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今年の回想(後編)
さて、いよいよ今年も残すところ一日と半分を切りました。今日で今年の回想も最後です。十月から十二月は何かと行事も多いので、その中から選んで掲載いたしました。
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十月二十三日、靖国神社参集殿で、首都圏学生文化会議主催の「第22回大東亜戦争戦没学徒慰霊祭」が行われました。この慰霊祭には二年前より、私たち皇国史観研究会も参列させていただいております。
慰霊祭の第一部は、最初に中央大学三年生で首都圏学生文化会議の議長が挨拶を行い、次いで大東亜戦争に関する多数の著書がある、講師の名越二荒之助先生(高千穂商科大学前教授)が「世界から見た戦歿学徒の心」と題してスライドを用いた記念講演を行われました。やはり、名越先生の講演は噂通りの面白く、聞く人を惹き付けるものがあります。
第二部は慰霊祭として、参列者全員で昇殿参拝し、献歌と祭文を奏上し、厳かに行われました。



十一月二日から三日にかけて、国士舘大学世田谷校舎で毎年恒例の楓門祭が開催され、私たち皇国史観研究会は、戦後60年にちなんで、また先の大東亜戦争の意義を顕彰し、現在の我が国を覆っている自虐史観を払拭するために「大東亜戦争の真実ー世界を変えたサムライの力ー」と銘打った展示を行いました。
世界の有名人や、支那・朝鮮以外のアジアの人々が大東亜戦争をどのように評価しているか、アメリカがどのように日本を追い込み、非道なことをしたか、国難にあたって当時の若者はどう行動したか、大東亜共栄圏の理想とは何か、大東亜戦争が世界をどのように変えたか、各戦地の具体的な内実、それらを写真を含めて解説し展示しました。大東亜戦争の意義とは今更いうまでもなく、日本の自存自衛とアジア諸国を欧米列強から解放するための聖戦でした。
二日間で約300人もの方々の御来場と、熱い感想をいただきました。上の写真は当日の看板と動く看板君です。そして下の写真が当日の展示の模様です。
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十一月十八日、なかのZEROホールで「 皇室典範改悪阻止『草莽崛起』国民大会」が開催され、皇国史観研究会も参加して来ました。会場の大ホールは立ち見も出るほどの人の入りで、いかにこの問題が重要であるかを改めて感じました。
大会では、五十音順に井尻千男氏、伊藤哲夫氏、伊藤玲子氏、遠藤浩一氏、小田村四郎氏、加瀬英明氏、河内屋蒼湖堂氏、小堀桂一郎氏、名越二荒之助氏、西尾幹ニ氏、西村幸祐氏、平田文昭氏、宮崎正弘氏、三輪和雄氏、百地章氏の各先生方が登壇し、意見表明をされ、最後に参加者全員で 天皇陛下万歳を三唱しました。
今、愚者供の拙速な議論により 皇室典範を改正し、伝統を無視して 女系天皇を定められるようにし、我が国の根幹である国体が瓦解させられようとしています。私たち日本人は何としてもこの動きを阻止しなければなりません。また、来年も皇国史観研究会は、「國體死守」のため皇室典範改悪絶対阻止闘争を展開して参りたいと思います。
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十一月二十五日、九段会館で三十五回目の三島由紀夫追悼集会「憂国忌」があり、私たちは警備として参加して来ました。三島・森田両烈士は今から三十五年前の十一月二十五日に市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に楯の会の学生達と篭城し、憲法改正を訴えて割腹自決されました。毎年、この日に両烈士を顕彰し遺志を継承しようと大勢の人が集って来られます。
今年は大ホールを借り切って、神事により三島由紀夫烈士と森田必勝烈士の御霊を降ろす、五年に一度の儀式が執り行われました。写真は霊前に言葉を捧げられる小田村四郎氏(拓殖大学前総長)です。
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十二月三日、靖国神社でNPO法人磐南総合研究会による「出陣学徒慰霊祭」が行われました。第一部は靖国会館で始まり、まず、磐南総合研究会代表で早稲田大学四年の岩田温氏が挨拶し、続いて三名の学生による学生意見表明が行われ、皇国史観研究会の代表も意見表明をしました(写真)。次に十名の識者の先生方によるリレートークがあり、大いに盛り上がりました。
第二部は昇殿参拝し、祭文と献歌を奏上して慰霊祭を執り行いました。今回の慰霊祭は各大学から大勢の学生が参加し、先の大戦に赴かれて行った先輩学徒達の遺志をしっかりと継承して日本を護っていくことを誓いました。

