『大逆のゲリラ』
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「朝敵」と言われる奴は一杯いる。古くは 崇峻天皇を暗殺した蘇我馬子達や、反逆を繰り返した北条・足利から、明治時代の幸徳秋水一派。そして現在では皇室典範改悪を画策する政府に巣食う一味などなど。

この本の著者である荒岱介と彼が率いた極左過激派「戦旗・共産同」も間違いなく「朝敵」であり、彼らのしたことは疑うべくもない「大逆」だ。彼らが何をしたかは本の帯から紹介する。

「標的は皇居・アメリカ大使館・運輸省・首相官邸-80年代末、数々の火炎弾発射事件で指名手配された男2人の12年間にわたる数奇な逃亡物語。
武闘過激派とは一体なんだったのか。そして、過激であるとは、どれだけ哀しいものか!?」

首相官邸・運輸省はどうでもいい。アメリカ大使館はグッジョブ!だ。しかし皇居だけは許せない。京都御所だって千年近くの間、あんなに低い塀なのに誰も飛び込んで乱入したことがない。昭和61年3月25日、彼らはそこに二発の火炎弾を撃ち込んだ。

とんでもないヤツらだ、大皇に背ける者は天地にいれざる罪ぞ打て粉にせよ、との思いに駆られるところだが、この本は面白い。見沢知廉氏の『ライト・イズ・ライト』の極左版といったところか。一気に読ませる。

この61年3月の火炎弾事件から、警察に「犯人」と睨まれた者と、それをかばう組織の十年近くにわたる逃亡劇が始まる。ある時は山中に逃げ込んで遭難したり、焼き芋屋や竿竹屋をやったり、逃亡させた仲間の母親に「息子を返して!」と詰め寄られたり、火炎放射器の実験で間違って仲間を焼いてしまったりする。本書の中には次のような一節がある。

「まったく別個の世界を夢見る人間は、現世の絆を次々と絶っていかなければならない。しかしその家族の一人一人までが、そう思って生きているわけではない。そこに生まれるギャップは相当なものだ。革命者たらんとする者は、冷ややかに革命者を見る者たちの視線を感じながら苦悶だけを友に生きるのだ」

何とも重い言葉だ。荒をはじめ、「戦旗・共産同」の「革命者」の何人かは、家庭が崩壊し、妻子に捨てられてしまいながらも、共産主義の理想郷実現を夢見て戦っていたのだ。しかし、それだけの代償を払って求め続けた理想郷は昭和から平成の変わり目に世界中で音を立てて崩れ去った。

とにかく、ここまで書いていいのか?と思えるほど失敗も恥部も書いてしまっている。逃亡の途中で社会主義の総本山ソビエトが崩壊し、東欧諸国も改革開放・市場経済導入に向かい、時代はドンドン流れていく。そうした中で彼らは苦悩する。

そして何よりも面白かったのは、その時代の中で彼らが「思想」していることだ。「思想」と簡単に言ってしまうが、これは本を読んだりするだけじゃできない。こうした極左組織に限らず保守系団体や宗教団体でもそうだが、組織や党の関係書籍や雑誌を読んで、そこに書かれている党の理論を「学習」しただけの、教条主義的な死んだイデオロギーを身につけた者が跋扈している。そこに葛藤は存在しない。

ところが、彼らは滅び行く共産主義を見て悩む。今まで信じてきた価値観の崩壊にどう立ち向かうか。そして彼らは一つの結論を出す。その作業をしなかった者達は今でも相変わらずヘルメットをかぶって頑張っている。

とにかく、妻子にも捨てられ、十年近く国家権力に追いかけ回されてでも、人生を捧げて求めてきた価値観を決算しなければならないことほど辛いものはないと思える。しかしそれを彼らはしたのだから立派だ。

このように自らの信念を貫き行動し、その結果に責任を持ち、常に思想することを欠かない姿勢には見習うべきところが大いにある。
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by shikisima594 | 2006-02-21 00:32 | 読書録
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