皇紀を使って悪いか?
もう期末試験も卒業論文も終り、大学生は一息ついてるころだ。かく言う自分も試験が終りホッとしたいところだが、聞き捨てならない事が起きた。
先日、皇国史観研究会所属の四年生が、卒業論文に皇紀を使用していたことを教授から咎められた。その教授いわく。「皇紀は非科学的であり、皇国史観につながるから使うべきでない。西暦を使用すべきである」ということらしい。

まさかその教授も、その学生が皇国史観研究会会員だとは思わなかっただろうが、その会員は「そんな事を言ったら西暦が正確である事も怪しいのではないですか」と反論した。するとその教授は「皇紀より西暦の方が誤差が少ないから、西暦を使うべきである」と言って譲らない。

西暦はキリストの誕生から数えられているとされているが、実際は四年程早く数えているのは有名な話しだ。だったら元号を用いれば良いだけの話しになる。元号は明治以降 天皇陛下の御即位に合わせて定められているから正確だ。しかし、長い歴史をふりかえる時に不便な点があるのは否めない。寛徳二年は皇紀に換算して何年か?正解は一七〇五年。

このように時の 天皇にあわせて数える元号は正確で詳細な知識がなければ具体的な時間を把握する事が難しい。あの朝日新聞元記者である本多勝一のような左よりですら「元号よりも皇紀の方が合理的」と言っているらしい。

では、ずーっと通して数える暦の方が良いとするなら、西暦よりもずっと正確で誤差が無い暦がある。中華民国や北朝鮮のような新興国家が建国から数えている暦の方が遥かに正確だ。しかし他国の人は誰もそんな暦は使わない。そこには正確さ以外の重要な要素が欠落しているからだ。

それは自らの共同体に根差した歴史意識である。世界には西暦以外にも多くの暦がある。ユダヤ暦、仏歴、ヒジュラ歴、イスラム暦、ペルシャ暦、スペイン暦、マケドニア暦、檀君暦などなど…これらの暦に共通しているのは、自らの民族や信仰の物語を基準としている点であり、科学的正確性を云々するものではない。

そもそも、日本の皇紀は 初代神武天皇の橿原宮御即位を元年としている。これ自体に科学的根拠が無いのは事実であるが、 神武天皇即位の西暦紀元前六六〇年を日本の元年としたのには理由がある。

古来支那には讖緯の学という運命を予想する学問があった。これは、辛酉の年は人生の大きな変わり目であること。一二六〇年を節目として時代は転換すること。といった考えである。それが聖徳太子の時代に日本に伝わり、時の 推古天皇が即位されてから九年後の辛酉の年から一二六〇年を差し引いて 神武天皇御即位の年とした。

だからといって、皇紀が非科学的であるから使うな、というのは間違いである。私たちは様々な理由があるにせよ、日本の建国を今から二六六六年前とした先人達の考えと、それを現在まで伝えてきた祖先の思いを尊重しなければならない。それはキリスト教圏の人々がキリストを信仰して西暦を用い、ユダヤ教徒がユダヤ暦を使い、朝鮮の人々が檀君暦を使っているのと同じように、自分を育んでくれた存在への共属意識の発露である。
[PR]
by shikisima594 | 2006-01-31 20:34 | 随想・雑記
<< 紀元節奉祝式典の御案内 『反米という作法』 >>