世界の言語国粋化運動
 日本語を大和言葉で、というのは私が以前から主張してきたことであるが、実は私以外にもそのような事を考える人々がいる。とはいっても、これから紹介する同志たちは、私たちの民族の者ではない。
 言語の純化という運動は、体制派にしろ国民の些細な運動にしろ、世界中あちらこちらで試みられてきた事である。その際、重要な事実として、これは全く平和的な運動であったことをお知らせしておきたい。というのも、言語純化というものは、その言語を話すものにとって、消極的な反対こそあれ、内戦を起こしてまでそれに反対する正当性など無いのである。然るに、それに対する反対というものは、唯一その運動に対する何とない反感や興味のないところによるのであり、なべて保守主義的な反応である。

 ドイツ人の諸邦において、三〇〇年前に生み出された民族語協会は重要な歴史要素である。その会は、フランスなどの言語教会に刺激されて生まれたものであることは疑いようが無いが、現在のドイツ語にも若干継承されているフィリップ・フォン・ツェーゼンの造語は、まさしく彼の国語純化の意思によるものだった。
 ナポレオンのもたらした普遍主義が、ドイツ語の標準語創設と純化および発展を志した人物を生み出したことを最近知った。ヨアヒム・ハインリヒ・カンペは、ジャコバン派の博愛主義者の一人で、数多くの言語純化論者の中でも黎明期に位置する言説を持つらしい。彼は二五〇年ほど前に人物であるが、ドイツで本格的にそれらが始まったのは二〇〇年ほど前である。

 アングリッシュといっても、ご存知の方は少なかろう。これは、最近起こっているアングロサクソン語たるイングランド語を純化しようという運動であり、その言語である。合成語が多いが、ドイツ語のようにてにをはを取り込んで単語化しないため、冗長な熟語が多くなる傾向にあるようだ。だが、大半はそのような置き換えと、若干の造語で済む事が分かっている。どうも、英国でなく、オーストラリアで始まっているらしい。

 アイスランド語は、屈折語の特色で、名詞が格変化により若干異なるだけで文法的表現になる。このため、新しい単語でも既存の言語体系の延長である事が望ましく、そういう必要性から体系的に全ての語彙をアイスランド語化している。ちなみに、北欧神話の経典とも言うべきエッダはこの地にあったのであり、ここは明らかに北欧の純粋な文化を保っている。
 最近では、ハーフロンスカと呼ばれる運動があり、上記の体系にもれた外来語や、なかには固有語さえも約しようとしているらしいが、参加者はすこぶる少ないそうだ。かの国ではメディアが面白がって話題にするという。満洲のハルビンはÁrbakkaborg、ハワイイの島々はStórdyngjueyjar、日本からは広島がBreiðeyjarhöfn、本州はHöfuðey と訳された。

 以上にあげたのは、言語学上全て印欧語族ゲルマン語派に当たるが、勿論他言語も例に取ることができる。

 イスラエルは、知ってのとおり宗教を基礎としたユダヤ人の国家である。しかし、そこには常にヘブライ民族のナショナリズムがあった。ユダヤ教にとって、ヘブライ語は実は神学的に大して重要ではない。勿論優先的ではあったが確たる証左も無く、言語は任意の選択がなされて構わなかった。そして、イスラエルの建国当初まで、ヘブライ語は教会の一部でしか用いられる事のない、全く日常からは乖離していた言語であった。ところが、ロシアから帰還したエリエゼル・ベン・イェフダーは、驚く事にほぼ独力で古典語の現代交互化を図り、彼の息子は、約二千年ぶりのヘブライ語母語話者となった。その後ヘブライ語は、国内の全てとは言わないまでも、現在までに順調に母語話者を獲得しつつある。その発展には、支配的な英語や、ユダヤ・ドイツ語(イディッシュ)からの借用語を常に翻訳している。

 ケマール・アタテュルクがはじめたトルコ語の純化運動も有名な例である。
 中世までに、様々な民族の入り乱れていたアナトリアをはじめとして、トルコ人の定着は終わったが、この時彼らはイスラームを受け入れるとともに、イスラーム文明に支配的なアラビア語とペルシア語も受け入れなければならなかった。
 ところで、ペルシャ語もアラビア語に影響を強いられていたが、ペルシャ語は母音が基本的には六つあったのに対して、アラビア語には三つしかなく、母音をあらわす文字があるものの、ほとんど表記しないという特徴があった。然るにペルシャ人は苦労を重ねていくつかの記号をアラビヤ文字に加え、正書法を編み出したが、後のトルコ語は母音が八つもあったし、母音調和の法則性が整った母音主体の言語だった。中世以降、トルコ人たちが王朝を創設するにつれて、トルコ語の支配的な位置も上昇した事があったが、雅語として発達したオスマン語でさえ、五つの文字に母音表現を押さえ込み、しかもその法則性はかなり怪しく、そのうちの三つの文字はア音エ音をあらわすことがあった。こうした事情から、民間にも広く書けるようにする際は、トルコ語の表記体系が母音字を多く作り出す事が必須である事は疑いようが無かった。ケマールはこの事とあわせて、脱亜入欧を地で行く欧化政策の一環として、ラテン文字を取り入れた。そしてその際、純化は主に、イスラームの高級語彙を言い代えしようとして行われたが、各地の方言や大陸中のトルコ系民族をたずね、音韻法則をあわせてトルコ語を磨き上げた。しかし、高級な権威語はどうしてもアラビア語やペルシャ語に寄らなければ格好が悪いという保守的なイスラーム学者の批判は正当なものであった。これは、日本語にもある傾向だが、今でも高級語彙には、他の文化の影響が強い。権威語は、日常と響きが違う方が扱いやすいのである。そこを外来語に頼るよりも、自国語の古典語に頼った方がよい。トルコ人と日本人は、偶然にも同じ失敗をしている。

 北朝鮮では、朝鮮語の固有語をもとにした造語が盛んにもてはやされた事があり、民族の始祖タングンを祭る近代創生のチョンド教あるいはデジュン教の運動と結んだ事もあったが、これは後に失敗してしまったそうだ。これは主体思想に一環であったらしい。私の読んだところでは、例えば産業の「業」などは、これに変わる表現が無いから残さざるを得ないとして、早々に諦めてしまっている。これは実に残念である。彼らは言語の純粋化とともに、民衆化を推進したのであるが、この基準は相互によく矛盾する。
 南朝鮮の、漢語も全てハングルで表記するようになったことで、外見上外来語がなくなったように見えるからといって全然見向きもしなくなるようなことでは全然軽薄といわざるを得ない。

 ムネカミ
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by shikisima594 | 2007-07-21 23:59
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