『反米論を撃つ』を撃つ 第三回
さてさて、括弧というのは色々な使い方があり、使う事により様々な意味合いが生じて来る。例えば朝日新聞は 天皇陛下の御言葉を括弧で括り「お言葉」と記す。産経新聞や読売新聞は普通に、括弧で括るような事はしない。これにはどのような意味があるかというと、朝日は 天皇陛下を軽んじており、“お言葉”という単語を使いたくない。しかし、宮内庁や政府から“お言葉”と発表されるので、しぶしぶ「お言葉」と記しているのだ。

今回は『反米論を撃つ』第三章「グラウンド・ゼロ」に背を向ける人々、第四章「ネオコン」という虚像、を取り上げてMr.Tadae TakuboとMr.Yoshihisa Komoriの言説の矛盾を突いていきたい。

古森「寺島氏(引用者註:日本総合研究所理事長の寺島実郎氏)の論調はレトリックによる文体のごまかしが目立ちます。 その手法の一つはカギ括弧の多用です。自分が反対する対象は「力の論理」とか「力こそ正義」などと、カギ括弧にくくり、やたらと単純化、悪魔化します。」(72頁)

なるほど、括弧一つで単純化したり悪魔化したりできるのか。Mr.Yoshihisa Komoriはこのあと、括弧で一つの事象を表現するのを「短絡的な態度」と批判しているが、第五章でMr.Tadae Takuboが真反対の事を言っている。

田久保「(引用者註:小林よしのり氏が)『ブッシュ、ラムズフェルド、チェイニー、そしてライスの四人組は、それにウォルフォヴィッツを加えた五人組でもよいが、ともかくそのギャング(一味)』などと言っています。鍵括弧もつけていない。ブッシュ政権に同情します。」(134頁)

思わず、どっちやねん!と言いたくなってしまう。もはや言い掛かりの類いだが、彼らにとってアメリカを批判する者自体が許せないのであり、括弧をつけようがつけまいがどちらでもよいのだろう。

古森「こういう記述(引用者註:日本が主体的を欠けば、アメリカの“有事”に巻き込まれて行くという寺島氏の主張)は日本とアメリカが安全保障では多数の共通項を有し、共同の防衛努力までを誓っている、つまり日本の有事はアメリカの有事にもなる、という日米協力の基本を無視しています。そういう協力をすることが日本の利益になるという、今の日本の多数派のコンセンサスをも無視しています。結局はアメリカとは協力するな、という趣旨なのです。 だからこそ反米だと言えましょう。」(74頁)

寺島氏は「主体的意志を見失えば」と明言している。(朝日新聞、平成十五年六月二十四日)こんな議論の挙句に「反米」のレッテルを貼られた寺島氏には同情します。また、寺島氏が「テロの芽となりかねない国を『モグラたたき』のごとく個別攻撃しても問題解決にはならない」と書いている事を捉えて、Mr.Yoshihisa Komoriは自らのテロにどう対処するかという考えを披露している。

古森「テロ組織を潰すためのモグラたたきは、どんどんやってもらいたいですね。テロの芽となりかねない国というのは、芽のうちにどんどん摘んでもらいたい。テロになってからでは困ります。」(75頁)

古森「テロリストというのは、話し合いを拒否しているからテロリストなわけです。交渉をしないで、いきなり暴力をふるうのがテロリストです。」(86頁)

まぁ、前回も紹介して書いたが、米原万里氏が指摘している「まったく反撃能力のない国をつぶし続ければ、そう(いう)国はテロという手段しか、恐らく残っていない」という論理が理解出来ないMr.Yoshihisa Komoriらしい論理だ。テロに関しても極めて浅薄な認識だ。僕ごときが言えた立場ではないかもしれないが、弱い立場に置かれた者の心理に考えが及んでいない。「どんどん摘んでもらいたい。」などと言っているが、この主語がアメリカであることは明らかだ。

現在、日本で共謀罪という法案が大きな問題となっている。今までは、犯罪行為がなされてから、その行為に対して法的処罰がされるという仕組みであったが、この共謀罪は、犯罪行為の計画があっただけで処罰するという、既成刑法の常識を逸脱したもので、数多くの批判の声があげられている。

