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硫黄島遺骨収集記 第三回
前回まではこちら。

 いよいよ内地への帰還の日、九段へと両手で御遺骨をしっかりと捧持しながら向かい、その翌日に千鳥ヶ淵にて納骨式を行って今回の遺骨収集は終了となった。

 遺骨収集活動は私の考えを色々改めさせるものであった。

戦前、戦時の、真の教育が行き届いていた頃の日本人には、情にあふれ、知に長け、足るを知るものが多く、そういった人々に対し来日した外国人の多くは敬意を表したという。正に戦争の無い時代を生きるべき、そして誰からも愛されるべき人々がいたのだ。

今は英霊となられた方々は、その故郷にどれだけの思いを馳せつつあの地に赴き、そして散っていったのだろうか。彼等がもしも生きたまま戦場から帰還し、そして故郷に戻れたならどんなに喜んだだろうか。

英霊に対し、せめてもう一度だけでもその故郷に生きたまま帰らせてあげられたら、せめてもう一度だけでも逢いたい人に生きたまま逢わせてあげられたらと思う。しかし私にできたのは、見ることも、聞くことも、感じることも、話すことも、考えることもできなくなった彼等の、いや、彼らの遺骨を本当の故郷か分からない千鳥ヶ淵へと運ぶだけ。それすらも行き着く先は欺瞞と偽善で終わってしまうのではないかと思うと、悔しさと虚しさで想いがいっぱいになる。そして、あの戦争起こらなければと。

しかし、過去の事実として日本は戦争に突入し、ガダルカナルや硫黄島、多くの戦死者を出した。御遺骨に触れるたびに、命の脆さと儚さを痛いほど感じる。大義を抱き、日々文武の鍛錬に励んだ屈強な兵士であっても、たった一つの弾丸で倒れ、骨のみになる。さらに硫黄島では地熱が骨を劣化させるため、触れれば崩れるほどに骨も脆くなってしまう。この世界は、人の存在を、物質という面においては形すら留めぬほどに許さないものだった。

 私は、大東亜戦争の大義を否定したいわけではない。だが、戦争が与える災禍を考えると、それは絶対に防ぐべきものであるとも同時に思う。今もなお、心無いマスコミや左翼が、戦争をふっかけた日本が絶対悪であるとか騒ぐが、真の元凶はペリーの来航を起点とする西洋列強の日本に対する挑発や共産党系地下勢力の陰謀にある。

 こうした圧力によって日本に蓄積されたストレスは筆舌に尽くしがたいものであり、大東亜戦争の犠牲者は偶然にもそれが爆発する時代を生きた、こんな言い方は私だってしたくないが、運が悪かったのである。

 何故世界が聖書や赤の一色にならねばならないと言い切るのか?そのせいで日本はおかしくなった。日本は日本として愛されるべきであり、それだけの価値がある国であったのに。私を含めた全ての人は、欺瞞と偽善の塊を魂として、心やイデオロギーを形成している。だから全ての人が正義、幸福、平和を願えども、世界がそうなること時代は来ないだろう。

 快晴の硫黄島の青空を、仰向けに寝転んで眺めてそんなことを考えていると、「人は人として生まれてきた時点で不幸なんだな・・・。あーあ、とっとと死んで、楽になっちまいてぇな・・・。」と、思ったりもする。一方で、魂に真っ直ぐに生きた日本人達の、情緒に溢れた儚い生き様を何故か美しいと思い、人生が恋しくなったりもしたのが、私の硫黄島であった。(了)

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by shikisima594 | 2007-03-15 23:00 | 活動報告
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