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文化国粋主義という思想 〇一四
 さて、ここで社会一般の目から、伝統派社会自体にも注目したい。
 折に触れたとおり、守旧的な民族派や伝統派は、今日社会一般の日常とは完全に異なったところにある。それらは一般の世間から離れた一つの社会を形成している。少数者の、反動的なこの変態集団は、社会一般から嫌われるために物々しい格好をし、大衆の意見と乖離するために演説し、嫌悪の衆目と社会的無視とを省みない。大衆にはそのようにしか映らないし、実際のところ、これは彼ら自身の視点もふくめた客観的認識に他ならない。

 その上重要なことに、これらの異集団が主張する物事は、もちろん彼らとともに悪く見られている。賢いものは彼らと彼らの主張は別のところにあると識別するが、皆が賢者ではもちろんない。社会一般の視野で考えれば、民族派の視点は、まさしく民族派の行動と努力により、社会一般に悪いものとみなされるに至った。当人らの意志はどうあれ、これは核心派・左翼の作り上げたサヨク的な一般社会の中では、戦後民主主義を社会に規範付けるための仮想的として、巨大な社会装置の一環としての機能を十分に発揮しており、自ら少数派を自認するという彼らの反動的行動、反動的言論は、まさに一般社会の支配者の思う壺であったに違いない。

 おそらく彼らは、共同体という社会構造が根付かない都市社会というものを冷静に眺めてみたことがない。多分に考えられるのは、彼ら自身現代的な都市社会の一般意識や多数派の規範を他者のものと感じていることである。村落共同体の出身者は、まれに都市的社会出身者の社会規範を受け入れないことがある。何か頑なな信念があった場合、つまるところ、それが信仰であったり、都市的社会になじまない体質であったり、或いは都市に繰り出した強固な目的であったりした場合、彼が冷静に都市的社会の衆目を省みないのは当然のことである。単純に社会の意識から、都市社会と村落共同体は区別できる。
 すなわち、視野である。商売にせよ宗教活動にせよ、或いは別の何かを働きかけるときも、前者が名も知らぬ顔も知らぬ個人でない大勢の大衆に働きかけることを考えるのに対し、後者は名前と顔を明らかにできる特定の個人を対称に考える分、人数的に制限がある。前者は少数者や彼の特別な事例など省略して考える。後者は一人の聴衆の感化に勤めるが、残り九九人は相互に無視することを許すのである。
 英雄にも政治にも歴史にも国家にも興味を持たない、なんら社会に積極的な問題意識を持たない都市社会の住人が一般化する中で、演説という手段が多数の人をひきつけることはまずありえない。だがこれは都市社会で育った新世代の常識であって、その他少数には認知されなかったのだ。結果として、そのような少数派が演説し、そのような少数派がこれを立って聞くという状況が発生する。これが小社会を形成する循環となる。

 個人には制約がある。指導者は個人とみなされるが、彼が有名になるためには無名で無数の多数が必要になる。
 都市社会には、大衆への宣伝という方法論が確立される。メディアである。メディアが流した情報を疑うのは人口の半数はいまいし、大々的に宣伝されたことが嘘であると気付くものはほとんどいない。
 そして、何よりも直接的行動・身体的積極性を嫌う都市の若者にあっては、彼が社会思想に関心を持ったとき、まず考えるのはこのメディアの影響力である。これは直接に個人に働きかけることなく、個人のいない大衆を一挙に獲得することを常に問題とし、あくまで冷静に、熱狂を嫌う多くのものの支持を集めることができる。

 都市社会固有の人々が、熱狂や共同体主義的な傾向を嫌うのは、村落共同体のものには理解できないかもしれない。だが、彼らに個人的に対話することなく、メディアを通じて理性と感情に思想を呼びかけた小林よしのり氏の成功は、まさにこの点にあるといって良いだろう。彼は個人への呼びかけをしたのではない。読者諸君への呼びかけをしたのである。その結果、冷静な思想を好む都市部の社会問題意識者の支持は彼に集まることとなった。
 そして、都市社会の若年層には潜在的に、彼の支持者が一分いてもおかしくなかろう。だが、彼らが既存路線のウヨクの行動を芳しく思っていないことは明らかである。なんとなれば、現実的に都市社会において我々の主張を貶めるのは、彼らの行動によるところが大きいからである。少なくとも新世代において天皇主義がさんざんないわれようであることに関して、彼らは事態の悪化にしかつとめていない。

 伝統主義者全体にいえることがある。もはや、彼らのような反動派と、我々社会一般への浸透を目指す志向の持ち主とは同じではいられない。どうしたら、この社会を変えていくことができるだろうか。この単純な疑問さえ、守旧的な国体派は今まで考えられなかったのである。
 結局我々は、そもそもがこの視点にたどり着く前に思想的に頓挫している。まさか我々は、社会的に孤立した異集団を養うために、天皇論なり国体論なりを起こしてきたのであろうか。そうではない。守旧派を含め、社会全体を問題意識の対象として、何らかの影響を持ちたいと考えるものは、今や守旧派とは別の立場であることを社会に向けて表明せざるを得ないのだ。

 我々は、社会一般を目指し、都市社会全体を目指し、新世代への浸透を目指し、冷静な思想を目指し、メディアを目指す。それ以外、この閉塞的な状況を打破できる道はないと考える。

 ムネカミ

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by shikisima594 | 2007-04-08 23:59
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