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文化国粋主義という考え方 〇〇四
 この連載は、わが愚考「文化国粋主義」という思想を説明するものである。今回、この点について、私見を披露いたしたい。

 〇三、風習・論理と独自美術とからなる民族独自文化を、発展させる目的を持ち、

 今回の考えの前に、これまでの考えをまとめ、一つの結論として前提におく必要がある。
 我々民族主義は、民族の永続性を求めるゆえに、民族文化の本来の姿、つまり、正体を求める。この真の民族文化は、少なくともある面において、不変と捉えられるものでなくてはならない。そしてその価値の下には、歴史と伝統でさえも単純に重要とはみなせないということである。
 されば、我々は一体何をもってその本来の姿とすることを得ようか。ここまで触れられないできたが、これは当然、我々の関心の最たるところである。今回説明したい考えの核心は、ここにあると思っていただきたい。

 我々の関心をまた、他にも表せる。すなわち、客観的には我々の関心は、純粋なものへの志向であるということが出来る。我々自身にある、この欲求を満足させなければならないのである。
 しかしながら、もう一つ、別の面からも受け継がなければならない問題がある。それとは、民族文化は結局、何らかの圧力から形を変えなければならないということだ。

 我々は、これまで批判的に民族文化の変革というものを参照してきた。しかし実際には私の問題意識は、他の側面も重要なものとして注目していたことを断らなければならない。というのも、一体、文化が改められることを全て否定してしまうというのもいかがだろうかとおもわれたからである。
 さしあたっては、現実に問題が導かれる。歴史上に起こった改革が、全てなかったと想定したとき、例えば、それが明治維新であったとしよう。この時代、我が国は官民一体となって服装を改めたり、町に洋式を取り入れたり、諸外国と交わったり、殖産興業をやって大規模な資本社会を作り出したり、幕藩体制から朝廷と民衆の政治体制に移行させたりした。この時、我々はこれらの複数ある変革の要素を、全て批判するものではない。何故といえば、この内いくつかの要素は、まさに国家存亡の危機にあっては行われなければならなかったと見なせるからである。それがなければ、今に日本か、その後身でさえも無かったということも考えられる。まさか、我々は国家民族が植民地とさせられることを望むのではない。存亡の危機という大事において、我々はある種の変革を拒むべきでない。

 そこで、この二つの問題意識を比較し、新たな問題意識の創設をもって、以後の脈絡の助けとしたい。
 すなわち、原点にある文化のいくつかの要素を、我々は未来、完全なる実現に向けて守らなければならぬ。その一方で、国家民族の危機を避けるためには、どうしても変えなければならぬ要素もある。となるから、我々はそれらの定義と区別とをはっきりさせる必要もうまれる。それらの体系的な論理化をこそ、我々の使命と考えなければならない。

 そして、まず今回の項では、守るべきものを規定することにしたい。

 既に述べたように、我々が守るべきは、民族文化の正体・本来の文化である。また、これは何も、現実がそうだという事実によるところではなくて、本来そうであるべき姿という意見が重要である。したがって、これを正統とも表現できる。更に多くを引き合いに出せば、或いは民族文化における純粋、国粋とか、真髄という風にも呼べるだろう。とにかくそれらの概念は、全て同じところをさすのだと覚えられたい。
 それらは民族固有・独自のものであるべきというより、より根源的な理想にして、たとえ他の民族に偶然一致することがあっても、民族に当初からあるか、或いは自然に発生したものである必要がある。だが、この後必要な、文化の起原に関する厳密な論理は別の項に譲ることにしよう。

 ともかく、これまで説明してきた我々の欲求を満足させる方法に関して、我々はまず二つの要素を提案する。一方は民族思想であり、一方は民族美術である。

 まず前者の説明に進む。この要素とは、具体的には民族における風習や論理・理論・精神などを総括するものである。信仰或いは言語文化などの具体例にも置き換えることができる。民族の無形文化とも換言できるかもしれない。これに関しては、私はさまざまに主張を持っている。以下、例としてあげる。

 宗教国粋主義は、日本の本来的な信仰を神道にもとめ、しかもこの原理をもって本来的な民族精神とみなす。よくさまざまな宗教を受け入れて我が国の真の伝統とみなすものがあるが、それは妥協を許し、最後には民族の宗教的統一を雲散霧消させる悪い伝統であるとしなければならない。そもそも人は、死んで黄泉の国に還って、キリストの善きつまとなり、七二人の永遠の処女たちと交わりながら、転生を繰り返しいつしか無になることが絶対にできない。

