『空想から科学へ』
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先に紹介した『共産党宣言』と並んで、共産主義の入門書とされるのは、フリードリヒ・エンゲルスの『空想から科学へ』である。もちろん、この『空想から科学へ』の主語は「社会主義」であり、社会主義理論の発展を解説したものである。

自分が読んだのは、昭和四十一年に改訳された大月書店の『空想から科学へ』であり、今なら岩波書店版の『空想より科学へ』が、文庫本として出回っており、最も入手しやすい。もともとは、ベルリン大学の私講師オイゲン・デューリングを批判した『反デューリング論』から三章の論文を抜粋して、ドイツ社会民主党内のパンフレットとして作成されたものである。

まず本書の構成を紹介する。序文が46頁、本文が60頁、解説が10頁、事項注が22頁、人名注が9頁となっている。序文が本文の3分の2以上ある本に出会ったのは、これが初めてである。しかも、「空想的社会主義」から「科学的社会主義」に至る哲学的流れを延々、独特のドイツ語直訳調で書いている前半のくだりは、読む睡眠薬以外の何者でもなかった。

十九世紀フランスの初期社会主義者、サン=シモン、フーリエ、オーウェンらの「財産の不平等を改め、理想社会の建設をめざす」といった考えをある程度肯定し、その思想的功績を評価しながらも、それらのどこに欠陥があるかを、具体的に指摘している。

サン=シモンの場合は「労働者」と「不労者」が対立している現状を認識したが、この「労働者」の中には銀行家、工場主、大商人などが入っており、「不労者」の中には年金生活者すらも入れられており、こうした定義のおかしさを、フーリエの場合は人類が将来滅亡するという思想を歴史観に導き入れた事など…

総じてこれらの初期社会主義が「空想的」だった理由は、まず、特定の階級を解放するのではなく、いきなり世界全人類を解放しようと考えるからであり、過去に理性と永遠の正義が実現されなかったのは、それが認識されていなかったからだという考えによる、といった点を挙げている。

また、ドイツ古典哲学をもとに、形而上学的思想と弁証法的思想の発展の経過を説明している。弁証法哲学の大家ともいうべきヘーゲルは、観念論者であったために、自らの弁証法哲学を完成させられなかったが、そこに唯物論が加わり、人類の歴史を自然発展の過程であると捉える弁証法的唯物史観が、共産主義者の間で成立したことが書かれている。このくだりは、共産主義の唯物史観を批判する上でも、是非読んでおいた方がよいだろう。

そして、最後のあたりでは、生産手段を社会が掌握することにより初めて「物質的にまったく十分であり日ましにますます豊かになってゆくだけでなく、さらに社会全員の肉体的・精神的素質の完全で自由な育成や活動をも保証するような生存を、社会的生産によって社会全員のために確保してやる可能性、この可能性は、いまはじめてここにある。」「プロレタリアート革命ー諸矛盾の解決。プロレタリアートは公的権力を掌握し、この権力によって、ブルジョアジーの手からすべりおちつつある社会的生産手段を公共の財産に転化する。この行為によってプロレタリアートは、生産手段を、資本としてのこれまでの性質から解放し、生産手段の社会的性格に、自分を貫く完全な自由を与える。」と書いている。

空想的社会主義の欠点、弁証法的唯物論の成立などは、ある程度納得して読む事が出来たが、このくだりだけは理解に苦しんだ。エンゲルスの言うプロレタリアートの自由とは何か?ブルジョア階級の支配から解放された先には、共産党一党独裁による更に過酷な支配が待ち受けていたのが、第二次大戦後の共産主義国の現実ではなかったのか。

先に『共産党宣言』を読んだ時に、なぜアメリカが共産化しないのか疑問に感じたと書いたが、『空想から科学へ』には、その事に対するエンゲルスなりの言い訳が書いてあった。いわく「ブルジョアジーの永続的支配は、ただ封建制度が存立したことがなく社会がはじめからブルジョア的な基礎から出発したアメリカのような国々でのみ可能であった。」

だとするならば、アメリカは弁証法的唯物史観の適用外になってしまい、「全世界を発展する一つの過程」と捉えるはずの弁証法的唯物史観の論理は破産してしまう。『空想から科学へ』と銘打ってはいるが、所詮は空想から、ややましな空想になっただけということか。

しかし、こうした空想から科学へ、理論を発展させる作業は我々にも大いに求められている。いつまでも現状社会の諸問題を語るにあたって「戦後民主主義が…」「マッカーサー、GHQが…」「日教組が…」と言っていたのでは、かつての共産主義者と同じ狼少年になってしまう。手探りでも良いから己の言葉で今を語り、自分の目で過去と未来をみつめていく。尊皇精神、皇国史観、愛国心、これらも空想から科学を目指そうではないか!
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by shikisima594 | 2006-01-25 11:32 | 読書録
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