『反米という作法』
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政治、経済、歴史、文化…これらに関する事を日本で語ろうとした時には、必ずアメリカの影がつきまとい、それから逃れることは容易ではない。また、保守にせよ革新にせよ、オピニオンリーダーを気取ろうとする論者は、アメリカに対してどのような姿勢を取るかを決めざるをえない。それほどまでに、アメリカという存在はデカイ。

この『反米という作法』は、今から四年前の平成十四年に小学館から刊行された本で、前年にアメリカで起きた9.11同時多発テロ後に言論界で活発に展開された、対米関係を巡る議論を受けて、小林よしのり氏と西部邁氏の対談をまとめたものである。

その題名が示す様に、本書は日本の対米関係の一つのあり方として、反米を一つの「作法」として提議している。本書の帯には「クソリアリズムより理想を語れ」とあるように、全編を通して流れるのは両名の、明確な日本の理想と思想に対する誠実さである。

9.11テロとアメリカのアフガニスタンへの報復攻撃が始まると、自称保守論客達は「テロは文明社会への挑戦だ」「自由と民主主義を守るために戦わなければならない」と声高に主張し始めた。そして、両名のようにアメリカの遣り方を批判する者には、「今は反米を言うべきではない」「日本はアメリカに従属して行かなければならない」といった批判をした。

こうした自称保守の主張は、当時の自分にとって限りなく空々しく欺瞞と偽善に満ちた、役者の言葉のように聞こえた。彼らの詭弁の怪しさは感じていたが、では具体的にどこが誤りであり、日本人は何を主張していくべきであるか。そう考えたときに、本書は絶好の手引きであった。

政治と思想の決定的違いは、妥協の有無である。政治は妥協を前提とし、思想は妥協の無いものである。東西冷戦下において、共産主義の脅威の前に親米主義はある程度必要であった。しかし、冷戦構造崩壊後も親米を保守主義の教義であるかのように履違えていることが、政治と思想の境界を突き崩し、保守思想の退廃を招いているのではないか。

政治的判断により保守主義が捩じ曲げられる状況が続けば、日本のアイデンティティは壊死してしまう。かつて、大東亜戦争においてはガダルカナル、硫黄島、ペリリュー島、沖縄で多くの先人達がアメリカには絶対に屈しない決意を玉砕という形で示してみせた。

その子孫達が政治的判断でアメリカに屈服する現状を容認してよいのだろうか。そうした意味で、本書は多くの自分と同じ若者に読まれる事を願ってやまない。若者が国際情勢の現実と葛藤し、大いに理想を語るようにならなければ、日本に明日は無い。
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by shikisima594 | 2006-01-30 11:36 | 読書録
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