以下、代表の意見表明全文

「本日は、皆様に於かれましては、御多忙の中にも関わらず、出陣学徒慰霊祭に御参列下さり、有り難う御座居ます。

 我々の先輩方が、学び舎を出て、我国の歴史上最大の国難であった大東亜戦争に赴かれ、その大東亜戦争が終結し、六十年が経ち、戦後という時代も人間で言えば還暦を迎えました。還暦とは「ゼロ」に戻るわけであります。そして、早いもので、新たな次の時代に向けて、今年も終わろうとしております。

 私はいつも靖国神社に参り、遊就館に展示されて居る遺書や、『英霊の言乃葉』などを読んで居りますと、先の大東亜戦争に勇躍出陣された学徒兵をはじめとする英霊達が、如何にこの国を愛し、この国の事を想われていたかを痛感致します。そのような素晴らしい先輩方のおかげで築かれた戦後という平和な時代に私は生を受け、先輩方とは対照的に惰眠を貪る日々を送って居ります。先輩方が遺書に綴られた思いを知りながらも、それを体現することの出来ない自分が居ます。

 そうした先輩方の遺書を拝していて気付いた事なのですが、その遺書の多くには、「七生滅賊」ないしは「七生報国」と綴られて居ります。この「七生」というのは、元の意味は、仏教の言葉で、七度生まれ変わるという意味です。

 この言葉を使った人物の、古く有名なところでは、後醍醐天皇に仕え、忠義を尽し、湊川で壮烈な最期を遂げられた大楠公、楠木正成や、維新の志士を数多く輩出し、安政の大獄に散った吉田松陰先生、また新しい所では、三十五年前に市ヶ谷で割腹自決された三島由紀夫氏が挙げられます。

 私は、靖国神社本殿の大鏡を拝して、この「七生」という言葉を考えていて思ったことなのですが、大楠公、松陰先生の肉体は亡んだけれども、その魂は亡ばなかったのではないか、後世の者が、先人の偉業を忘れず、その精神を継承する時、先人の魂は正にその人の胸に蘇るのではないかと思ったのです。そして、そのように先人達の魂が絶える事なく脈々と続いて来たのが、じつに我国の歴史であったと思います。

 つまり、その魂は未曾有の国難であった大東亜戦争に於いては数千数万の現身の体を借りて現れたのではないかと思うのです。そして彼らは、かつて、大楠公が湊川に赴かれたように、「あとに続くを信ず」の言葉と共に「七生」の二文字を遺して、決然と海原のはるけき果ての戦場に発って行かれました。彼らは実に、連綿とした日本の歴史の中に自らを一体化させて戦場に発っていかれたように思えます。

 そしてまた、大東亜戦争を戦われた学徒兵をはじめとする、数多の英霊を決して忘れようとせず、その精神を継承して行こうとする人々が本日は、このように大勢ご参集くださいました。かの大楠公をして「正成一人」と言われました。皆様方の眼を見て居りますと、今の日本は絶対に大丈夫だとの思いを強く致します。

 近年では、どこぞの売国奴が、靖国に祀られた英霊の事を「心ならずも戦地に赴いた方々…」と言って追悼ゴッコをして居りますが、そのようなことは英霊の遺書を拝するに、あまりに失礼な戯言であります。私達日本人が、本当の意味で英霊を慰霊する事とは何かを考えて参りましょう。

 我々、次の時代を担う学生に課せられた使命とは、英霊の精神を次の時代へと継承して行く事。すなわち、彼らの魂を「七生」のみならず、永遠に日本人と共に存在し続けるようにして行く事が本当の意味での慰霊でなければならないのではないでしょうか。

