9月22日、皇国史観研究会勉強会
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 夏休みも終わって、新学期のはじまってすぐの九月二十二日に、今期はじめての皇国史観研究会が行われた。今回は時局問題の討議ということであった。折しも東京地方裁判所が国旗・国歌訴訟で、国旗・国歌に反対していた教師ら原告勝訴という驚愕の判決に意見が相次いだ。

 自由とは義務の履行の上に存するものであり、それ以前に自由とは何らかの権力や合意の共同体があってこそ、はじめて現実的に確保されるものである。それはつまり、原告の教師らが拒否してやまない国旗・国歌に象徴される日本国が、彼らの“自由”を保証しているのであり、所詮彼らは釈迦の掌で騒ぐ孫悟空に過ぎないという指摘もあった。

 我が国には「職業選択の自由」も「居住の自由」も保証されており、彼らが大嫌いな日の丸と君が代を“強制”される仕事である教師をやめ、国旗・国歌のある日本を捨てて、無政府状態のソマリアにでも移住するのも自由だし、むしろ彼らのためになるはずだ、と言って皆で笑った。あとは中学・高校時代の偏向教師の思い出話なども出た。

 あとはベネズエラのチャベス大統領に代表されるような、南米をはじめ各地に反米政権が誕生しつつある現状と、その傾向が何をもたらすのか、強大なアメリカと距離を置き、アメリカ主体のグローバリズムが世界を呑み込もうとする激流をつくる中で、それに抗する独自の取り組みはどのようなものになるのか注目したい。

 特にチャベス大統領が国連で、アメリカのブッシュ大統領を「悪魔」として十字をきってみせた演説は無作法であるとも、痛快であったとも意見があったが、アメリカだけが世界ではないという当たり前の可能性を改めて見た思いがする。

 そしてまた、19日に発生したタイのクーデターについても討議が行われた。タイは日本と同じく、アジアの君主国であり、プミポン国王をいただいている。東南アジアはどこの国も賄賂や汚職が横行しており、タイも例外に漏れずタクシン首相が汚職をしていた。

 他の国の場合、クーデターが起きれば内戦となったり、おびただしい犠牲者が出たりする場合が多いが、プミポン国王が今回のクーデターに沈黙(黙認?)すると、国民もクーデターへの批判や抵抗を行わず、異常なまでに静かなクーデターとなった。ここに君主をいただく国の深い奥ゆかしさがあるように思える。

 昨今の国際情勢はまた新たな曲がり角に来たような感がある。そのような情勢に鑑みて、我が国はいかにすべきか活発な討論で秋の夜もふけていった。

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by shikisima594 | 2006-09-25 00:35 | 活動報告
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