こちらでは会員達の随想・雑記を掲載しています。
平成一九年 一月 ┏■ANNVM NOVVM FAVSTVM FELICEM ┣■度量衡を正せよ ┣■維新の新時代を! ┣■忠臣蔵の義挙たる所以 ┣■民族のくびき ┣■昭和天皇に献上されたコーヒー ┣■白虎隊の忠義 ┣■反米論に告ぐ ┣■極 ┣■アメリカのイラク政策に賛同する 第一の側面 ┣■天皇より国民がエラい!? ┣■Sommes-nous des "droits" ? ┣■起って皇基を護れ! ┣■アメリカのイラク政策に賛同する 第二の側面 ┣■人と獣の境界 ┣■文化国粋主義の独立宣言 ┣■「筑紫都知事」にNO! ┣■在日が小学校を乗っ取り!? ┣■民団が公教育に介入 ┣■科学に対する否定的見解 ┣■遊就館の展示変更 ┣■魔女裁判を正当化! ┗■文化国粋主義という考え方 〇〇一 二月 ┏■日本がハワイになる!? ┣■文化国粋主義という考え方 〇〇二 ┣■ 文化国粋主義という考え方 〇〇三 ┣■文化国粋主義という考え方 〇〇四 ┣■柳沢発言をめぐる醜態 ┣■パチンコ屋を叩き潰せ! ┣■紀元節を寿ぐ ┣■くたばれ!統一教会 ┣■文化国粋主義という考え方 〇〇五 ┣■皇室への言葉を糺せ ┣■あけまして、おめでとうございます。 ┣■朝鮮カルト、勧誘の実態 その1 ┣■朝鮮カルト、勧誘の実態 その2 ┣■竹島の日 ┗■2月26日をむかえて 三月 ┏■朝鮮総連に会場使用許可!? ┣■統一協会のインチキさ ┣■朝鮮総連の反日集会 ┣■目で見る反日集会 ┣■コミュニストも大歓迎!? ┣■六ヶ国協議の無惨 ┣■天皇が存在されなくても… ┣■法政大学弾圧事件から一年 ┣■朝鮮総連と愉快な仲間たち ┣■赤尾敏先生の生き様 ┣■桜を愛でる心 ┣■小中学生のネット事情 ┣■思想の根幹 ┣■春の梢に咲いて会おう ┣■日本人の選択を ┣■結局水素エネルギーは使えない? ┗■皇国史観をする、ということ 四月 ┏■日本人の美徳や道徳は何処に消えた? ┣■憲法は国体か? ┣■国士舘歌解題 ┣■世界に広がっていく日本語 ┣■反日と嫌日 ┣■屈辱的な温家宝来日 ┣■人を改造する医療 ┣■氷を固まらせる旅 ┣■パチンコについて(1) ┣■パチンコについて(2) ┣■国体は変わったか? (法学的に見る国体) ┣■パチンコについて(3) ┗■怖い?火薬を燃料にする! 五月 ┏■誰が為に長崎市長 ┣■還暦を迎えた日本国憲法 ┣■自然と共生するやまとごころ ┣■前提という課題 ┣■派遣社員は社員なのか? ┣■しっかりしろよ、日本遺族会 ┣■思想と親 ┣■中国産“風邪薬”? ┣■国民投票法案をめぐる護憲派の醜態 ┣■バクチ経済に突入する日本 ┣■親思うこころ ┣■大楠公精神を継いでゆけ ┣■「はしか」が今更、何故騒がれる? ┣■警察による国民移動監視システム ┗■キチガイを隔離せよ! 六月 ┏■エコロジーな町興し ┣■「可」学的な世界観 ┣■原爆投下の美化許すな! ┣■IWCを脱退し、捕鯨を再開せよ ┣■日台友好の促進を ┣■“在日”を擁立する民主党 ┣■中共と絶交せよ! ┣■これからどうなる?日本の介護 ┣■「この国」といえる精神 ┣■河野談話の白紙撤回を! ┣■中国製の玩具を子供に与えるな! ┣■売国奴・緒方重威を糾弾する ┣■「保守派」の事大主義を笑う ┣■元寇の「神風」を考える ┣■迷走 ┣■大丈夫なのか?日本の食卓! ┗■慰安婦決議、なにするものぞ 七月 ┏■地球温暖化を食い止めよう ┣■久間暴言を糺せ! ┣■「日本史」なるものと大学と私 ┣■中国食品を信頼するな?! ┣■「愛国」の条件 ┣■怖いぞ!中国製電化製品 ┣■私的敷島回想録 1 ┣■私的敷島回想録 2 ┗■私的敷島回想録 3 八月 ┏■私的敷島回想録 4 ┣■「右傾化」してます? ┣■広島・長崎を忘れない ┣■私的敷島回想録 5 ┗■私的敷島回想録 6 平成一八年 一月 ┏■初詣の風景 ┣■「愛国」を疑え! ┣■緑豆、正体見たり、偽善主義 ┣■ホリエモン逮捕に思ふ ┣■皇国史観と唯物史観 ┗■皇紀を使って悪いか? 二月 ┏■綻びが見えてきた小泉改革 ┣■田中卓先生へ、女系天皇で問題ありませんか? ┣■田中論文の「承詔必謹」に少し補足 ┣■親米派に対して申し上げる ┣■ハゲタカの舞う国 ┗■二・二六事件より七十年 三月 ┏■つくる会よ、どこへ行く! ┣■東京大空襲遺族が国を訴訟!? ┣■テロリズムへの皇国史観的一考 ┣■共謀罪を廃案に! ┣■山口県岩国市、米軍移転にNO! ┣■ふざけるな!米軍グアム移転費用負担 ┣■携帯電話に信義も携帯しやう ┣■自民党と民主党の化かし合い ┣■朝日新聞の広告を見て… ┗■日本の国家制度と主体性 第一回 歴史の連続性と朝廷 四月 ┏■上海領事館員の遺書から見えてきたもの ┣■日本の国家制度と主体性 第二回 武家統治時代と幕府 ┣■うまいラーメンとは? ┣■日本の国家制度と主体性 第三回 武家統治時代 戦国時代 ┣■日本の国家制度と主体性 第四回 律令国家 ┣■思想と宗教、その似て非なるもの ┣■日本の国家制度と主体性 第五回 神話時代 ┣■皇居勤労奉仕に参加しよう ┣■警察官とホームレス ┣■特高警察の守ろうとしたもの 第一回 特高への現代的評価 ┣■成分解析してみた。 ┣■米軍基地グアム移転ー日米交渉の落とし所ー ┣■特高警察の守ろうとしたもの 第二回 国体と政体の相違 ┗■エヴァンゲリオンへの皇国史観的考察 五月 ┏■日本の国家制度と主体性 第六回 わが国の主体民族 ┣■特高警察の守ろうとしたもの 第三回 特高の誕生と活動 ┣■五月三日は祝日か!? ┣■京都府宮津市の横暴に怒りの声を!! ┣■特高警察の守ろうとしたもの 最終回 ┣■どうなる!?共謀罪 ┣■ぶっちゃけ… ┣■クジラを食べよう! 第壱回 ┣■経済同友会役員は靖国神社に土下座参拝せよ ┣■クジラを食べよう! 第弐回 ┣■大学全入時代に思う ┣■岡本千鶴子と北条政子 ┣■国語教育の徹底化を! ┣■法政大学の学生弾圧を批判する ┣■諸行無常な人々 ┣■大楠公を偲ぶ ┗■全国大学極左集団分布表 六月 ┏■日の丸を持って悪いのか!? ┣■日本の国家制度と主体性 最終回 現代の国体と世界 ┣■STOP to USE ENGLISH We know about the true ┣■北朝鮮国旗に礼儀を払えますか ┣■留下共产主义支那的侵略! 