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1月20日、定例勉強会
昨日の夕方より、試験の真っ最中にもかかわらず数人の会員が参加し、世田谷区の某所で皇国史観研究会定例勉強会を行った。
今回は「戦略・戦術の進化」と題して、主に第一次大戦から第二次大戦までの兵器と戦術の変化について、会員より発表がなされた。

以下要旨

第一次世界大戦までの戦闘は、陸では大砲の撃ち合いの後の騎兵、歩兵同士の戦闘が行われ、海上での戦闘は戦艦同士の砲撃戦が主な戦闘であった。

しかし、第一次世界大戦で数多くの新兵器が戦場に姿を現し、その戦闘方法も激変した。主な新兵器は戦車、航空機、潜水艦、飛行船などで戦闘は二次元的戦闘から三次元戦闘へと変わった。

地上の戦略、戦術は戦車の登場でどれだけ強力な戦車を前線に配備し、敵を蹂躙するかに変わり、洋上の戦いも砲撃戦主体から、魚雷を使った水雷戦や潜水艦による通商路の破壊など、戦略に幅が広がり、当時就役した戦艦には艦首、艦尾に魚雷発射管を持つものが割合的に多かった。

そして、忘れてはならないのが新たに戦場となった空である。戦闘機同士の空中戦、地上に対する爆撃など、各国は優秀な航空機を造ることに必死になった。

第一次世界大戦が終結すると、世界は軍縮へと歩を進めるが、その間も航空機の開発は続き、航空機を洋上でも使用するために航空母艦の開発が進み、日本、アメリカ、イギリスの三国が空母の艦隊配備に成功し、空母中心の機動部隊を編成した。

この中で完成された空母を開発できたのは日本とアメリカだけで、陸上ではドイツとソビエトが地上兵の機械化を進め、1939年に第二次世界大戦が始まるとドイツ軍は航空機と戦車部隊で一気に進撃する電撃戦を展開し、短時間でヨーロッパの大半をその勢力におさめる事に成功し、遂にロンドン空襲を開始するにいたる。

地上戦が主体のヨーロッパと違い太平洋方面では洋上決戦が主体で、艦隊同士の総力戦、砲雷撃戦が太平洋のいたるところで起こった。この時代のレシプロ機の性能は限界に達し、各国で次世代の推進器の開発が進められたが、実用にいたったのはごく僅かであった。

ここで各国の主力兵器を比較してみると、日本は戦艦と空母、航空機を主力とし、アメリカもほぼ同様で、ドイツ、ソビエト、は戦車に主眼をおいていた。第二次世界大戦も終わりに近づくと再び戦略に変化が現れる。

それはやはり、新兵器の登場である。ジェット戦闘機やロケット弾、ミサイル、電探、さらには原子爆弾が現れ、爆撃機の進化、大型化による大規模の絨毯爆撃などが実施されました。その中で二次元戦闘にしか対応していない戦艦は歴史の流れに取り残され、姿を消していった。戦艦大和やビスマルクなど、戦艦同士の砲撃戦では無敵といっていい戦艦が殆ど戦果を挙げることなく海中に没した。

中には日本の伊勢型戦艦のように三次元戦闘に対応しようと、航空戦艦になった艦あったが、時代の流れには逆らえなかった。その中で、力を発揮したのが空母である。航空機による空爆、艦隊護衛など幅広く活躍した。機動部隊の戦果として最も有名なのは、日本海軍による真珠湾攻撃だろう。

第二次世界大戦が終結し、世界の海から王者戦艦が姿を消し、空母が海を支配するようになり、航空機、戦車が次々と進化する中で、戦略・戦術は殆ど進化していない。次に戦略・戦術が変化するのは今の兵器よりも強力な新兵器が登場してからだろう。
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by shikisima594 | 2006-01-21 13:27 | 活動報告
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