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文化国粋主義という考え方 〇一九
 ここに連載し説明している文化国粋主義とは、私のもつ社会的理想の仮称である。
 ここでは、本論にとって重要な補足を施している。

 前二回分の提言は、いまや総括の運びとなる。それを以下に記すことにする。

 我々は、まずある民族の規定が、自己内部と他者との二つの規定によっていると説いた。前者とは、民族が論理としてもつ、集団を形成するための目的を含む思想を表す。精神や倫理或いは論理における、独自性の根拠である。
 だが、もう一方には、より客観的な視点からの分別がある。つまり、内面の論理に対して、外面の現実の文化的な差異という事実や、現象である。実は、一般にこちらのほうが寄り民族間を隔てる効果が大きい。現実の差異は、明らかに民族の規定に、そしてその意識に多大な影響力を持っている。したがって、そのような文化的差異は複数の体系がなければ、民族は自己規定、ひいては存在ができない。

 これは畢竟、次のように結論する。すなわち民族は、他の民族の存在を希求する。

 このような考えを深化させれば、民族はできうる限り多い状態を求める性質があることになる。
 諸民族は、それが運命共同体であると考えることが可能になるとき、初めて悪意に満ちた民族混合主義や、民族という存在を無視する国際的慣習に対して、一石を投じることができるようになるのである。換言すれば、諸民族が共同して民族を重要なものとみなすことで歩調をあわせれば、そこに始めて統一された論理のもとに、民族の共存が行われる可能性が開かれるのである。そのように考えなければならないし、そのように考えるのが理想的である。

 我々はまず暫定的に、民族に最大の価値をおく。それは然るに相対の必然があって、全ての民族は等しく最高の価値を持つということになる。民族解放は、世界の普遍的な願いであった。しかしながらその論理的具体性については、現在までほとんど提起されたことがなかった。我々の考えでは、この試論は、その思想を補完する役割を満たしうる。

 しかし、我々はもう一つ重要な視点を持つ。
 これまでに私は、民族の物質的差異が民族の際を際立たせるのだといった。しかも、我々の当初の了解しては、各民族に属する社会をあまねくその民族風にするという指向もあったし、現代娯楽、いわゆるポップカルチャーとしての活動は重要であると指摘した。
 そしてこれに関連し、このような考えも重要な要素と認めるべきではないだろうか。つまり、互いの民族の文化国粋主義活動が、互いの活動に影響を与えるという展望である。我々はそのようなことを希求する。世界的な流れとして起こるものは、それ自体の魔力によって、どの文化においても積極的意味を生ずることになるのである。それが斬新なものであるとしたら、その効果はもっと大きな可能性を含むに至るはずである。また、相対的に技術を比較する上で、他者の民族はどうしても参照しなければならない。もちろん、一定の風文化もそれと同じく、外国を参考にして、本国の文化を再構築できる可能性は大いにありうる。

 こうして我々に、新たな指向が結ばれた。なんとなれば、それは次のような方向性である。

 一三、他民族にも同調を促す。

 我々は、民族の自立と維持を一つの目標に掲げる文化国粋主義の、論理と理想及び方法論を、他の民族にも普及し発展させながら、民族の世界を構築することを望む。そして、そのように目的を一般化することで、民族主義は統一した勢力としての立場を堅持しうるのである。
 この補足の冒頭に書いたとおり、我々の目標の一つは、文化国粋主義による、世界大での民族主義の連帯である。すなわち全ての民族の生存権意識である。我々は、多数の民族の共存共栄をめざさなければならない。

 かくすればようやく、この現代にあっては、八紘為宇の必要性が説明されるのではなかろうか。

 ムネカミ

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by shikisima594 | 2007-05-11 23:59
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