『大西郷遺訓』
f0018981_16265325.jpg 明治維新の三傑と呼ばれる人物は、大久保利通、木戸孝允、そして西郷隆盛である。この三人のなかで、名前の上に「大」を冠せられているのは、大西郷こと西郷隆盛だけである。

 西郷隆盛といえば、東京は上野公園に威風堂々とした銅像があり、多くの国民から「西郷さん」と呼ばれ、親しまれている。明治維新の人物の中でも、知名度は抜群だろう。しかし、その西郷隆盛がどのような思想を持っていたかを詳しく知る人は多くない。

 この『大西郷遺訓』(K&Kプレス)は、そうした西郷隆盛の思想を、かの右翼・民族派の始祖といわれる頭山満が解説した本である。副題も「立雲頭山満先生講評」となっている。頭山満といえば、大正時代に「当代一の豪傑」とされ、アジア諸国の独立運動を惜しみなく支援し、国内政財界や右翼・左翼・任侠に幅広い人脈を持ち、「怪物」「黒幕」とも呼ばれた。

 本書を読んでいて、その解説する話から、頭山満の豪放磊落な、人物の器の大きさが伝わって来るが、しかし、それ以上に、ややもすれば頭山満の存在が霞んでしまいそうになるぐらいに、西郷隆盛の器は大きく感じられるのである。

 頭山満は、板垣退助が西郷隆盛を評した話を紹介して、その人物の大きさを語っている。

「維新の三傑と言って西郷、木戸、大久保と三人を並べて言うが、なかなかどうしてそんなものではない。西郷と木戸、大久保との間には、零がいくつあるか分からぬ。00000000といくら零があるか知れないので、木戸や大久保とはまるで算盤のケタが違う」

 また、頭山満は西郷隆盛一人は日本人何人分に相当するかという例え話もしている。

「右の籠に西郷さんを入れ、左の籠に六千万人を入れて、それを天秤棒で担ぎあげたら、どちらが重からうかね。西郷さんの方が重く、六千人が軽くて、左の籠が天秤につかえて、とても荷にはなるまい。」

 つまり、西郷隆盛一人と当時の日本国民全員では、西郷隆盛の方が圧倒的に人間の重みがあると断言しているのである。人間の重みとは体重のことではない、その人の力量や徳、見識、精神を指していっているのだ。では、頭山満をしてこれほどまでに言わせた西郷隆盛とはどのような思想を持っていたのか。

「正道を踏み国を以って斃るるの精神なくば、外国交際は全かるべからず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却って破れ、ついに彼の制を受くるに至らん」

「国の凌辱せられるに當りては、縦令国を以て斃れるとも、正道を践み、義を尽すは政府の本務也。」

 これは西郷隆盛の言葉の中で一番有名なものではなかろうか。いまでも中国や朝鮮による内政干渉や領海侵犯などがあれば、保守派の政治家や言論人達が一斉にこの言葉を引用して論文を書き始めるからだ。

 西郷隆盛の言葉とは、一年や二年で撤回・訂正を要するような言葉ではない。百年たっても色褪せないほどの、非常に重たい言葉なのである。この言葉にしても、我が国の現在の取り巻く状況にピッタリと当てはまる。中国、朝鮮、それだけではなく、アメリカを相手にしても同じだ。

 この言葉を受けて、頭山満は言う。

「人の国を征伐して、これを掠奪し、苛斂誅求して他の弱小国民を苦しめるだけならば、何も国家をつくっておる必要はないのじゃ。山賊でも剽盗でも、何でも構わぬ。勝手放題に切取強盗をすればよいのじゃ。いやしくも坤與に国する以上、人間らしい道を踏み、天下後世に恥じない立派なものにしなければならぬ。」

 日本の周りの国は言うまでもないが、我が国こそ、天下後世に恥じない国であり続けたい。そのためには、朝鮮にも、中国にも、アメリカに畏縮する事なく、主張すべき事を主張して行かなければならない。

応援のクリックを!
[PR]
by shikisima594 | 2006-10-16 17:32 | 読書録
<< 日経、ついに新聞協会賞受賞 日本核武装を問う街頭シール投票 >>