『光の雨』
f0018981_2313098.jpg 巨大な鉄球が建物を壊し、放水が間断なく続けられる中を銃弾が飛び交う。一人の機動隊員が倒れ込み、雪に鮮血が散る。

 これは一体なんだ!?何が起きてたんだ!?と思った。小学生のとき、テレビで昔の出来事の特集をやっていたのを見たのだ。他ならぬ「あさま山荘事件」だ。この映像の衝撃は幼心に、深く残り、そのあと両親や学校の先生に「あさま山荘事件って何?」と訊ねた。

 どうやらそれは、昔々存在した「学生運動」から生まれた「カクメイ」を目指す「サヨク」というものが起こした事件だという説明を受けたが、それでも全然わからない。第一その「カクメイ」というものが意味不明だったし、その「カクメイ」とは雪山の山荘に立て篭って銃撃戦をやることなのか、全く全体像が見えてこなかった。

 しかし、「サヨク」という存在には急速に興味をひかれ、図書館で昔の本や雑誌を漁って調べてみた。ヘルメットにタオル覆面で、党派の旗をかかげ、腐敗した体制権力を突き崩そうと火炎瓶や投石する姿に胸躍るものを感じた。

 そうするうちに、「あさま山荘事件」の全体像とそこに至る経緯もおおよそわかってきたのである。それはつまり、要約すると、共産主義に傾倒した学生運動の中から、山岳ゲリラ戦を唱える毛沢東主義を信奉した学生と青年らが「連合赤軍」をつくり、鉄砲店や郵便局などを襲撃して得た資金と武器を持って山にこもってそこで共同生活をはじめる。

 そこから警察に追われて、何人かが昭和四十七年二月十九日に、長野県軽井沢町にある河合楽器の保養所である浅間山荘に逃げ込んで篭城した事件なのだ。この事件は当時の日本中の注目を集め、全国の人々はテレビ中継される山荘での攻防戦に釘付けになったという。

 この『光の雨』は立松和平による同名の小説を映画化したもので、主に「あさま山荘事件」に至までの山岳ベース事件などを中心に、構成されている。この映画の最大の特色は「あさま山荘事件」の映画を撮影している監督と役者達の映画であるという点、すなわち劇中劇の手法を用いている。

 この映画で連合赤軍を演じる役者達は「あさま山荘事件」の後に生まれた世代で、「あさま山荘事件」に対して、当初は理解も共感を一切することなく戸惑いながら演じて行く。その姿と、それを撮影する監督の態度を通じて、あの「あさま山荘事件」が何だったのかを問う映画である。

 政治にも思想にも無関心で、イデオロギーなんて言葉すら知らない“現代の若者”である役者達の姿と、彼らが演じる、思想を奉じ、革命を信じた“当時の若者”のギャップを通してみると、その内実はどうあれ、あまりの違いに何かやり場のないような思いを自分は抱いてしまう。

 連合赤軍は山岳ベースで12名、その前に2名。あわせて14名の“同志”を殺害している。結成時には30人にも満たなかった組織で半数近くの人間が短期間のうちに“同志”の手で殺されているのだ。

 しかもその理由が、化粧をするのが資本主義的だから、男性が女性に対して下心を抱いたから、警察のスパイではないか、といった理由で次々に殺害して行くのだ。もはや理由が冗談のように見えるかもしれないが、これが孤立して、絶対的ドグマを掲げて、暴力によって先鋭化した組織の末路なのだと感じる。

 自分たちの目指す革命のためには党のために徹頭徹尾尽さねばならないと考える。その結果、いったん内部粛清をやれば、党利党益を得る“忠誠競争”のようなものが発生し、自己保身のための“粛清スパイラル”に陥ってします。かつてのソ連、中共、そしていまの北朝鮮しかりである。まこと共産主義は人を惹き付けるが、それは最悪の毒リンゴである。

 あの連合赤軍事件とは何だったのか、共産主義とは、新左翼とは、革命とは、党派とは、そういった遠い過去のような問題を独自の視点を介して見られる、稀有な映画である。

タカユキ

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by shikisima594 | 2007-02-25 23:47 | 映画
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