 言語国粋主義という立場に関しては、我が国の民族言語が本来のあり方でないという問題意識を前に置かなければならない。現代の語に横文字が多いということがよく話題にされるが、しかし古代シナの共通語が我が国の言語的権威であることは全然問題として取り上げられないのは矛盾とみなさなければならない。いつか、日本語の語彙を全部大和言葉に直すという意志が必要である。
 この成功(な)る暁には、歌会(うたより)からエロ本(あでぶみ)まで、国粋化(くにぶら)せられることを願う。これを是非(しいて)もすべきである。例えば、日本(ひのもと)という言葉は普通(ひろ)く漢語(あやことば)で表される。それは本当(ほつま)に正式名称(おおやけのな)として相応しいものかどうか。私はこの名を、例えばひのもとのおおきみのくにとするのが正しいと考える。しかるに、私はパソコン(いかまど)をつかう際(きわ)に、フォルダ(とじさし)の名前を逐一(ことあるごと)に和名(もとなづ)けるくせがある。馬鹿げたことかもしれないが、ある実践(まこと)と覚えられたい。
 突拍子もないことを言い出すようだが、かかる問題意識無しには現状を反省しているとはいえない。また、将来日本語が危機言語となった場合にあっても、我々は日本語の存続と発展を望む。既に諸外国では、侵略や文化的侵食の影響を被って自らの民族言語が話せないものが数多く存在し、そして彼らの主張は、よく民族言語へ志向する。

 その他、礼儀作法や、ある種の倫理も独自の無形文化に属している。文化の様式は日常を覆い尽くしている。玄関で靴を脱ぐということはまだ当たり前である。なかなか変えられない文化も多くあるのだろうが、危機的な文化のほうが圧倒的であるといわなければならない。太陰暦で民族暦を作ること、例えば尺貫法など、或いは祭典や風習も既に失われたものが多い。
 我々の多くは、国家における独自文化の継承と声を大にしていいながら、自分の家のこととなると家紋や氏神をさえも忘れてしまっている。私もかかる家の伝統には反省が多い。家と国がつながるというのも、わが民族の精神であるにもかかわらずだ。

 また、これらはそれ自体としても重要であるが、まだ手付かずの民族社会に対する規範倫理を探る上で、きわめて大きな意義も持っている。世に経済のあり方は全て西洋の哲学によっている。また、大学や公的な学術機関の学問の諸体系も、全てローマ帝国の権威をその基礎においている。この問題は、哲学の権威をどこにおくかという命題に突き当たる。それは我々が考えなければならない問題として、最たるものの一つである。

 以上が民族思想の説明である。ついで、民族美術の説明に移りたい。この要素は、実際には必ずしも美意識に留まるものではない。それを支える若干の専門的知識や思想、或いは技術もさることながら、最も重要なのは、具体的な民族美術の作品そのものである。或いは、必ずしも美しくないものでさえこうと呼ぶに際して、及び前者に対して、こちらを有形文化とも称することができよう。

 これに関しては、より単純で具体的な説明で事足りるに違いない。例を挙げれば、民族的建築・民族的絵画・民族的文様・民族的料理・民族的衣装などの諸文化の発展である。つまり、五感に感じられる文化のすべてに関して、民族は独自性を実現しなければならない。視覚的に、ありとあらゆる意匠を民族的にしなければならないし、嗅覚的にも同じようなことがいえる。そしてこれにあぶれた、より観念に近い分野の文化は、民族美術でなく民族思想に取りまとめられれば良い。
 これら美術文化を民族的な要素として総べる意識は、昔から和風と呼ばれてきた。民族独自な美術体系が民族の一要素という見方が古いことは、この「~風」という言葉をあげるだけで十分であろう。だから、その美術体系を一個の民族要素として考え、逆に民族を一個の美術体系にまとめる発想を持つことには、自然の感情が働いているとみなさなければならない。この意識に関しては、既にいくつかの持論を披露いたした。だが、それらの目的は一貫していて、次の簡素な表現で言い表せる。我々は、より大規模でより本質的な形での、国風文化の再来を望む。

 以上の二つの要素を区別するのには、単純な理由がある。これは、我々民族がある事象に対したとき、それに向けるべき二つの態度の区別なのである。 一方は、あるものに対する理論或いは思考信仰といったもので、もう一方はそれを具体的な事象に合わせて手を施そうとするときの方法である。逆にも考えられる。まずは具体的な物事に対して我々のなす手が決まっており、それを思考の中で体系としてつなぎ合わせる必要があるとき、その根拠を求めるに、民族純粋の思考体系のほかは望めまい。
 こうして、現実と精神の両方において、我々が独自の文化の実践を志すとき、果たせるかな、そこに生まれるのは知行合一を目指す精神なのである。このように考え、或いは実践することで、我々の民族文化に対する欲求は満足されるところとなろう。

 さて、この二つの文化の総体を、この章の中においてすら一〇にも及ぶ言葉で説明してきた。これらはつながる一つの概念を呼ぶ言葉が分かれ出ているに過ぎないが、一先ずは通称として一つのところに収めたい。
 そしてこの際、あえて推したい言葉がある。「民族独自文化」という。この語をすすめるのにも、おことわりせねばならぬ理由がある。実は以上の文化は、とある要素と対比することによって導き出された。この民族独自文化とは、そのまま民族毎に違っている、或いは違うべきものとしてあがる要素なのである。
 これはつまり、その前提に、反対になるべく民族各々に共有されているべき文化があると考えることに始まっているのだ。これには何をあげられるだろうか。それらの文化は、普遍的であり、また必要上普遍的でなければならないと私は考えている。この説明を次回施したい。
 民族独自文化に対しては、正にこの普遍文化を説明することで、この文化論の全体が完成される予定である。

ムネカミ

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by shikisima594 | 2007-02-07 17:39 | 随想・雑記
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