我们知道真实 ┣■今のマスコミを笑う ┣■クニの端を明らめよ 我々は真実を知っている ┣■「至誠ある学問の態度」とは ┣■思想対立を超えねばならない時代 ┣■僕らは何をしてたのか? ┣■初夏のつぶやき ┣■大橋正文烈士顕彰 ┣■言論の崩壊が進む日本 ┣■ホタルになって帰って来る ┣■オオヤシマ民族文化回復運動の呼びかけ ┣■日本を蝕む外国産野菜 ┗■羽織袴の何が悪い!? 平成一八年七月以降はこちら ![]() ずいぶん前に卒業された大学の先輩から、「俺たちが居た頃は、大学の周りに4年生ぐらいの先輩や、卒業生の下宿があって、そこを“塾”なんて呼んで、みんなの溜まり場にしてたもんだよ」と聞かされた。 誰かの下宿に集まって、朝まで酒を飲んで語り明かすのは学生の特権だろう。この先輩などがいらっしゃった当時の国士舘は、サークルごとにそんな「塾」があったそうだ。僕が入学したころは、「塾」と呼ばれるものはなかったが、限りなくそれに近いものは存在していた。 当時の皇国史観研究会の会長が、大学近くの下宿に一人で住んでいらっしゃったので、よく会員たちが自然とお邪魔していた。そこは「塾」ではなく、家主が戦前の大陸浪人的な気風に傾倒されていた事もあり、「満州」と呼んでいた。 持ち主不明の物品が散乱し、たまに怪奇現象がおこる部屋で、皇国史観研究会以外にも様々な人間が集まって来て、みんな仲良く鍋をつついて酒を飲む。まさに「王道楽土、五族協和」の満州のようなところであった。朝まで酒を飲んで、真剣な話も、ふざけた話も延々と語り明かした。 とりあえず、人が集まってする事がなければ、思いつきでいろんな事をやった。突発的に遠出にでかけたり、映画を見たりするのが多かった気がする。映画は『大日本帝国』と『ムルデカ』を一番多く見た。とくに『ムルデカ』はインドネシア国歌を歌えるようになるぐらい見た。 そんな風に、枠にはまらずに、何でもやって、何でもさせてもらえるのが、僕にとって皇国史観研究会の大きな魅力だった。受動的な人からすれば「何をすればいいのか分からない」「やる事が突発的で行き当りばっかり過ぎる」と批判する人もいるが、主体的な意思があってこそ楽しいのが皇国史観研究会だろう。 平成17年の夏合宿で関西に行ったが、その時はさして詳細なスケジュールが決められていたわけでもなかった。すると、関西に着いた日のその時間から、甲子園球場で国士舘高校の試合があると知り、すぐに応援に駆けつけた。写真はその時の「皇国史観私設応援団」の写真だ。それぐらいに柔軟さがあった。 平成16年の冬に、当時まだ一年生の僕などが中心となって壁新聞をはじめた時も、先輩方はとやかく言う事なく、自由にさせてくださった。翌年の夏に壁新聞が潰されてしまった時も、「残念だったが、次を頑張れ」と言ってくれた。 おかげで平成17年の12月に、このブログが立ち上げられた訳である。たちあげたからには目標をもった。「一年以内に、ブログランキングのトップ10に入り、10万アクセスを超える」というものだった。「無理だ」との声もあったが、僕には出来るとの無根拠な確信があった。 というのも、僕が一年生だった頃の会長は、何があっても、口癖のように「大丈夫、大丈夫」と言っておられた。僕は何度も「無理だろう」と思ったが、本当に不思議と「大丈夫」だったし、先輩も無事に五体満足で卒業されていかれた。 この事から、自信をもって取り組めば、だいたいの事は何とかなるような気がしていたし、目標があれば、それに向かって何を成していくべきかが分かるようになってきた。だから、ブログも同様に、目標を達成するためには何をなすべきかを見据えて、それを着々とこなし続けた。 去年の今ごろは、「富田メモ」報道をやらかした日経を追及していたし、その過程の中で杉田亮毅日経社長と支那の唐家旋国務委員が会談していた事実もつきとめたりした。毎日新聞の在日記者不敬質問の追及もやったし、法政大学の左翼学生弾圧を批判して当の左翼学生から御礼の書き込みを頂戴して驚いたこともあった。 そんな事を経ながら、なんとか当初の目的であった「一年以内に、ブログランキングのトップ10に入り、10万アクセスを超える」という目標は達成できた。会員全員とても驚いていた。以前にやっていた壁新聞『敷島だより』は週刊で100部で、それを潰されてこのブログを立ち上げるに至ったわけだが、怪我の功名とはまさにこの事である。国士舘の左翼教授の先生、どうもありがとうございました。 しかし、これでネットの可能性と限界について色々と考えるところもあった。まず、ブログランキングだが、これで順位をあげるには、中国や韓国の批判を書けばあがる事に、なんとも言えない複雑な気持ちであった。確かに中国・朝鮮がケシカランのは当然で、僕らもその思いでやっている。 だが、ここに我が国の歴史や伝統、皇室の事について書いてもランキングは一向に上がらず、中国・朝鮮を批判したときのみに、ランキングが上がる事に、何とも言えない不安を感じたのである。外国を批判する事で成り立つナショナリズムならば、中国や朝鮮と同様である。 皇室という万邦無比たる民族の核をいただく日本が、その崇高な御存在を閑却して、外国を罵倒する事のみに血眼になっていたのでは本末転倒であるし、皇国史観研究会の本旨からすれば全く望むものではない。我々が外国を批判するのは、尊皇あっての攘夷であり、攘夷のための攘夷や、自己満足のための攘夷ではない。 なので、現在では記事ごとにブログランキングへのリンクを貼らなくしている。それはそれでよかったのではないかと思う。ランキングにばかり気をとられて、もっと大切な物を見落としていたような気がするからだ。 それにしても、ネット言論とは不思議なもので、様々なレッテル貼りもたくさん頂戴して来た。それらを総合すると、僕などは「極左の在日朝鮮人で創価学会信者で統一協会信者で暴力団構成員でヒキコモリのニート」という事になるらしい。なんじゃそりゃ。 まあそんなネットの負の側面もあったけど、いいところもいっぱいあった。ネットを見て入会希望をちょうだいすることも度々あったし、出版物の注文も多数いただいた。胸迫るような激励の書き込みをいただく度に本当に励まされて来た。これは感謝してもしきれない。 ネットの可能性は未知だろうし、ネットに限らず、人間は自らの主体的な意思によっていくらでも未知なる可能性を切り開いて行けるのだと感じたのが、皇国史観研究会とネットでの活動だったのではないかと振り返るのである。 