皇国史観と唯物史観
今の日本には様々な歴史観がある。何に重点を置き、どの価値規範に準拠するか、また社会・歴史の発展をいかに説明するか、過去の事象に対していかなる見解を持つかにより歴史観は分別される。 今回は、その中から二つの歴史観を取り上げて比較検討し、その矛盾に関して私見を述べたい。

皇国史観…我が会の名前にもなっている歴史観であり、簡単に言うなら、日本の歴史とは 天皇を中心に戴き、 天皇と国民が一体となって、国体の精華を発揮し、あゆんできた歴史であるとする歴史観である。通俗的には、戦前に東京帝国大学で教鞭をとっていた平泉澄博士を中心とした保守派歴史学者の歴史観とされているが、平泉博士自身は自分の歴史観を「皇国史観」と言ったことはない。

唯物史観…ヘーゲルの弁証法を唯物論を用いて批判的に発展させた歴史観で、弁証法的唯物史観といい、十九世紀に共産主義の父マルクスによって考えられ、共産主義者の歴史観となる。この世界全体は自然発展の過程にあり、社会の内部矛盾により社会発展が発生すると考えた。

既に、これら二つの歴史観はマイナーな歴史観となっている現状は否めない。皇国史観は大東亜戦争の終結を以て、唯物史観はソビエトをはじめとする東側社会主義圏の崩壊により、学問的探究に値せず、と看做され、それぞれの立場を喪失し、保革両陣営はこれらの歴史観に代る新しい歴史観を打ち立てる作業に勤しんできた。

しかし、これらの歴史観が政治的条件の変遷のみにより、内実の検証なく否定されてしまう事自体が、学問的態度に反する様に思える。最近では、保守的歴史観を批判する時に「それは皇国史観だ!」という声が左側から聞こえ、革新的歴史観を批判する時に「それは唯物史観だ!」という声が右側から聞こえる。では、それぞれ罵声を投げ合う者に、「皇国史観とはなにか?唯物史観とはなにか?」と聞いた時、満足のいく回答が如何ほど得られるだろうか。

これらの歴史観は全く以て相反する歴史観のように認識されている。事実、皇国史観と唯物史観は相容れない歴史観である。しかし、私は最近になって興味深い事に気付いた。それは、唯物史観が皇国史観の正統性を証明する手段となる、ということである。

唯物史観において、社会は弁証法的発展によって変化し、進歩して行く。単独で生活していた哺乳類が自らの生存・繁殖を目的とし、これを合理的に遂げる群を形成し、確実な補食を目的として特定の場所に定住し生産を行った。(むろん、騎馬遊牧民のような存在もあるが、それらが集団を形成し、何らかの生産を行っていたという事実には相違ない。)群には秩序と効率が求められ、リーダーが立てられる。さらにこの集団が発展し、大きくなり、国家とよべるものとなる。そこには統治者と、その周辺に居る権力者達の集団による支配階級と、農民や職人などの被支配階級に分化する。これらの状態の変化は、存在と周辺との関係における矛盾の弁証法的発展からなされている。

支配階級が被支配階級に対して過酷な支配を行い、それらの階級間に矛盾が生じ、その弁証法的発展として、被支配階級が蜂起し、統治者と権力者達は斥けられる。これにより封建制社会は崩壊し、共和制ないしは民主制に移行する。このように歴史とは矛盾の弁証法的発展により進歩してきたとするのが唯物史観である。

こうした歴史観を有する唯物史観論者、いわゆる共産主義者は、「 天皇制は搾取・抑圧・差別の元凶であり、階級社会・資本主義社会の象徴であり、打倒すべきであるし、そうされるだろう」と主張している。こうした主張は大東亜戦争後の昭和二十年代から昭和五十年代にかけて特に活発になされ、現在でもラディカルでコアな共産主義者達が主張している。戦後直後のアーノミー的に風潮から、こうした主張が発生したにせよ、それらは現在の日本でも特定の勢力と影響を有している。これらの観点から書かれた本は、図書館に行けば甚大な量があるので容易に確認できるだろう。

しかし、前述の共産主義者達の主張が正しいとするならば、この唯物史観的天皇観は一つの矛盾に突き当たる。それは、搾取・抑圧云々といった元凶であり、国民との矛盾関係にあるとされる 天皇が何故、2666年間の皇統を誇って現存し、しかも尚、この存在を倒そうとする兆しが見えないのか、である。

フランス王制を例に取る。西暦1598年に成立したブルボン朝は、王族と貴族、聖職者が国民に多くの負担を強いて、これを支配し、ルイ14世の時代には多くの対外戦争を起こし、その挙句に多くの領土を失い国民に多大な犠牲を与えた。このように王・貴族階級と一般国民との間には矛盾関係が存在した。ルイ14世の後、十八世紀初頭より王朝は衰退期を迎え、1792年に共和国宣言により王制は廃止され、翌年1月21日、ルイ16世は処刑される。

衰退期から数えて約80年。成立から廃止までにしても僅か194年の時間で矛盾は弁証法的発展を遂げた。これはどこの国の王朝や政権にしても、若干長短の差こそあれ、ひとたび国民と統治者の間に矛盾が生じれば、それは矛盾を蒙る者達により矛盾関係は清算される。 では、 天皇が2666年も君臨されているのは、日本人が他国の民に比べて極めて劣っており、矛盾を認識する知能も蜂起する勇気も力も無いからなのだろうか。それとも、 天皇を利用する支配階級が矛盾関係清算に立ち上がる国民を無理矢理武力で二千年以上にわたり封じ込めてきたからなのだろうか。

答えは明らかだろう。 日本には有史以来、国体に対する弁証法的発展は発生していない。故に 皇室と国民の間には矛盾関係は存在しない。それはつまり、 天皇と国民が一体となり、国体の精華を発揮してきた歴史的事実が存在するからである。もちろん過去には 武烈天皇のように、徳の欠けられた 天皇や、大友皇子と大海人皇子との間の、皇位継承争い壬申の乱や、南北朝時代のような歴史もあるが、それらの不幸な出来事を当時の人々が如何に反省し、 天皇と国民との関係、日本の国体はどのように発展してきたかに目を向ければ、より一層、矛盾関係の不在は明らかになるだろう。
これらの事より、唯物史観の弁証法的論法を用いて、皇国史観=日本国体が正統であることが論証される。

むろん、この結論よりも大切なのは、どうやって今後この国体を護持し、皇国史観を確立し、後世に伝えて行くかということである。そのためには国体に対する弁証法的発展=革命を起こさないために、 天皇と社会矛盾が直結する様な事態が起きない様に注意を怠らない事と、過去の権力者と 天皇との関係を研究し、その問題点などを研究する事が肝要であると思われる。

簡単に言ってしまえば、 皇室と国民の良い関係、すべての日本人が住み良い日本を守っていくということである。それを見据えて行く事が、皇国史観顕現・共産主義的唯物史観克服の道である。
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by shikisima594 | 2006-01-27 13:46 | 随想・雑記
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