『実践論・矛盾論』
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史上最大の殺戮者にして共産主義者であった毛沢東。この本は、ただ単に共産主義者としての毛沢東の著書であるばかりではなく、人口数億を抱える中国の天下を取った男である毛沢東が、実践の中から編み出した様々な論理が記された本であり、大変興味深い。日本では連合軍の占領支配が終結した昭和二十七年に大月書店から刊行されている。

もとは、毛沢東が延安の抗日軍事大学で講演した内容をまとめたものであり、若い共産党員に向けて、身近な問題から大きな問題を実践を通して解決する手引きを説き、共産主義唯物論的弁証法についてレーニンの言葉を引き合いにしながら解説している。その中で弁証法を、実際の国々が辿った歴史に当てはめ、毛沢東なりに検証している次のような記述がある。

「なぜ、ロシアでは一九一七年二月のブルジョア民主主義革命が、同年十月革命のプロレタリア主義革命に直接つながっていたのに、フランスのブルジョア革命は社会主義革命に直接つながることがなく、一八七一年のパリ・コミューンは失敗に終わったのか。
またなぜ、モンゴルや中央アジアの遊牧制度が、社会主義と直接つながったのか。なぜ、中国の革命は西欧諸国のとおったふるい歴史的な道をとおる必要がなく、ブルジョア独裁の時期をへる必要がなく、資本主義の前途をさけることができ、社会主義につながることができるのか。
ほかでもなく、これらはすべてそのときの具体的な条件によるのである。一定の必要な条件がそなわっていれば、事物発展の過程には、一定の矛盾がうまれ、しかも、この、あるいはこれらの矛盾は、相互に依存し、相互に転化するのであって、それがないとしたら、すべては不可能である。」(94頁)

これは極めて重要な指摘ではないだろうか、共産中国建国の父・毛沢東自身が中国をはじめ、二十世紀に成立した様々な共産主義国家は、正統な弁証法的歴史発展の過程を経ていないと認めているのだ。当の毛沢東は、その事に関して、それぞれの複雑な矛盾の関係性があってこのような結果が発生する、といった苦しい言い訳をしているが、それでは毛沢東の『矛盾論』自体が矛盾してしまう。 また、次の記述が目にとまった。

「共産党内の正しい思想とあやまった思想との矛盾は、階級が存在しているときには、階級的矛盾の党内への反映である。この矛盾は、はじめのうちとか、あるいは、個々の問題では、すぐに敵対性のものとしてあらわれるとはかぎらない。
だが、階級闘争が発展するにつれて、この矛盾も敵対性のものに発展する可能性がある(中略)
現在わが党内の正しい思想とあやまった思想との矛盾は、敵対的な形態となってあらわれていはいず、もし、あやまりをおかした同志が自分のあやまりをあらためることができるならば、それは敵対性のものにまで発展することはない。 したがって、党は一方であやまった思想にたいし、厳格な闘争をすすめなければならないが、他方では、またあやまりをおかした同志に自覚する機会を十分にあたえるようにしなければならない。」(100〜101頁)

この理論を“実践”した結果が、文化大革命や大躍進政策による自国民六〇〇〇万人(一説には1億人とも言われる)の未曾有の大虐殺であった。そして日本では、毛沢東を信奉する連合赤軍による同志十四人の殺害となった。革命的であらねばならない、との強迫観念が人々の一挙手一投足から「反革命的」な要素を錯覚させ、人間の本質から乖離した規範を適用し、より多くの矛盾を生み出した。

毛沢東は、『矛盾論』の中で、「全ての過程と存在には矛盾が存在する」「社会主義体制においても矛盾は存続する」と言っているが、今の中国と日本を見るにつけ、彼の遺した“矛盾”の禍根は極めて大きいとの思いを強くする。
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by shikisima594 | 2006-02-04 00:08 | 読書録
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