『反米論を撃つ』を撃つ 第六回
すっかり遅くなってしまったが、前回のつづきで『反米論を撃つ』第六章の後半を取り上げて書いてみたい。あいかわらずMr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriは今までと同じような論理と台詞を振りかざすばかりなので、僕の文章も以前の文とかぶる所があるかもしれない事を断っておく。

まずMr.Yoshihisa Komoriが小林、西部両氏の特徴として、「第一は逆説的に聞こえるかもしれませんが、彼らの反日・嫌日傾向です。第二は人種偏見です。第三は無知とゆがめです。第四はグロテスクなほどの下品さと厚顔無恥、第五は卑劣さです。」(178〜179頁)

人の事を言えた立場か、という気はしなくもないが、こうした前提で二人は西部、小林両氏の矛盾やお粗末な所をあげつらっていくが、かえって自分達のお粗末さを曝け出していて楽しい。

古森「彼ら(引用者註:西部、小林氏)はとくにブッシュ政権が日本に対して、どういう意味を持つのか、どういうプラスがあるのか、という点はまったく語りません。どういう対日政策なのか、ということにも触れません。日本にとって損得という意識がないからでしょう。ブッシュ政権を日本人の視点からみるという姿勢がない。日本の国益から考えるという努力がない。彼らには日本人という要素がきわめて希薄なのです。やはり反日と呼ぶのが適当でしょう。」(182頁)

「日本人という要素」なんて言っているけど、アメリカの対日政策に目を向けて国益のプラスマイナス勘定をしているのが「真の日本人」なのか、エラい薄っぺらで軽い民族だなぁ。民族や国家の重みなど全く感じられない。Mr.Yoshihisa Komoriには、今の自分達にとって損得という意識しかないからでしょう。現状での損得しか考えないのなら動物にでも出来る。

古森「(引用者註:西部、小林氏は)アメリカが嫌いだと連呼するわりにはアメリカ語、英語、あるいは英語ふうのカタカナ語をやたらに使ってますね。」(183頁)

歴史観が欠落しているとばかり思っていたが、Mr.Yoshihisa Komori戦時中の日本政府官僚と同じ発想を持っているようだ。「敵性語の追放」と同じ発想だ。だったら「親米を名乗って恬として恥じないわれら」(203頁)と宣言しているのだから、日本語で対談して日本語で本を出版するんじゃない。

古森「西部氏はさらにアメリカを論じます。『アメリカでは十八世紀まで魔女狩りがあったんです。清教徒の狂信のせいでしょうね』十八世紀というのは、日本では何があったか。大名が土下座の仕方がまずいという理由だけで農民らのクビを平然とはねていたでしょう。」(189頁)

アメリカの魔女狩りの事実を指摘されると、日本だって大名が平然と人のクビをはねていた、と返す。アメリカの擁護をするために日本の歴史的欠点(今の感覚で言えば)を持ち出して来る。これは日本人のすることなのだろうか。例えば次のような文があったとしたらどうだろう。

「中国共産党が文化大革命で大勢の人を殺したと言うけれど、日本軍は中国で数多くの罪なき民衆を殺したじゃないか」

少し極端な例かもしれないが、こんな事を言うのは中国人か一部の狂信的親中派日本人ぐらいだ。ところが、この中国共産党をアメリカに置き換えて同じような理屈を述べれば、あら不思議。日本の保守派の言説として通用してしまう。この構造こそが、戦後の保守派が抱えてきた病理だ。

古森「悪罵といえば、西部氏の言葉でこういうのもあります。
『アメリカ軍が『動かないアヒルを撃ちにいこう』などとほざきながら日本人を殺しまくったという『大空襲』の事実を、日本人は忘れたいんでしょう』
アヒルを撃つとは、こういう言葉をだれがいつ使ったという証拠でもあるのでしょうか。ほざくというのも下品ですね。口汚さの一例ですね。」(205頁)

そういえば小学生の時、友達と口喧嘩しては、よく言っていたなぁ「いつ?何年の何月何日何時何分何秒?地球が何回まわった時?」いまから思えば馬鹿馬鹿しいことだと思うが、それと同じような理屈を大学生になってから、ハードカバーの活字本で見ることになるとは…

「だれがいつ?」と問うのはよい。政治、経済、歴史、報道などあらゆる情報を学術的に扱う場合は絶対に必要なことだ。だが、それをアメリカの日本空襲には問うのに、日本の大名が農民達のクビをはねていた、という事に関して述べないのは何故か。僕が滑稽に思い、小学生時代にみんなが言っていた理屈を思い出したのは、この点が理由だ。