さて、とりとめもなくダラダラと、散文的に書き連ねて来た本連載であるが、これをもって筆を置かせていただきたい。本当はもっと書きたい話や、載っけたい写真がいっぱいあるんだけど、関係者の方々の事情もあるので、これぐらいにしておかねばならない。この連載を読みながら、「あの話はいつ出されるんだろう…」と戦々恐々されていた方々、胸を撫で下ろしていただいて結構ですよ。 思い返せば四年間の出来事が走馬灯のように駆け巡り、話題と名残は尽きない。長いようであって本当に短かった。後悔もあれば反省もある。しかし、その間に皇国史観研究会から多くの事を学んで、自分自身も大きく変わってきたと、しみじみと実感するのである。 最後に、皇国史観研究会のますますの発展と、後輩諸兄らの活躍と健闘を心より祈念申し上げて、本連載の締とさせていただきたい。 タカユキ ![]() 最近、後輩が他のサークルに所属する友人から、「皇国史観研究会って大学から優遇されてるんでしょ?」と言われたらしい。しかも、この友人だけではなく、他の友人からも同じような事を言われたという。 なぜかというと、国士舘大学がいわゆる愛国的な大学であるから、愛国的なサークルである皇国史観研究会は大学から優遇されていると思われているらしいのだ。本当に優遇されていて、そう思われているなら致し方ないが、そうではないのに優遇されていると思われたのでは、どうもスッキリしない。 僕が実際に体験したり、先輩たちから直接聞いた話から結論すると、優遇など一切されていないのが実情である。優遇されないのは別にいいけど、むしろ逆に冷遇されているぐらいである。代表的な出来事をちょっとだけ書こう。 八月一日の本連載でも書いたように、僕が入学する前年の平成十五年に国士舘大学鶴川校舎の30号館で、北朝鮮による拉致被害者救出を考えるシンポジウムを開催した。これに学内のゼミやサークルなどが、後援や協賛のかたちをとって、準備に奔走した。 皇国史観研究会も会場設営、警備、案内に、ブルーリボンの作製と大忙しだったという。ところが、このシンポジウム協賛団体に皇国史観研究会と応援団が名前を連ねているのは不穏当でケシカランから外せと言って来た御人がいたそうな。誰かと思えば、当時の学長だったらしいからビックリ仰天である。 名前が気に食わないから、働いていても消せというのは、あまりにも人を侮辱した話である。それを学長の地位にある人間が平然とやってきた事を先輩たちから聞かされて、僕は驚くと同時に、国士舘大学に事なかれ主義と横暴が罷り通っている事に、とてつもなく悲しくなった。 それ以外にも、新入生勧誘ポスターを貼り出すと、ご丁寧に誰かが剥がして回ってくれるのだ。噂では職員か教授だというのだから呆れてしまう。そんな話を聞かされて、入学当初の僕は何とも暗澹たる気分になった。 さて、そして僕が一年生だった時の平成16年12月1日。サッカー部員らが女子高生に集団わいせつ事件を起こして、大騒ぎになる。サッカー部の寮がある鶴川校舎には連日マスコミが押し掛けて、学内に重苦しい空気が流れた。 そんな中で、事件から一週間たった12月7日に、大学近辺の住民に大学への不信を抱かせてしまった事を憂いて、学内の有志サークルが集って、近隣住民の不信感を和らげ、国士舘大学への理解を回復しようと、「防犯清掃パトロール」を行うとの話がでた。 この時、皇国史観研究会は真っ先にこの企画に加わって、実施に向けた会議に僕が出席してきた。僕の手元に当時の趣意書が残っており、それによると学内の武道系サークルやスポーツ系サークルなど、11団体が大同団結した素晴らしい企画だった。 サッカー部のような事件を起こす連中がいるかと思えば、誰から言われた訳でもないのに、自らの母校にしっかりと誇りを持ち、名誉挽回のために必死に働こうとする学生たちがいることに、僕は何とも言えぬ感動を覚えた。 ところが、この防犯パトロールは詳細なスケジュールと実施要項が決められながらも、実施されなかった。それは当時の学生部長や、老教授だか理事だかが、「いまの時期にこんな事をすれば世間から穿った見方をされるからヤメろ」とやったらしい。馬鹿げた話である。 これだけ母校を愛し、誇りにする学生がいる事こそが、何にもまして代え難い大学の財産ではないのか。そうした学生達の純粋な想いを無下につみとるのが教育者のすることか。当時、この企画を考えて実施に向けて頑張っておられた先輩方の悔しさを見て、何とも言葉がなかった。結局、この事件で大学がとった態度とは、事件のほとぼりが覚めるのを待っていただけに思えて仕方がない。 そして忘れてはいけないのが、この事件に触発されて、僕たちが壁新聞『敷島だより』を創刊した事だ。この時の経緯は本ブログの記事、「『敷島だより』顛末記」に書いてある。この新聞は翌年の七月に廃刊になってしまう。 その理由は、浅沼事件の山口二矢烈士を取り扱った記事を書いた事と、「韓国の狂科書」と記載した事だ。これに某学部の極左スターリニスト教授が怒り、学生部に怒鳴り込んで、廃刊処分に追い込んでくれたわけである。アカデミズムの場である大学に籍をおきながら、言論弾圧をするとは左翼らしいが、そんな姑息な左翼が国士舘にいる事が残念でならない。 ちなみに、この時の壁新聞の現物は、『敷島だより』詰め合わせとして販売しているので、興味のある方は買っていただければ幸いである。 さらに、この平成17年に、もう一つ忘れられない事件があった。国士舘大学世田谷校舎では秋に楓門祭が行われる。その時、皇国史観研究会は戦後60周年ということもあり、「大東亜戦争の真実」と題して展示をおこなった。 その時、学園祭のパンフレットに掲載した僕たちの企画紹介文に「待った」が掛かった。相手は学生部だった。何人かが学生部に出向いて理由を聞いた。すると、「中国や韓国の留学生を刺激するからヤメてほしい」という。もはや呆然としてしまった。 それが国士舘大学の言う事か。いや、それ以上に大学という機関に関わる者の言う事か。もちろん、「思想、表現の自由は憲法に定められている」と左翼ばりに反論した。ところが何を言っても「留学生が」の一点張りで、あげくに「学園祭での展示を出来なくする」と言って来た。この瞬間、国士舘はもう死んでいるのではないかとすら思ってしまった。 そんなこんなで、泣く泣く文章の訂正に応じて、学園祭にこぎつけた。しかし、このボツにされた企画紹介文は、パンフレットには掲載せずに、ビラに印刷して学内に貼り出すことが出来たから良かったとするか。 