大学のサークルにはスポーツ系、文化系、武道系という分類がされる。じゃあ皇国史観研究会は何系なの、と思われるだろう。おそらく大勢の方が文化系サークルだと思われるはずだ。
それで間違いではないが、もっと正確にいえば民族派系サークルである。7月25日の本連載に、国士舘大学OBのもみじ氏がコメントを寄せてくださっているが、国士舘大学には國士拳千唐會、國士拳友會、國防部、大日本國心會、大日本國友會、大日本昭和維新會、日本民族研究会といった錚々たる民族派系サークルがひしめいていた。 これは何も当時の国士舘のみの現象ではなく、昭和30年代後半から40年代にかけて、左翼学生運動のうねりが全国の大学で高まって来るのに対抗する形で、戦後の民族派学生運動が誕生し、日本学生同盟、日本学生会議、全国学生自治体連絡協議会などの巨大な民族派系学生団体が結成される。 当時の資料にあたっても、東京大学、早稲田大学、拓殖大学、日本大学、國學院大學、東洋大学、桜美林大学、駒澤大学といった首都圏の多くの大学にも民族派系サークルと呼ばれるものが誕生し、その一部は後の新右翼と呼ばれる新勢力を形成していく。 しかし、ソ連が崩壊し、冷戦構造が終わりを迎え、各大学で燎原の火のように燃え広がっていた新左翼学生運動が風前の灯火にまで後退してしまうと、「アンチ左翼」「反共」の側面が強かった民族派学生運動も同様に、形骸化し活力を失い衰退していく。 都内の有名大学や中堅大学では珍しくなかった民族派系サークルは、昭和から平成の御代への代替わりの狭間で、次々に消滅していってしまう。その流れとすれ違うように、昭和58年に結成されたのが皇国史観研究会である。 反共やアンチ左翼に終止するのではなく、あくまでも日本はいかなる国であり、そこに生を受けた我々はいかにあるべきかを、硬直して形骸化・自己目的化した運動や議論ではなく、後輩や先輩の別なく自由に切磋琢磨していける集団を目指した。創設にかかわった先生によれば「歌って踊れる民族派学生団体」との事だった。 前置きが長くなったが、そんな経緯で結成された皇国史観研究会。僕が入った頃には国士舘大学唯一の民族派学生サークルで、学内の左翼教授や日和見教授たちからは、かなり煙たがられる存在だった。まあそっちの方がオモシロい。とことんやったろうじゃないかと思ったものだ。 民族派系に限らず、左翼系もそうだが、おおよそ思想をぶち上げるサークルは、どこかの系列にある。既成の新左翼セクトだったり、宗教だったり、既存の民族派団体だったり、なにがしかの“母体”を持っているものだった。僕もそれを少し覚悟していたが、皇国史観研究会には“母体”はなかった。あくまでも学生が主体で、セクト主義とは無縁の非常に珍しいタイプのサークルだった。 僕が入会する二年前の平成14年9月17日。あの歴史的な日朝首脳会談の席上、北朝鮮の金正日が拉致問題を認め、同年10月24日には拉致被害者5名が帰国を果たした。この時から拉致被害者救出運動が盛り上がっていた。それは東京の民族派学生や、保守系学生においても例外ではなかった。 拉致被害者救出集会が何度も開かれ、そこに参加した学生同士のネットワークが出来て、互いに刺激を与えあって、活発な運動が繰り広げられるようになる。平成15年5月14日、早稲田大学で拉致被害者家族などの関係者らを招いて拉致問題を考える集会が開かれ、これに国士舘大学の有志学生らが提携した。 当日は国士舘大学から皇国史観研究会や武道系サークル、応援団が警備として参加した。この時のことを革マル派系の早稲田大学新聞が「会場警備として国士舘大学の体育会系学生がにらみをきかせるなど、物々しいムードにつつまれた。」と書いているから何だか笑ってしまう。 この試みは国士舘大学でも取り組まれて、同年に国士舘大学鶴川校舎の30号館大教室に横田夫妻を招いて講演会をする。この時は立ち見もでて、会場に人が入り切らない大盛況になったというのだからスゴい。 ちなみに、このとき、皇国史観研究会の先輩たちが毎日のように学校が終わったら、ハサミとホッチキスを手に、ブルーリボンづくりの内職に励んでいた事はあまり知られていない、舞台の裏話であるが、この平成15年頃に東京中に出回った数万個ものブルーリボンの多くが、「メイド・イン・コクシカン」である事実を書いておきたい。 こうした拉致被害者救出運動の一番先頭に立っていたのが、衆議院議員の西村真悟代議士であった。その関係からか、こうした運動に加わった学生の多くが西村氏のもとに集って、勉強会や運動に関係していく事になる。皇国史観研究会の先輩も何人か参加して、そこから広い交流を得て、活動の幅を広げて行く。 そうした動きの中で、かつての全国学生自治体連絡協議会の流れを汲む、首都圏学生文化会議が靖国神社で「大東亜戦争戦歿全学徒慰霊祭」というのを催しており、ちょうど平成15年で学徒出陣六十周年で、慰霊祭自体も第二十回という記念すべきものであったので、国士舘大学から皇国史観研究会をはじめ、有志学生ら約25名が参列して、共にお手伝いをさせていただいた。 このように皇国史観研究会の活動は、既存の学生運動的な党派主義とは全く無縁だった事が今更になって思われるのである。写真は、撮影したY君の指だか何かが写りこんでしまっているが、翌年の「第二十一回大東亜戦争戦歿全学徒慰霊祭」が終わった後、靖国神社拝殿前にて、当時の皇国史観研究会一同で撮影した貴重な一枚。 タカユキ
by shikisima594
| 2007-08-01 23:14
| 随想・雑記
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