『ハイエク—マルクス主義を殺した哲人』
f0018981_2011549.jpg 小泉改革が断行され、「官から民へ」「小さな政府」の掛け声のもと、次々に法人税が引き下げられ、郵政民営化法案も可決された。その改革の影で「格差社会」の出現が大きな問題となりつつある。こうした一連の構造改革の背景となった思想がハイエクの経済学とされている。

 ハイエクというのは本名をフリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクという長ったらしい名前のオーストリア生まれの経済学者だ。彼は政府を小さくし、市場への介入を廃し、全てを自由競争の市場に任せることで経済がうまくいくと説いた。

 これまでの日本経済はケインズ型の経済で、不況時に政府主導で公共事業を増大させることで景気回復をはかろうとしたもので、長らく自民党主導のゼネコンと癒着した公共事業の根拠ともなった思想であり、小泉改革とは従来のケインズ理論からハイエク理論への転換であったとも言える。

 この『ハイエク—マルクス主義を殺した哲人』(PHP研究所)は八年前に刊行された本で、上智大学教授の渡部昇一氏がハイエクの主著である『隷属への道』の解説する形式をとっていて、ハイエク理論の要点が容易につかめる。渡部氏はハイエクの『隷属への道』の果たした役割について次のように述べる。

「十九世紀から二〇世紀にわたって、最も大きな、最も強力なマインド・コントロールを世界にかけたのはマルクスの『資本論』である。そのマインド・コントロールから人類を解き放つための最も有効な治療薬となったのはハイエクの『隷属への道』である」

 つまり、人類が患っていたマルクス病をハイエクが治療したから、ハイエクは副題のように「マルクス主義を殺した哲人」となるわけだ。『隷属への道』の中でハイエクは、ナチズムも共産主義も社会主義も同根の全体主義(集産主義)であると定義している。

 自分はかつて新聞のコラムで渡部昇一氏が二・二六事件決起将校を「左翼」と断じ、事件自体も「左翼によるクーデター未遂」とこき下ろしていたのを強い違和感と共に覚えている。渡部昇一氏といえば「保守」だと思っていたが、なんのことはない、氏はハイエク理論を踏まえて言っているだけだったのだ。それにしても氏は精緻な歴史解釈を基調とすると思っていただけに、このことには軽く驚いた。

 さて、肝心の章中はもっぱら社会主義理論の欠陥を指摘するとともに自由主義経済がいかに自然で正当かを力説している。社会主義国においても格差が存在するとの指摘は重要であったし、確かに、政府が過度に市場介入すればそこに既得権益のようなものが生じて怠慢や腐敗がはびこり、活力が失われるのは確かだろう。

 しかし、渡部氏は社会主義国には自由がないと言い募るあまり、「社会主義国には乞食になる自由もない」という氏らしからぬ愚論を吐いてしまう。現実のいくつかの社会主義国において路上生活者がいるのは事実だし、この理屈は逆を返せば「資本主義国はいつ乞食になるかわからない」という反論につながる。

 ただ、ハイエクはこうした自由主義経済社会をつくる上で伝統を重視しなければならない点を強調している。しかし、先に行われた小泉構造改革からはハイエクのこうした視点が欠落し、“改革パラノイア”と化した小泉が畏れ多くも皇室典範にまで手をつけようとしていた事実がある。

 そして現在、ハイエク理論実践の途上にして格差社会のひずみは広がりを見せている。自由競争社会は人間をいわゆる「勝ち組」と「負け組」にふりわけるのだから、そうならざるを得ない。しかし、それはマルクスの言うところの共産革命の土壌となる「階級社会」ではないか。

 だとするならば、ハイエクは「マルクス主義を殺した哲人」ではなく、皮肉にもマルクス主義の母となりはしまいか。果たしてハイエク理論の正体がどちらであり、日本の命運がどう転ぶか、本書とともにマルクスの『共産党宣言』でも読みながら、眺めて行きたい。

タカユキ

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by shikisima594 | 2007-01-14 20:53 | 読書録
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