ちなみに文面は以下の通りである。 「『太平洋戦争は日本がアジア諸国に侵略して、散々ヒドい事をした挙句に負けた悪い戦争』という歴史観に、戦後六十年の今年、我々、皇国史観研究会が、全力でツッコミを入れ、大東亜戦争の真実と歴史的意義を明らかにします。乞う御期待!」 この文面のどこに問題があるのかは、読む人次第だろうが、少なくともこれぐらいの表現も認めないと言うのは大学として不健全ではないか。しかも、全学生の中で一割程度しかいない留学生に気兼ねしてというのだから情けなさ過ぎる。じゃあ残り九割の日本人学生の立場はどうなるのか。 と、散々に母校のバクロっぽい話を書いてしまったが、これも全て母校国士舘大学を心から愛するが故のことである。ご容赦いただきたい。かつて高杉晋作は「国を滅ぼすは外患にあらず、内憂にあり」と喝破されたが、僕は大学を滅ぼすのは少子化にあらず、事なかれ主義と魂なき営利至上主義にあり、と言いたい。 写真は平成17年に皇国史観研究会をはじめ、国士舘の有志学生らで8月15日の靖国神社に参拝した時に撮ったものである。ここに写っている国防色の旗が皇国史観研究会の会旗である。 タカユキ
私たちは「夏といえば」の問いかけに多くの答えを持ち合わせている。海、プール、スイカ、花火、夏祭り…そんな楽しく、懐かしく、美しいものばかりが散りばめられたのが、日本民族にとっての夏の風景であった。昭和二十年八月までは。
昭和二十年八月六日には広島に、九日には長崎に、それぞれアメリカが原子爆弾を投下し、多数の無辜の民、日本人同胞を殺傷して以来、日本の夏は心踊る夏と、慰霊と鎮魂と消し難い屈辱をかかえた夏が同居する状態になってしまった。 いまさら原爆投下の非道さは言うまでもあるまい。しかし、それと並ぶぐらいヒドいのが、原爆投下をめぐる我が国の戦後体制そのものである。先般、防衛大臣であった久間章生が「原爆投下はしょうがなかった」と発言し、大臣を辞任したが、これなどは日本民族に対する背信的暴言であり、断じて許せない。 ところが、この発言と同様の発言はいくつも繰り返されている。週刊現代8月11日号は、創価学会の池田大作名誉会長が「原爆投下は創価学会を弾圧した日本への報い」と発言していた事を報じている。久間発言を絶対許せないと糾弾していた公明党の方々には是非とも、この発言主を徹底糾弾していただきたい。 さらには広島の原爆資料館で、原爆の悲惨さを訴えるはずのスティーブン・リーパー理事長は「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」と発言している。なぜこのようなアメリカ人が原爆資料館の責任者になっているのか疑問はつきないが、アメリカ人の認識を出るものではなく、その視点は我々のものではない。 ところが、日本人で、ましてや「保守派」を自称する方の中には、なぜかこうしたアメリカ人と同様の見解を持つ方も少なくない。「親米保守派」を自任する、杏林大学の田久保忠衛教授は産経新聞の古森義久記者との対談本『反米論を撃つ』の中で次のように発言している。 「日本の徹底抗戦の雰囲気の中で、原爆が落ちなかったならば、ライシャワーが言っているように、 『原爆がなければ日本の軍部が徹底抗戦を続けて、米軍は数十万の死傷者を出したであろうし、日本側も戦死者以外に数百万の非戦闘員が餓死し、日本という国は事実上破壊されていたところであろう』 この認識には僕も同感できるところがある。」(前掲書157〜158頁) つまりは、原爆投下はしょうがなかったというもので、久間発言と全く軌を一にし、より悪質なものと言わねばならない。かような者は保守派ではなく、売国奴であろう。 さて、ここまで考えて、広島の平和記念公園にある原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と書かれているが、この主語はいったい誰なのだろう。原爆を落したのはアメリカ人であるが、碑をつくったのは日本人である。 東京裁判の判事であった、ラダ・ビノード・パール判事は戦後、広島を訪れて原爆慰霊碑の碑文を読んで「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と発言したと言う。アメリカは今にいたるまで原爆投下を謝罪していない。それどころか日本に対して「従軍慰安婦非難決議」を突き付けて来る。 いくら「原爆を忘れない」、「ヒロシマ・ナガサキを忘れない」と言ったところで、いつまでも卑屈に戦時中の日本が悪であった、アメリカに理があったと言っていたのでは、原爆投下容認の認識を抜け出す事は出来ず、アメリカによって虐殺された同胞たちにも、世界に対しても我々は永遠に顔を向けることができないのである。 広島・長崎を忘れない。何度も繰り返されてきながらも、多くのねじれとひずみを抱えたこの言葉を、我々はもう一度かみしめねばならない。
先日の朝方、ぐっすり寝ていると電話が鳴った。知らない番号だけど出てみたら、某有名マスコミだった。うーん、マスコミ業界は別に就職希望を出していないのに、リクルートに来たか、というわけはなく、知人の紹介で僕を取材したいというのだ。
聞いてみると、「いまの日本が右傾化していると思うのですが、そうした現象とその背景にスポットを当てたモノを描き出すことによってですね…」と一気にコンセプトを話しはじめる。大学に入学して以来、この手の話を受けるのは何本目だろうか。 国内外あわせて十回近く取材やら何やらを受けて来た。全てに共通するのは「いまの日本が右傾化している」という問題意識である。電話口の担当者は企画を一通り話して、おもむろに「いまの日本が右傾化していると言われていますが、どう思いますか?」と聞いて来た。 何度も聞かれ続けて来た質問だ。大学一年生のころは自分の希望的観測も交えて「うーん、そうですねぇ、いい意味で右傾化してるんじゃないですかねぇ」などと無責任でノンキに答えていたけど、いまはこの問いに明確に「否」と答える。 実際に自分の周囲を見回す。皇国史観研究会の会員数は冷戦崩壊前後の結成から、だいたい10人前後で推移してきた。それは「右傾化」と言われる今でも変わらない。皇国史観研究会に限らず、他大学の民族派系サークルも同様だし、実際に社会で活動する組織も同様だ。活動ヘの参加人員は平行線か、微減ぐらいだ。 