 そして、そのために我々は、英霊の精神を継承するに足りる人格を絶え間なく磨いて行くことこそが、最大の課題であると思います。
 我国の歴史を鮮烈に駆け抜け、未だ我々を見守って下さっている数多の英霊に遠く及ばない、だらし無く情けない私ではありますが、必ずや英霊の精神を心に宿した日本人となるべく日々精進して行くことを、靖国の社に鎮まります英霊にお誓い申し上げまして私の意見表明に代えたいと思います。
 拙い話しでありましたが、御静聴ありがとうございました。」
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by shikisima594 | 2005-12-30 17:35 | 活動報告
今年の回想(中編)
今夜は七月から八月まで、夏の間の行事を紹介します。夏休みは、合宿に敗戦無念日の靖国神社参拝、そして秋の学園祭に向けての用意等に取り組みました。
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毎年、七月中旬に靖国神社では、お盆にちなんで戦歿者の御霊を慰めるために、みたま祭が催され、境内参道には多くの提灯が溢れ、東京の夏の夜空を彩っています。今年は皇国史観研究会も提灯を一つ献灯いたしました。
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八月の上旬には、京都を中心に関西地方に二泊三日の合宿に行きました。上の写真は京都御所の御門前です。他には、八坂神社、高台寺、京都霊山護国神社、清水寺、二条城、護王神社、湊川神社、反日の牙城として知られるPIECEおおさか、偶然にも国士舘高校の試合があったので甲子園球場にも行きました。そして、あの昭和二十年八月十五日から六十年目の今年の八月十五日。
この敗戦無念日に皇国史観研究会会員と国士舘大学の有志学生とで、靖国神社に昇殿参拝し、先の大東亜戦争に散って行かれた英霊に感謝の誠を捧げると共に、英霊の遺志を継承し、尚一層日本の真姿顕現運動に邁進して行くことをお誓い申し上げたました。
この日は約二十万人の人々が靖国神社に参拝し、昼過ぎからは拝殿前は大混雑となりました。このことからして、中韓に気兼ねして議論されている「無宗教の国立追悼施設」など全く以て不要であると思えてなりません。靖国神社は既に次の世代に確実に継承されたのですから。
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by shikisima594 | 2005-12-29 22:03 | 活動報告
今年の回想(前編)
早いもので今年も残すところ僅かとなってしまいました。
このブログを作成したのが、今月の中旬ですから、今年の皇国史観研究会の活動の殆どを紹介できませんでした。そこで、紹介の意味も含めて、今年一年の活動を写真と共に振り返ってみたいと思います。
今回はまず、前編ということで、四月から六月の活動を振り返りたいと思います。

新入生勧誘
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入学式翌日の四月二日から、新入生で溢れる国士舘大学鶴川校舎で新入生勧誘を行いました。この時、私たち皇国史観研究会は約1500枚という前代未聞の大規模なビラ配りを行い、まだ見ぬ同志との出会いと、新入生諸君の覚醒を呼びかけました。

日本海海戦百周年記念式典
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日露戦争の折、東郷平八郎元帥率いる連合艦隊が、日本海でロシアのバルチック艦隊を撃破した日本海海戦から100年目の平成17年5月27日。連合艦隊の旗艦三笠がある横須賀の三笠公園で記念式典が行われ、私たちも参加してきました。

対高金素梅、靖国神社防衛闘争
六月十四日。台湾の外省人系の国会議員で、中共の走狗で反日主義者の高金素梅が、「靖国神社に祀られている祖先の霊を取り戻す!」などと意味不明な事を抜かして仲間たちと靖国神社に殴り込んで来るとの情報を掴んだ我々皇国史観研究会は、急遽有志を集め、当日早朝より靖国神社の防衛にあたった。当日は多くの心ある国民が靖国神社に来ており、高金素梅一行を乗せたバスも愛国心溢れる日本人の壁を前に一歩も靖国神社に入る事なく撃退された。

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写真下、負け犬の遠吠えを吐いて遁走する高金素梅一行
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by shikisima594 | 2005-12-28 21:13 | 活動報告
『ライト・イズ・ライト』
小説をめったに読まない自分が、中学生の頃から、本の背表紙が変色するぐらい読み耽った作家がいる。今年の九月七日に自決された見沢知廉氏だ。まだ、四十六歳だったという。その死が実に惜しまれてならない。
見沢氏の処女作は『 天皇ごっこ』(新潮文庫)だが、この作品は監獄、右翼、新左翼、精神病院、北朝鮮という非日常のフィルターを通して、 天皇とは何かを描こうとした異色作品である。しかも、これらの非日常の世界は、全て見沢氏の体験に由来しているのだから凄い。見沢氏は高校時代から暴走族に入り、その後、新左翼の活動家になるが、故あって新右翼の活動家となり、スパイ粛清事件を行い、懲役十二年。獄中で新日本文学賞を受賞。

さて、この『ライト・イズ・ライト』(作品社)は、見沢氏の遺作となってしまった作品だ。西暦80年代の東京を舞台に政治思想運動に身を投ずる若者達の青春群像といったところか。所々に弊会の青春群像(?)と通じる物があるような気もする。
主人公達は所謂「右翼」と呼ばれる青年達であり、一般人の読者からすれば違和感を感じるかも知れないが、恋愛あり、悩みあり、情熱あり、機動隊とぶつかり、極左と対峙し、テロをやる。この人間模様は息つく暇もなく読む者を惹き付ける。とにかく楽しい。本を読むのが遅い自分も僅か一日で読破してしまった。あぁ、俺もこんな青春を送りたかった!

