのかというと、実はこれは十分あり得る話なのだ。というのも、人間は激しい運動の最中や直後、急に死に至ると肉体が弛緩せずに一気に死後硬直する。それ以外にも、脳幹部への損傷があれば同様のことになる。

 弁慶も杉本中佐も戦闘の最中での死であり、矢や銃弾などが脳幹部へ損傷を与えた可能性が高い。ゆえにこれらは作り話や誇張ではなく、状況的に見て事実である可能性が高いのだ。杉本中佐は生前から「死ぬときの一言は天皇陛下万歳以外にない」と語っていたが、それを死して実践したのだ。

 杉本中佐は戦死の直前、突撃前に手帳に走り書きで、子孫に宛てた遺書として「汝、吾を見んと要せば尊皇に生きよ、尊皇精神ある処、常に我在り」と書き残して、弁慶と同じように立ち往生を遂げた。この軍神杉本五郎中佐の名前を、この言葉と共に是非とも覚えておいていただきたい。

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by shikisima594 | 2006-09-15 00:50 | 随想・雑記
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