なので僕が率直に「右傾化なんてしてませんよ」と答えたら、電話口の担当者氏は随分と焦ったように、「いや、それは違うと思いますよ!なぜならですね!」とまくしたてて来る。こっちは聞かれた事に答えただけだし、そのうえ寝てたんだからイイカゲンにしろと言いたかった。どうも彼らマスコミ的には日本が「不健全」に「右傾化」していないと困るようだ。変な話だ。 では、マスコミが「右傾化」の根拠に挙げるものは何か。概要以下の通りだ。 ・小泉前総理、安倍総理の支持率が高い。 ・8月15日に多くの国民が靖国神社に参拝するようになった。 ・憲法改正議論が高まって来た。 ・対北朝鮮強硬世論が盛り上がって来た。 ・かつての左翼運動が力を失った。 まず、小泉&安倍の支持率の高さだが、これを「右傾化」と捉えて、同様に「右傾化」していると定義した僕のところに電話してくるのは、あまりにもお門違いだ。なぜなら僕は小泉&安倍はおろか自民党すら支持していない。それらの人気が高まるのが「右傾化」というならば、あまりに短絡に過ぎる。 8月15日の靖国神社についても同様だ。靖国神社には先の大東亜戦争の戦没者が数多く祀られているが、別に8月15日にこだわる必要はない。あえてそこにこだわって、政治的パフォーマンスをやったのが小泉前総理であるだけだ。しかも、村山談話継承と言う屈辱的な歴史観を持って。 さらに、憲法改正論議にしても、中東戦略が行き詰まりを見せたアメリカが、自らの都合に合わせて日本を利用する魂胆でなそうとするもので、議論が9条のみに集中している。かつてアメリカの都合で押し付けられた憲法が、いま再びアメリカの都合で変えられようとしている。 それはおよそ独立国家の態度ではなく、戦後体制を強化して、アメリカの従順なる家来と化す現象に過ぎないではないか。左翼運動の衰退もそうだ。意外に思われるかもしれないが。僕は左翼運動に一定の評価をしている。 いかなる時代にあっても人民の権益に立脚し、伝統的価値観と資本主義的圧搾に対抗して、反体制の反骨精神を貫くものを左翼運動と定義した場合、それはいかなる時代でも必要であると思うからだ。 ところが、そうした精神が衰退したのは、戦後の左翼運動が人民に届く言葉を喪失し、単なる労働貴族としてのノスタルジックな既得権益集団になり果てた事によるところが大きいが、それ以上に現代の国民が反体制的な反骨精神を失い、「小泉劇場」などの体制側政治ショーに踊らされているだけではないか。 そのような現象が「右傾化」というならば、僕はかような「右傾化」には断固として反対する。なぜならその「右傾化」の先にあるのは、我が国にとって最も陰惨で不幸な形での「全体主義」と、没落ではあるまいか。 今回のように僕に電話してきたマスコミにしてもそうだが「右傾化」の実態を、いま日本で進行している前述のような現象と、我々の父祖が命を賭けて実現しようとした日本と余りにも乱暴に混同しているが、我々はその実態が大きく異なる事実に気付かなければならない。 そこにおいてこそ始めて、マスコミが定義したり、現体制が押し進める浅薄な「右傾化」とは明らかに違った、真の日本再生がはじまるのではあるまいか。 大学のサークルにはスポーツ系、文化系、武道系という分類がされる。じゃあ皇国史観研究会は何系なの、と思われるだろう。おそらく大勢の方が文化系サークルだと思われるはずだ。それで間違いではないが、もっと正確にいえば民族派系サークルである。7月25日の本連載に、国士舘大学OBのもみじ氏がコメントを寄せてくださっているが、国士舘大学には國士拳千唐會、國士拳友會、國防部、大日本國心會、大日本國友會、大日本昭和維新會、日本民族研究会といった錚々たる民族派系サークルがひしめいていた。 これは何も当時の国士舘のみの現象ではなく、昭和30年代後半から40年代にかけて、左翼学生運動のうねりが全国の大学で高まって来るのに対抗する形で、戦後の民族派学生運動が誕生し、日本学生同盟、日本学生会議、全国学生自治体連絡協議会などの巨大な民族派系学生団体が結成される。 当時の資料にあたっても、東京大学、早稲田大学、拓殖大学、日本大学、國學院大學、東洋大学、桜美林大学、駒澤大学といった首都圏の多くの大学にも民族派系サークルと呼ばれるものが誕生し、その一部は後の新右翼と呼ばれる新勢力を形成していく。 しかし、ソ連が崩壊し、冷戦構造が終わりを迎え、各大学で燎原の火のように燃え広がっていた新左翼学生運動が風前の灯火にまで後退してしまうと、「アンチ左翼」「反共」の側面が強かった民族派学生運動も同様に、形骸化し活力を失い衰退していく。 都内の有名大学や中堅大学では珍しくなかった民族派系サークルは、昭和から平成の御代への代替わりの狭間で、次々に消滅していってしまう。その流れとすれ違うように、昭和58年に結成されたのが皇国史観研究会である。 反共やアンチ左翼に終止するのではなく、あくまでも日本はいかなる国であり、そこに生を受けた我々はいかにあるべきかを、硬直して形骸化・自己目的化した運動や議論ではなく、後輩や先輩の別なく自由に切磋琢磨していける集団を目指した。創設にかかわった先生によれば「歌って踊れる民族派学生団体」との事だった。 前置きが長くなったが、そんな経緯で結成された皇国史観研究会。僕が入った頃には国士舘大学唯一の民族派学生サークルで、学内の左翼教授や日和見教授たちからは、かなり煙たがられる存在だった。まあそっちの方がオモシロい。とことんやったろうじゃないかと思ったものだ。 民族派系に限らず、左翼系もそうだが、おおよそ思想をぶち上げるサークルは、どこかの系列にある。既成の新左翼セクトだったり、宗教だったり、既存の民族派団体だったり、なにがしかの“母体”を持っているものだった。僕もそれを少し覚悟していたが、皇国史観研究会には“母体”はなかった。あくまでも学生が主体で、セクト主義とは無縁の非常に珍しいタイプのサークルだった。 僕が入会する二年前の平成14年9月17日。あの歴史的な日朝首脳会談の席上、北朝鮮の金正日が拉致問題を認め、同年10月24日には拉致被害者5名が帰国を果たした。この時から拉致被害者救出運動が盛り上がっていた。それは東京の民族派学生や、保守系学生においても例外ではなかった。 拉致被害者救出集会が何度も開かれ、そこに参加した学生同士のネットワークが出来て、互いに刺激を与えあって、活発な運動が繰り広げられるようになる。平成15年5月14日、早稲田大学で拉致被害者家族などの関係者らを招いて拉致問題を考える集会が開かれ、これに国士舘大学の有志学生らが提携した。 