『日本核武装の選択』
f0018981_1201866.jpg 「日本人の無教養さは、GHQの占領政策によるのでなく、日本人の資質の生来の低級さが生んだのである。」(147頁)

この発言を街行く人に誰の発言か聞いたなら、大半の人はアメリカ人の発言と思うだろう。この日本民族蔑視発言は一体誰の物か?

それは、この本の著者で、日本国籍を有し、保守論客として産經新聞社の『正論』にも論文を書いている、筑波大学教授の中川八洋氏である。

この本自体は核武装問題に深く詳細に斬り込み、著者が長年集めて来た軍事関係の膨大な知識に満ちていて、軍事学などを学んだり、核兵器に関する報道に接する機会の無い日本人にとっては、核武装を論じる上で大変貴重な本ではある。ロシア、中国、北朝鮮の対日核装備の脅威とその戦略や、日本が核武装し、その戦略体系を構築するにあたっての手段と過程や「抑止力としての核兵器」と「防衛力としての核兵器」の相違など、大変興味深い。

しかし、この本の基調となっているものは、あまりにも激越な親米主義と反共主義である。どれぐらい反共主義が強いかと言うと、僕が読んでいて「あれ、僕って共産主義者の極左だっけ?」と思ってしまうぐらい強烈である。そして、どれほど親米主義が強いかと言うと、もはや親米主義どころではなく日本がアメリカの五十一州になっているのではないかと錯覚するぐらいである。

まず、「『反米』感情からの国防論議すべては、国益に反し日本を害する。『反米』は必ず『反日』に至る。」(133〜134頁)と書いているのは、国際的パワーバランスを鑑みて、一つの意見としてまだ読む事が出来る。

しかし、「日本の核兵器が万が一にも米国を標的とすることのないよう何重にも警戒しておくことが必要である。日本を亡国に導いた『パール・ハーバー』の狂愚を、万が一にも決して再発生させてはならない。」(144頁)と書くに及んでは、この中川八洋氏は果たして日本の保守派なのかと疑問が生じて来る。日本の対米開戦、ひいては自存自衛とアジア解放の大東亜戦争を「狂愚」であると断じるのは、祖先に対する重大な冒涜であり、歴史認識の欠如である。なぜそこまでアメリカを神聖視するのかは本書を読んでいても終止謎であった。

そして次の様に説く、「むろん日本は、米国の“核の傘”がどんなに雨漏りしようとも、永遠に米国の“核の傘”と運命を共にしなければならない。米国の“核の傘”からの離脱は日本の自殺である。日本には、米国から独立して、国家として永続していくための地理的状況も国力もないのである。これは“日本の天命”といってよいだろう。」(168頁)

すでにこの思考自体が自殺的に思えてならないの僕だけだろうか?皇紀2666年の歴史を有する我が国日本が、何が悲しくてアメリカと運命を共にしなければならないのか?これでは昔の朝鮮の事大主義と同じではないか。

例え日本が国際社会という暴風雨吹き荒れる嵐の中を、たった一人で歩む事になったとしても、いかに一人で歩んで行くかという事を、現実と葛藤しつつ模索していくのが独立国の態度ではないのか?

中川八洋氏の考えは、とても日本の保守とは思えない。
しかし、中川八洋氏には独特の面白さがある。例えるなら毎年恒例となった大晦日の「ビートたけしの超常現象スペシャル」のような面白さだろうか。
今後も中川八洋氏の本を積極的に読んでみたい。
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by shikisima594 | 2006-01-11 11:59 | 読書録
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