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親思うこころ
 会津若松で、十七歳の少年が母親を殺害するという、実にショッキングな事件が起きた。子による親殺しは何もこれが初めてではないが、今回の事件はその手口の内容が、ここで重ねて記すのも躊躇われるほど余りにも凄惨であった。

 およそ子供以前に、人間の行為ではなく、まさしく鬼畜の類いの所行である。この殺害に至る経緯と、この母親の人柄を自分は知る所ではないが、いかなる理由があれ、自分を産んでくれた母親をこのように殺すのは尋常ではない。

 そして、先日来、話題になっているが、「赤ちゃんポスト」をはじめたところ、父親と見られる男性が自分の三歳の子供を置いていく事件があった。「赤ちゃんポスト」は乳児を想定したいたため、こうした三歳の幼児は想定外であったという。

 この他にも、大阪では若い夫婦が、一才の子供をバイクの座席下に入れっぱなしに死なせると言う、にわかには信じ難い事件があった。その理由も、自分がパチンコをするという身勝手極まりないもので、まるで子供を荷物のように扱っている。しかも死んでしまった子供の死体を山に捨てるというのだから、この親など動物と同じである。

 このような親がいる限り、こうした親の子供たちは、“邪魔”になった我が子を「赤ちゃんポスト」に捨てて行くだろうし、「赤ちゃんポスト」がこうした倫理なき社会構造を助長することは明白であろう。まことに現代日本の親子関係は「修羅」とでも言うべき陰惨な様相を呈している。

 こうした親や子を動物と同じである、と言ったが、しかし、実際の動物を見ていただければ分かるが、哺乳類は肉食動物の牙から身を挺して我が子を守るし、凶暴に思われている爬虫類のワニなどは、群れに危険が迫ると、子ワニを口にくわえて安全なところにつれていくという。

 そして、魚の中には、危険が迫ると小魚たちを自分の体内にかくまって守る魚がいる。そう考えると、この大阪の親のように、我が子を虐待して殺す親は動物以下ではないか。子煩悩なワニのツメの垢でも煎じて飲ませるか、ワニに頭を噛まれて反省した方がいい。

 幕末の維新者、吉田松陰先生は、「凡そ生れて人たらば、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし。蓋し人には五倫あり、而して君臣父子を最も大なりと為す。故に人の人たる所以は忠孝を本と為す。」と説かれたが、今や、人と禽獣の差違以前の次元を徘徊している人の形をした連中が子供を産んでいるのではないか。

 そして、明治天皇が示された教育勅語を拝すると、その一節に「父母に孝に」とのみ記されている。しかし、「親は子に云々すべし」とは書かれていない。それは同時に、親が子を慈しむのは、それ以前の当然のことであるから、「親が子に云々すべし」と記されていないのである。

 その親があたえてくれた、無償無限の慈しみに少しでも応えるのが、「孝」という概念であるが、本来それは子がいくら思って、行じても、親の与えてくれる慈しみを超えるものではないのである。

吉田松陰先生辞世
 親思ふ こころにまさる 親ごころ
        今日の訪れ 何ときくらん

 安政の大獄に連座した吉田松陰先生は、ついに刑場の露と消えられる事となったが、その時、まっさきに頭に浮かんだのは両親の顔であった。自分がいくら親を思う気持ちがあっても、その気持ちよりも遥かに強く自分の事を思っていてくれた両親。

 その両親よりも先に自分が死んでしまう。その不孝の無念さと、子を思う親心と、親を思う子の純粋な思いが見事に歌われている。我々日本人が親子の鏡として立ち帰るべき精神は、実にこういった精神ではなかろうか。

タカユキ

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by shikisima594 | 2007-05-20 23:33 | 随想・雑記
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