当日は国士舘大学から皇国史観研究会や武道系サークル、応援団が警備として参加した。この時のことを革マル派系の早稲田大学新聞が「会場警備として国士舘大学の体育会系学生がにらみをきかせるなど、物々しいムードにつつまれた。」と書いているから何だか笑ってしまう。 この試みは国士舘大学でも取り組まれて、同年に国士舘大学鶴川校舎の30号館大教室に横田夫妻を招いて講演会をする。この時は立ち見もでて、会場に人が入り切らない大盛況になったというのだからスゴい。 ちなみに、このとき、皇国史観研究会の先輩たちが毎日のように学校が終わったら、ハサミとホッチキスを手に、ブルーリボンづくりの内職に励んでいた事はあまり知られていない、舞台の裏話であるが、この平成15年頃に東京中に出回った数万個ものブルーリボンの多くが、「メイド・イン・コクシカン」である事実を書いておきたい。 こうした拉致被害者救出運動の一番先頭に立っていたのが、衆議院議員の西村真悟代議士であった。その関係からか、こうした運動に加わった学生の多くが西村氏のもとに集って、勉強会や運動に関係していく事になる。皇国史観研究会の先輩も何人か参加して、そこから広い交流を得て、活動の幅を広げて行く。 そうした動きの中で、かつての全国学生自治体連絡協議会の流れを汲む、首都圏学生文化会議が靖国神社で「大東亜戦争戦歿全学徒慰霊祭」というのを催しており、ちょうど平成15年で学徒出陣六十周年で、慰霊祭自体も第二十回という記念すべきものであったので、国士舘大学から皇国史観研究会をはじめ、有志学生ら約25名が参列して、共にお手伝いをさせていただいた。 このように皇国史観研究会の活動は、既存の学生運動的な党派主義とは全く無縁だった事が今更になって思われるのである。写真は、撮影したY君の指だか何かが写りこんでしまっているが、翌年の「第二十一回大東亜戦争戦歿全学徒慰霊祭」が終わった後、靖国神社拝殿前にて、当時の皇国史観研究会一同で撮影した貴重な一枚。 タカユキ 皇国史観研究会は結成以来ずっと会員数が十人前後で推移してきた。だから、個人の個性が組織運営にものすごく反映される傾向がある。野球部やサッカー部ならそうはいかないけど、十人前後という人数と活動内容からそうなるのだろう。それが顕著にあらわれるのが、学園祭である。前回からの続きで学園祭のことについてちょっと書いておきたい。前回書いたように、平成16年の学園祭は春が「日露戦争」で秋が「日本人受難の歴史」というものだった。 内容も内容だったが、会場づくりや準備の不手際などが目立ち、来場者数が極度に少なくて、閑古鳥が鳴く事はなはだしかった。軍事や戦争が好きな人が多かったから、展示内容が「軍国主義サークル」と言われるぐらいになっていた。そこで、平成17年に、僕が二年生になった時の学園祭は、露店をする事にした。 といっても、武士の商法のようなもので、みんなして商才のある者がいないから、何をしていいものか全く見当がつかない。なにしろ、昔、焼き鳥屋をやったことがあったが、その時は焼き鳥屋でバイトしている会員が中心になって、良い肉を使って、しっかりとした調理器具を用意して大好評を博したという。 それで二日間の学園祭で焼き鳥が完売したので、売上金を数えてみると、値段を余りにも安く付け間違えていたせいで、なんと純利益が300円しかなかったという笑い話まである。とにかく、いままで人が寄り付いて来なかったのだから、これからは人の集まるような店を出したいと言う話になった。 なので、平成17年春の学園祭はラムネ屋をやることにした。なにしろラムネなら冷やすだけで、調理する手間がかからないので、とっても簡単だし、子供にも人気があり、店の前には地元のちびっ子たちが行列をつくる大盛況になって、二日目の昼過ぎには用意したラムネが完売してしまった。 この時、ラムネを売りながら、当時発行していた皇国史観研究会の新聞を「おまけ」と称して付けてあげていた。新聞をもらった小学生の子が「これどうするの?」と聞いて来たものだから、「しっかり読んで、日教組の悪い先生に騙されないで、明日の日本を背負って立つ立派な日本人になるんだよ」と言ったら、「うん、わかった」と答えてくれたのが今でも心に残っている。 このラムネ屋は好評だったので、翌年の平成18年の春も同じくラムネ屋をやることになった。 さて、夏が過ぎ、秋の学園祭がやってきた。平成17年11月2日から3日に国士舘大学世田谷校舎で開催される楓門祭である。この時が大東亜戦争敗戦60周年だったので、当時、会長代行だった僕が責任者となって「大東亜戦争の真実」という展示をすることにした。 ここで僕らが目指したのは来場者の倍増である。いつも学園祭で展示をやっても、来場者数が二日で50人もいなかったりすると、何のためにやっているのかという気になる。だからせめて、来場者100人以上を目指したかった。 そこで、夏休み前から用意にかかった。いつもは学園祭の直前に徹夜の突貫工事で仕上げるのに、この時は夏休み前から会場のレイアウトと、展示内容、展示写真、広報宣伝に力を入れた。写真の立て看板もつくった。やっぱ学生運動と立て看板は切っても切り離せない。 この時はブログもなかったから、この展示を広く告示して、来場者を集めるために、ビラを印刷して、近隣の大学の前でビラ配りをやった。放課後に授業の終わった会員を集めて、拓殖大学、首都大学、日本大学、東京農業大学といった大学の前で千数百枚にわたるビラ配りを敢行した。 その甲斐もあってか、当日は例年の六倍にあたる300人もの人々が会場に訪れてくださった。本当にありがたい限りだった。他大学からも志しを同じくする学生が集まってくださったし、我々とは思想を異にする創価学会員たちがやってきて論争をふっかけるという出来事もあった。 この時は三時間を超える大討論会となって、たちまち人が集まって来た。日本による朝鮮併合、大東亜戦争、明治維新の歴史を彼らは侵略的にとらえていたが、僕らはそれに反駁する形で互いに汗を吹くような熱い討論をやったのをよく覚えている。 祭はやっている最中よりも用意している間が楽しいというが、この時はやっている最中も、終わった後も楽しかった。みんなが一体となって全力を尽くして、何かを成し遂げる青春の喜びを感じることが出来た。 タカユキ 団塊の世代が退職して、いままでの自分の半生をつづった自叙伝を自費出版する人が増えているという。