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「この国」といえる精神
  なぜかわが国の評論家といわれる連中というのは、わが国のことを「この国は~」といいながら自分が信奉している国家と対比しようとする。それにしても、よくよく考えてみればオカシイ言葉の使いまわし方である。己という存在がさも他国から見たような視点に立ち、わが国のことに一家言持っているかのように使いまわすのである。まるで他国の人間のようにだ。

 自分の考え方として、西欧人だろうがシナ人だろうがアフリカのどこかの土俗だろうが関係なく自分たちが持つ言葉というのは自分の持つアイデンティティに即したものからしか出てこないのではないかと思う。むしろ、それが当たり前ではないだろうか?どんなに世界が拝金世界主義が流布されている状況でもあってもだ。拝金世界主義がこの世界を覆ったとしても、シナ人は中華思想を捨て得ないだろうし、西欧人はキリスト教を基軸とした白人至上主義を捨て得ないだろう。そこには確立した土台が存在しているからである。

 では、なぜ日本の知識人及び評論家というものはその土台を無くすことで他者の利益を作り出そうとするのだろうか?そこには卑屈な奴隷根性があるのではないだろうか?日本人というものは不思議に一番であろうと考えないでその圧倒的強者の下にいることで自分の立場及び利益を温存して生きようとする、我々のいう英雄というのは二タイプに分かれる。圧倒的強者として台頭し、成功し続けてきた人間か。または、分散されていた力を小さく利益をまとめていくことで気づいたら大いなる存在とかしていた人間かの二つである。

 我々は本能的に前者の立場の人間にあこがれるが、本当は後者の形で成功したいと考えている。また、前者のタイプは日本の歴史上では裏切られて潰されてしまうという形のほうが圧倒的に多い、日本人は本能的に識っているのである。故に口頭では非日本人的なことをいい、さも自分がインテリのように飾っているがその実は最も日本人として恥ずべき点を露骨に出している行為に他ならないのである。

 わが国のことを「この国」という連中は国家そのものの善性を信じていないのである。まあ、自分も国家主義ではなく、社会主義者であるので国家の善性というのをあまり信じていないものの国家が善性を持っていない存在であるならばどの国も金正日体制化し、不当な王制が展開されているに違いないだろう。全ての軍隊、警察機構などは単なる略奪組織になり、正に混乱期のシナの状態に世界中の国家がそうなっているだろう。上に政策されば、下に対策ありという世界が展開されているだろう。

 国家の最大の善性というものを考えるのであれば、細かいクニというものに対して明文化されたもので厳しく制限させないことである。クニというものを潰していけばそれこそ、革命や国家の崩壊を導く行為をするのと同じだからである。故に法律というものはほんの一部の反則者に対してだけ適用されるのである。

 自分の国を「この国」と言えてしまうのは第三者だけである。その国に属していないモノだけが言える言葉である。自分の国を「この国」といえてしまうのは自分たちがそのように「わが国」を作ってきたからに違いないであろう。自分の国を「この国」といえてしまう人間を作るのは我々の世代で最後にしたいと思う。

 文責 〇〇おじさん

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by shikisima594 | 2007-06-13 12:59 | 随想・雑記
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