さらに見ての通り、当の日本に対する無差別空襲はもとより、原爆投下、そしてアメリカが日本を開戦に導いた点、ペリーが来航した際の砲艦外交、これらの事に関して二人とも一貫して固く口をつぐんでいる。また、第一回でも取り上げたが、二人の共産主義に対する無知がここに来て再び曝け出された。

田久保「それから、びっくり仰天したのは米ソの関係についてです。こんな事を書いているんです。
『WASPつまり『ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント』の精神と制度は、とくにアメリカが国家的な危機に直面するとき、表面にせり出してくる。ともかく米ソの対立は『自由・民主主義』と『社会・計画主義』の対立なんかではなかったんです。それは、自由・民主主義の実現方法における『個人主義』と『社会主義』の違いだった』
というくだり、これはいったい何でしょうか。米ソの対立は自由主義と全体主義のイデオロギーの対立ではなかった、という珍説。」
古森「びっくり仰天ですよね、これは。初めてですね、ソ連も自由主義だったという説は。」(192〜193頁)

第二回でも紹介したが、もはやMr.Yoshihisa Komoriの読解力の欠如は故意なのかもしれない。丁寧にも「実現方法」と書いてあるのをもって、ソ連が自由主義を確立した国家と書いている、と理解するのだから。このブログでも『共産党宣言』『空想から科学へ』を取り上げてきたが、

「プロレタリアート革命ー諸矛盾の解決。プロレタリアートは公的権力を掌握し、この権力によって、ブルジョアジーの手からすべりおちつつある社会的生産手段を公共の財産に転化する。この行為によってプロレタリアートは、生産手段を、資本としてのこれまでの性質から解放し、生産手段の社会的性格に、自分を貫く完全な自由を与える。」(エンゲルス、『空想から科学へ』)

とあるように、封建制社会から資本主義社会へと移行したヨーロッパで誕生した共産主義が自由主義を達成目的とし、その実現手段を生産手段の社会化とした事は紛れもない事実だ。これは『空想から科学へ』に限らず、マルクスやエンゲルスの著作を通して流れる主張だ。米ソの冷戦を「自由主義VS全体主義」とのみ理解するのはアメリカのプロパガンダに乗せられた者の浅薄な結論だ。

古森「西部氏の発言で以下のような内容もあります。
『アメリカの民主主義の強制輸出は、かつてのコミンテルン(国際共産主義運動)の社会主義革命輸出と本質的に同じです』
これも何をか言わんや、です。アメリカは左翼国家だというんですね。コミンテルンは世界各国にソ連共産党の支部をつくって、秘密工作、武力革命で政権の奪取を図ったわけです。アメリカの自由と民主主義というのをその左翼共産勢力の世界戦略と同じだと決めつける。こういう似非レトリックの手口がとにかく多いのです。」(198頁)

これもMr.Yoshihisa Komoriの読解力不足によるものだ。西部氏は「本質的に」と言っている。そこに、アメリカは各国に党支部をつくってないし、武力革命もやっていないから違うのだ、と言って掛かる方が馬鹿げている。

かつて日本で、最近ではアフガニスタン、イラクでアメリカがやっていることは何か。武力で占領した後、自由と民主主義の名の下にその国の既成価値観を否定し、自らに都合の良い国にすることではないか。それはソビエト・中共が社会主義と解放の名の下にしていた事と本質的に同じだ。

そもそもMr.Yoshihisa Komoriは「戦後の世界では確かにアメリカが先頭に立って、近代化、合理化、あるいは民主化という流れを進めてきた歴史があります」(197頁)と言っているが、その進め方と内実をどのように認識しているのだろうか。さらに言うなら、Mr.Yoshihisa Komoriの言う左翼とは一体何者で、それらから何を守りたいのか。

古森「今、われわれが使っている言葉で左翼というのは、マルクス主義とか、社会主義とか、共産主義が左翼ですよね。共産主義はアメリカの主義には反対する。だからアメリカとの連帯に反対する。自由民主主義や資本主義、市場経済に対しても反対する。こういう意味が普通の日本語で使われてきた『左翼』です。」(209頁)

すでに気付いてはいたが、Mr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriと僕は守ろうとする物が決定的に違うのだ。あらためて言うが、僕の守ろうとする物は日本の国体であり伝統だ。それを否定し続けてきたのが、左翼と言われる共産主義者達であり、アメリカによって日本全土にバラまかれた「自由」と「民主主義」なるものだ。戦後、GHQにより「日本が民主化された」というのは聞いた事があるだろう。

ところが、Mr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriの自称保守派は、この自由主義と民主主義と市場経済を守る事を至上命題としている。言い換えるなら、僕は2666年の歴史を有する日本を保守しようと考えているが、この二人はアメリカによって歪められた戦後60年の体制を保守しようとしているのだ。


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by shikisima594 | 2006-02-27 22:26 | 読書録
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