いったいそんなの誰が読むのだろうかと思ったりもするが、この連載もそんなものの類いと思っていただきたい。さて、「国士舘大学の民族派系サークル」と聞いたら、みなさんは何を想像されるだろうか。きついヤキ、押忍の連呼、極端な上下関係、先輩命令には絶対服従…… 過去に存在した民族派系サークルにはそうした傾向を持つところがいくつかあったようであるし、実際に自分もそのように想像していた。だから、皇国史観研究会に入るときは、先輩からブチ食らわされるのは覚悟の上だったが、あまりに優しくて人当たりのいい先輩たちばかりで、逆に驚いたのを覚えている。 これは最初は甘やかしておいて、抜け出せなくなってから本性を表すのかと思ってみたりもしたが、先輩方はずっと優しかったし、そんな猜疑心なんてすぐに吹き飛んでしまった。 僕が一年生の四月で入会して、四年生の現在に至るまで、先輩方からは飯や酒はたらふくごちそうになったが、ゲンコツやビンタは一度もちょうだいすることはなかった。ただし、礼儀作法については、やはり国士舘の伝統あるサークルらしく、細かく指導を受けた。 先輩に対する挨拶の仕方、メールでやり取りする際の文章の書き方、電話の受け答えの仕方、道の歩き方、酒席でのビール瓶の取り扱い方、旗に対する態度などなど… しかし、そんな中でも先輩の考えに対して、後輩が率直に意見を言えた。キツい上下関係なんてものじゃなくて、かなりフランクな関係があった。そういった意味で、皇国史観研究会というのは、世間一般の人が想像する国士舘の民族派系サークルとは相当に雰囲気が異なりながらも、国士舘の本質に近いサークルだと実感した。 ここで、当時の皇国史観研究会による学園祭の様子も書いておきたい。国士舘では五月と十一月にそれぞれ学園祭があるが、その準備をする時の会議でも、僕ら当時の一年生も意見が十分に言えたし、しっかりと仕事も任せてもらえた。 ちなみに僕が一年生だった平成十六年の学園祭企画は、五月の鶴川祭が日露戦争百周年記念展示で、十一月の楓門祭が「日本人受難の歴史」と銘打って、幕末以降の日本が周辺諸国や欧米列強から被って来た惨害の歴史を記した。 僕の入学する前年の学園祭の企画は、鶴川祭が北朝鮮による不審船に関する展示で、この時は防衛庁(現在の防衛省)からの資料提供を受けていた。楓門祭が 「蛍になって帰って来る 特攻隊の言乃葉」と題して特攻隊に関する展示をやっていた。 この頃の学園祭といえば、「会場のレイアウトはどうする?」といっても、とりあえず日章旗や旭日旗をデカデカと掲出し、会員のコレクションの銃剣や模造刀を並べるばかりで、「BGMどうする?」といえば、もちろんメジャーからマイナーな軍歌が会場によどみなく流れることになるのがオチであった。とくに戦前のレコードから直にCDに焼き直したのは、音の割れ具合と相まって、かなり危ない雰囲気に…… あげくに企画のビラを、右翼団体が街灯や電信柱に貼ってあるビラのパロディでつくって貼り出してみたりした日には、会場は閑古鳥の大合唱で、さすがに空しさを覚えたものである。まあ軍歌には詳しくなったから良かったかもしれないが。僕の同期など、ずっと軍歌を聴かされたあと、サイゼリアに飯を食いに行ったら、店内のBGMが軍歌に聞こえたというのだから、その調子が察せられるだろう。 そこにある先輩がやってきて、「なんだよ。まだ軍歌なんて聞いてんのかよ!?これカケろ」とCDを差し出した。僕はてっきりポップかユーロビートぐらいだと思って、CDプレーヤーに放り込んだ。聞き慣れない古い外国の歌が聞こえて来た。調子のいい感じの歌だったから、シケた軍歌よりはマシだろうと思っていたら、その歌が「ナチス党歌『ホルスト・ヴェッセルの歌』」のであった事を知った時には後の祭であった。 おかげで、学園祭開催期間中の来場者数が百人に満たないぐらいであった。笑い話のような話だし、実際に笑い話なのだが、これではダメだと思ったのは平成十六年の楓門祭を終えたあとだった。その翌年の学園祭はどうなったのか。それは次回に譲ることにしたい。 写真は皇国史観研究会の会員バッチである。 タカユキ ![]() 大学に入学した時に、当時の先輩から「四年間なんてあっという間だぞ。だから悔いの無いようにガムシャラにヤレよ!」と言われて、「いやぁ、四年間は長いっしょ」と内心思っていたら、いま僕が後輩に「いいか、四年間は短いんだから一生懸命、やりたい事とやらねばならない事に全力を尽くして頑張るんだぞ」と酒席で説教していて、ハッとしてしまった。 いまや自分も四年生として就職活動も終え、大学生活は卒業論文を残すのみとなってしまった。本当に時間が経つのは早いと驚かされるばかりであり、一睡の夢心地のような感がないわけでもない。 そう考えていると、本ブログの7月8日付けの記事で、僕の一つ下の後輩にあたる彩の国君が、彼なりの回想を記していた。さっと目を通して、彼との出会いや思い出も想起し、いろいろと考えさせられる所が多かった。彼にとっての学生生活と我が皇国史観研究会での活動の雑感を見た時、自分のそれはどうであったのかである。 もはや自分も大学に留まるのも残り半年無いのである。だからこの機会に、取り留めも無い僕なりの回想をポツポツと記しておきたい。どうでもいい思い出をまとまりなく書いた、つまらない年寄りの昔話だと思って軽く読んでいただきたい。 僕が国士舘大学に入学したのが平成16年4月だった。僕自身、どうしても国士舘に入りたくて入った学内少数派の一人であった。しかし、入学式で学長が式辞で「みなさんの中には不本意ながら本学に入った方もおられるでしょうが…」とネガティブ極まりない発言をし、あげくに式中に中国のナンチャラ大学の教授に名誉博士号を贈呈するなどと始めて、中国国旗が出て来たからビックリした。 初っ端から五月病ならぬ「四月一日病」にでもなりそうだったが、そんな僕にとっての一縷の望みは、大学案内に名前が出ていた「皇国史観研究会」なる正体不明のシーラカンスみたいな民族主義サークルの存在であった。 その翌日、大学の新入生オリエンテーションで、僕は新入生勧誘をおこなっていた皇国史観研究会の先輩方に出会い、その場で入会し、ビラ配りと勧誘の手伝いをし、そこから僕の皇国史観研究会での活動が始まった。 その時配っていたビラは、牛乳パックをあしらったもので、大学サークル特有のスゴく意味不明でシャレっ気の効いた感じだった。