Mr.Yoshihisa Komoriは、アメリカがテロの計画段階か、それ以前の状態に対してでも攻撃して殲滅すべし、と言っているのだ。 僕は今のような考えを持つようになってから耳にタコができるくらい「軍国主義者!」だのなんだのと批判を受けてきたが、その僕からしてもMr.Yoshihisa Komoriの論理は実に大きな違和感を感じざるを得ない。

その後では二人により「ネオコン」という言葉がどれほど日本で誤用されており、本当の「ネオコン」とは何かという説明がされる。このあたりは読んでいて普通に参考になった。

つまり、「ネオコン」とは七十年代から八十年代にかけて存在し、当時のアメリカの対ソ宥和政策に反発して転向した民主党系リベラル派のことであり、反共産主義、軍事力拡大を主張し、後にレーガン政権の思想に同調し吸収されていった人々のことだ。

しかし、通俗的に言われるような「武力を使ってでも民主主義を世界に拡大する」という思想は、「ネオコン」独自のものではなく、レーガン保守主義のことであり、今のブッシュ政権に民主党リベラル派からの転向組はいない、ということを二人は説明している。この「ネオコン」という言葉が取り沙汰されるようになったのは、ロバート・ケーガン著『ネオコンの論理』(光文社)が出版されてからだそうだ。

評論家の立花隆氏が、この『ネオコンの論理』への書評として次のように書いている。「軍事的にも、経済的にも、アメリカが圧倒的なパワーをもって世界を支配しており、これからも当分の間その覇権はゆるぎそうにない。世界がアメリカを中心とする一大帝国として再編されていく過程はこの先もつづくだろう。」これに対してMr.Yoshihisa Komoriは何と言ったか。

古森「このへんは事実の認定と、それに基づく予測として、まあ抵抗のない記述です。」(102頁)

立花氏の記述に対して、事実であり抵抗はない、と言ってのけるとはMr.Yoshihisa Komoriが日本の保守の感性を持ち合わせていないのは明白だ。アメリカが圧倒的軍事力で世界を自分色に塗り替えていくことに抵抗感を抱かない者とは、すでにその軍門に屈服した精神的敗北者だ。

その後、立花氏が「アメリカ人は、あのローマ帝国の時代に、ローマの市民権を持つが故に、いつも世界を帝国市民の立場から考えた人々と同じで、新ローマ帝国の命運を、いつも帝国市民の立場から考えられる人々なのだ。しかし、われわれはこの新ローマ帝国の時代、事実問題として、辺境の民としてあり、これからも辺境の民として生きていかなければならない」と書いている事を捉えて、批判する。

古森「客観的にみて、日本は世界第二位の経済大国であり、G7の主要メンバーです。全世界の百数十カ国に世界でも最高額の経済援助を与えている大国です。そのうえにとっては日本は最も重要な同盟国の一つです。ブッシュ政権は日本を名実ともにそう位置づけています。」(103頁)

だから日本を「辺境」と看做すのはオカシイと言っているのだ。確かにこれらのMr.Yoshihisa Komoriが指摘する事柄は、客観的事実だ。どうみても客観的に日本がアメリカの体のいいパシリに使われているようにしか見えないが…

それでも日本は世界最大最強のアメリカと“協調”してゆくべきだ、とMr.Yoshihisa Komoriは強調する。少し考えてみたが、アメリカを大清帝国に、日本を李氏朝鮮に入れ替えてみると、Mr.Yoshihisa Komoriの主張する事は冊封体制におかれて事大主義に陥った朝鮮の官僚達と同じ思考であることが分かる。こうした主張が現代日本の保守論壇で大手を振って罷り通るようになれば、明治維新以降の我が国の歩みを正当に評価できなくなってしまう。いや、もうなりかけているのか…(つづく)
[PR]
by shikisima594 | 2006-02-09 15:06 | 読書録
<< 『反米論を撃つ』を撃つ 第四回 第七回英霊慰霊顕彰勉強会に参加 >>