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1月27日、皇国史観研究会定例勉強会
1月27日、皇国史観研究会の定例会が国士舘大学世田谷校舎でありました。今回は、以前にこのブログでも紹介した軍神杉本五郎中佐遺著『大義』の概要に関して、会員から発表が行われ、その後、皆で大義の内容に関して活発な質疑と各自の思う所を発表しあいました。
私たちが「日本とは何か?」という事を真剣に考えるとき、決して 天皇という日本の根本とでも申すべき御存在を避けて通ることはできません。そして、その 天皇に対し奉り、尊皇精神極北の大文字とでもいうべき物が、じつに杉本五郎中佐の『大義』ではないでしょうか。

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              ↑戦死三日前の杉本五郎中佐

以下に当日の討議用資料を掲載します。

「軍神杉本五郎中佐のあらまし」  
 明治三十三年五月二十五日(大楠公が湊川で戦死した日)に広島県安佐群に、杉本五郎中佐は生まれた。市立天満小学校、私立修道中学校から陸軍士官学校(第三十三期)を卒業し、昭和六年に補歩兵第十一連隊中隊長に就任。同十二年九月に支那で壮烈な戦死、享年三十八歳。死後、中佐の遺品の軍刀は 昭和天皇の天覧に供せられ、陛下は「そのような忠義の者もおったか」と感嘆されたという。
杉本中佐は士官学校に入学した初めの時、東京の禅道場を訪ね、平松亮郷老師に禅を学び、士官学校で夜中に皆が寝静まった後に風呂場で坐禅をしていた。士官学校を卒業して広島に帰ったあとは臨済宗大本山の仏通寺に出征直前まで約二十年近くにわたり、中央方面への転勤の話しも断って参禅し続けた。大義の中に仏教的語句が多いのはこのためである。
 杉本中佐の参禅していた仏通寺管長山崎盆洲は杉本中佐の人柄の一端を偲ばせる話しを遺している「(中佐は)部下を可愛がることは深切を極めてゐた。兵士には貧しい百姓の子弟が多いので、よく農民の生活状態について心配して居つたらしい。天津へ出動して行つた時には、自分の中隊の兵の家庭をよく調べて置いて、無名で自分の俸給の一部をさいてその家庭に送金してゐた。」そのためか中佐は軍服以外はいつもボロボロの服を着て、何でも文句を言わずに食べていたという。
 常に剣術、坐禅、読書だけは怠らず、楠木正成、吉田松陰、乃木希典を尊敬し、橘曙覧の歌を好んでいた。

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             ↑杉本中佐の筆跡(第十八章「皇国民の定義」)

「大義の書かれた時代背景」
 大義は昭和十一年夏より、翌年の九月十四日まで、約一年にわたり記されたものである。この昭和十一年の二月には、いわゆる二・二六事件が起き、明治の末期から行われていた 天皇機関説論争(東京帝国大学の上杉慎吉博士と美濃部達吉博士による)が社会的に広く認識され、北一輝を首魁とする国家社会主義的風潮や、ソビエトの手先である日本共産党が主導する共産主義運動が台頭し、大きな問題となっていた頃である。
 これらの事柄に憂慮を抱いた杉本五郎大尉(当時)が、自分の子供達と部下達のために、正しい日本人の道として書いたのが大義である。
 これは緒言が「吾児孫の以て依るべき大道を直指す」にはじまり、「歳々大義の滅し去ること、掌を指すよりも明白なり」と書き、本文においても度々二・二六事件や 天皇機関説に言及していることから、こうした時代背景が中佐をして大義執筆に導いた事は明らかである。

「大義の影響」  
 大義は昭和十三年二月に平凡社から発行され、昭和二十年の敗戦までに百二十三万部が発行され、若者を中心に熱狂的に広まった。当時、大義を読み、大きな影響を受けた作家の城山三郎は、戦後『大義の末』を書いている。当時は学校の生徒から若い教師に至るまで、ほとんどの者が大義を読んでおり、戦線に赴く友人に大義を贈っていたことなど、当時の若者や兵士が大義を心の拠り所としていた事が書かれている。
 敗戦後、日本を占領したGHQは、何冊もの本を発行・販売・譲渡禁止にして焚書扱いにした。もちろん大義もこの処分を受けたが、民間の有志達により何度も復刊された。
 戦前・戦後を通して維新運動を展開し、敗戦を獄中で迎えた中村武彦氏は自著『私の昭和史』で敗戦直後に獄中に面会に来た妻と会った時の事として次の様に書いている。「(妻の)別れてまだ二十日足らずの間に別人のように痩せて蒼ざめた姿には愕然とした。妻の方でも真赤な獄衣を着た私を見てショックだったようだが、ともあれお互いに運命に従って懸命に生きよう、軍神杉本中佐の『汝我を見んと要せば尊皇に生きよ、尊皇精神ある処 常に我在り』(原文ママ)という言葉をそのまま我々の言葉としよう。」このように大義は戦後においても維新者の心の支えであった。また、大義の名を冠した民族派団体が何団体も創設されたことから、大義が如何に長期にわたり大きな影響を及ぼしたかが分かる。

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             ↑杉本中佐所属の連帯営舎と家訓

「大義の現代における思想的位置付け」
 現代では大義自体が殆ど忘れ去られているが、その中で大義を取り上げ、思想としての位置付けをしている者もある。評論家の吉本隆明、浅羽通明などのリベラル派は、大義を「ナショナリズム」、その中でも取り分け「超国家主義」に分類している。
 大義第九章国防には、「万邦無比の国体たる 皇国には、自ら万邦無比の国防真義なかるべからず。万邦無比ならば、正に無比なる大精神に生くること、是れ 皇国国防の基調なり。八紘は 天皇の所有なり。何をか国家の独立永昌といふや」とあり、さらに明快に「 天皇は国家のためのものにあらず、国家は 天皇のためにあり。」と書いている。大義は通俗的に言う所のナショナリズムでは分類出来ない思想的次元に存在し、その根本は 天皇主義とでも言うべきものである。
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by shikisima594 | 2006-01-28 12:42 | 活動報告
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