先輩方にその真意を聞くと「牛乳はカルシウムがいっぱいで骨をつくるだろ。戦後、GHQによって骨抜きにされた日本人に日本人としてのガッチリとした骨をつくるんだよ」と言われ、妙に感動した。 さて、その当時の皇国史観研究会の様子はというと、会員数が約十名。そして正式な会員じゃないけど、会の周辺をウロウロしている愉快な仲間たちがこれも十名くらいといった感じで、それぞれ高校時代にやっていた事といえば、野球、ラグビー、ボーイスカウト、水泳、弁論、剣道、柔道と全くバラバラ。 國士舘といった感じの蛇腹に角刈りの硬派な先輩もいれば、国民服を「正装」といって着てくる風変わりな先輩もいれば、ネオナチのファシストもいれば、小林よしのりを少し読んだだけの者も、女の子も、秋葉系も、軍事マニアも何でもいるような人種の坩堝であり、驚くことしきりだった。 その頃の皇国史観研究会の特徴としては、掛け持ちが多かった点である。活動が月に一度の土曜日に二時間程度の勉強会をするだけだから、みな時間を持て余して他のサークルに名を連ねている場合がほとんどだった。登山、空手、応援団など体を動かすサークルが多かった。 逆に皇国史観研究会にだけしか藉を置いていない者が「専従活動家」と呼ばれて珍しがられるぐらいで、かく言う自分も他の武道サークルで汗を流していたのである。そういった兼部率の高さのせいもあって、他のサークルの予定が入ったら勉強会に欠席という場合が多かった。とくに勉強会が週末だったため、他サークルの試合や行事が入りやすく、行ってみたら2、3人という冗談のような事があったりもした。 しかし、その反面で人的交流の広さは今以上で、なにか行事があれば相当な動員が出来た。例えば、僕が入学してすぐの平成16年5月29日に町田市立総合体育館で「北朝鮮による拉致問題パネルティスカッション 」という五千人規模の大集会があった。これに国士舘大学からは皇国史観研究会などが中心となって60人ぐらいの学生を諸サークルから動員して会場の設営と警備をやった。 さらに7月には皇国史観研究会などが中心となって青梅の河川敷でバーベキュー大会をやるのが毎年恒例行事になっていて、これにはいくつものサークルからいろんな学生が参加してワイワイやるのだから、兼部も捨てたもんじゃないなと思ったりもした。(写真はその時の集合写真) そんなこんなで僕の皇国史観研究会一年生としての夏がやってきたのだが、続きはまた気分が向いたら書く事としたい。 タカユキ
これまで、散々中国製の食品の怖さを取り上げてきた。
最近では、具に段ボールの入った肉まんが売られていたという報道がなされもしたが、中国産の物で怖いのは食料品だけだろうか? 今月の11日に、中国商務部の王新培報道官は、中国の輸出製品の品質と安全性について、輸出製品個別の問題を全体に関連させるべきではない述べた上で、「このように大量の商品が輸出される中、契約ごとに輸入相手も輸出元の中国企業も、規格や品質などの各方面で合意した上、厳格に取引を行っている」と発言した。 しかし、13日には来日中のハーガン米厚生副長官代行が、安全性に問題のある中国製品への対策を強化するため、日本との協力を推進することで一致したと明らかにし、両国当局は中国製品の情報交換などを進めるとした。 これは、食料品が主な情報交換の対象とされているが、食品以外の製品も含まれている。 そもそも、中国製の電化製品はどれくらい怖いのだろうか?実例をいくつか紹介しよう。 今月の17日に、米消費者製品安全委員会が懐中電灯や子ども靴など6つの中国製品について販売業者らが自主回収を始めたと発表したのだが、このうち懐中電灯では、松下電器産業の「パナソニック」ブランドと偽った内蔵電池が発火、手にやけどを負う被害も報告されているという。 自主回収がこの日発表された8製品のうち、中国製が6製品を占めており、問題の懐中電灯は4400個が流通し、発火事故が2件報告されているそうだ。 他の商品に関しても、人気キャラクターをあしらった子ども靴は留め具が外れる恐れがあるとされたほか、高濃度の鉛を含む子ども向けイヤリング、電子レンジなどが回収対象となっている。 これは、米国での事例だが、日本にも次のような事例がある。 今年の4月に、TOTOが1999年3月から2001年12月までに製造した温水洗浄便座一体形便器(ウォシュレット便座)Zシリーズの無料点検・修理を発表したのは記憶に新しい。 このZシリーズという機種において、発火して焼損した事故が3件、煙が出た事故が26件発生していたという。 その原因は、1999年3月に日本製から中国製に切り替えた端子部分において、メッキの密着不良があり、使用を続けるうちに振動などではがれて通電性が悪くなり発熱、発火にいたるというのだ。 しかし、中国政府はこの事を日本側の誤報と決めつけ、部品に問題はないと発表した。更に、後日TOTO自身が品質管理に問題があったと発表している。 まるで、中国から言わされたかのように個人的には思えてならない。 ただ問題は、これらの品質管理だけではない。 日本の自動車産業は、中国に沢山の工場を展開しているが、ホンダ等の日本車や韓国の現代(ヒョンデ)モービスの自動車のパーツ等を模造しているという話がある。 今年の五月に開かれた、上海モーターショーにて現代の関係者が、バイヤーを装って「現代・起亜(ヒョンデ・キア)車のエンジンとミッションを作れるか」と中国部品業者に尋ねると、相手は「もちろん作れる」と答えたという。 このモーターショーでは、この韓国企業の自動車にそっくりな物が展示された他、日本の三菱やホンダの製品にそっくりな自動車も展示されていたという。 また、韓国のあるコンデサー製造業者では、北京に支社を開設してから、クレームが多くなり調べてみたところ、そのコンデサー製造業者と10年間も取引をしていた中国のバイヤーが流通元だったという。 現在、日本の企業は安い人件費と豊富な被雇用者を求めて中国に多数の工場を進出させているが、結果として問題のある製品を輸入し、中国側には日本の技術が漏れているように思えてならない。 確かに、安い商品は魅力的だが、より安い悪質な模造品や海賊版で市場を奪われていては、元も子もない。日本の企業は、もっと“作り手”を選ぶ必要があるのではないだろうか? 文責 洗国 応援のクリックを! < 前のページ次のページ >
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