http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/nihon-bun/tanpin/20103.htm
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by shikisima594 | 2005-12-26 22:53 | 読書録
制裁発動で拉致被害者救出を!国民大集会
12月22日、日比谷公会堂で「めぐみさん達は生きている!制裁発動で拉致被害者救出を!国民大集会」が開催された。この集会に皇国史観研究会から数名の有志が参加して来た。

今回の集会は、同じように北朝鮮に家族を拉致された家族の方が、レバノンやタイや韓国からも来て、拉致被害者救出運動に本格的な国際的連帯が生まれて来た。それと共に、世界中で悪行の限りを尽している北朝鮮の金正日王朝に対する激しく止み難い怒りが込み上げて来た。

一刻も早く経済制裁を発動し、拉致被害者の方々を一人残らず救出して、この運動を終わらせたい物である。そのためには、我々国民一人一人が、拉致された同胞を忘れない、犯罪者金正日を許さない、との決意を強く固めていくことによるのだ。

以下大会決議

 今この瞬間も多くの拉致被害者たちが北朝鮮で「いつ帰れるだろうか」と指折り数えて待っている。
 本大会には韓国、タイ、レバノンの被害者家族が参加された。北朝鮮は朝鮮戦争中に8万2959人、戦後に486人の韓国人を拉致し消息すら知らせずにいるし、曽我ひとみさんたちの証言により拉致事実が確定したタイ人のアノチャ・パンジョイさん、レバノン人のシハーム・シュライテフさんをはじめ、マカオ系中国人、ルーマニア人、フランス人など多くの国からも拉致をしていたことが明らかになりつつある。私たちはすべての拉致被害者を取り戻すための国際連帯を強めていくことを誓う。
 さらに日本人拉致被害者が金正日が認めた13人以外にも、はるかに多くいることは間違いない。本日も特定失踪者のご家族からの訴えがあったが、政府は日本人拉致の全貌を明らかにするため一層の努力をし、追加認定を続けて欲しい。
 政府は昨年12月24日、「迅速かつ誠意ある対応がなければ、厳しい対応をとる」と制裁を予告したが、それから約1年経ついまも北朝鮮は「拉致問題は解決済み、めぐみさんの遺骨鑑定は日本のでっち上げ」と開き直りつづけている。これはどう考えても「誠意ある対応」とはいえない。しかし、小泉首相は未だに制裁発動を決断しない。
 制裁発動は、拉致被害者全員を取り戻すという国家意思を示すことである。それを躊躇していると、拉致問題を重視していないという大変危険なメッセージが発せられる。国家意思を示すこと抜きに、被害者を救出できるのか。
 日本政府に強く求める。制裁法による送金・貿易停止、船舶入港禁止を行っていただきたい。北朝鮮最高人民会議(国会)代議員を務める総連幹部6人への再入国許可を取り消し、北朝鮮・総連への不公正な優遇措置の適正化を行っていただきたい。拉致被害者追加認定を継続して実行して欲しい。
 金正日に要求する。いますぐ、日本人拉致被害者を全員返せ。韓国人拉致被害者、その他の外国人拉致被害者もすべて返せ。核武装と戦争準備を止めて、北朝鮮民衆の生活向上に力を尽くせ。
  平成17年12月22日
  国民大集会 参加者一同
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by shikisima594 | 2005-12-25 20:39 | 活動報告
クリスマスに思う
さてさて、この時期になると日本には「メリークリスマス!」と云いながらケーキを喰つて、プレゼントの交換などをして居る輩が巷に氾濫する。保守・民族派にとつて何とも気分に悪い時期である。全く以て、おまえらはクリスマスとは何の日か知っているのかと小一時間問い詰めってしまう。

今の多くの日本人は12月23日の天長節を普通の単なる休日として過ごし、その翌日、翌々日を盛大に祝う。天長節は言うまでもなく、我が国日本の中心にあらせられる 天皇陛下の御誕生日である。そして、25日はキリスト教の開祖キリストの誕生日である。

日本人は皆等しく 天皇陛下から皇恩をいただいて、今ここに生きている。むろん、現代の日本人のみではなく、過去の先人達も同様に 皇祖皇宗の皇恩をいただいて生きて来た。しかし、キリストから恩義を受けている人間が今の日本に、また昔の日本に幾人いたのか?むしろキリスト教徒によって被害を受けた多くの日本人がいる歴史(原爆投下、東京大空襲など)と 天皇陛下から賜わった皇恩を忘れ、キリストの生誕を祝うなど不忠不敬の至極である。クリスマス断固粉砕すべしである。

しかし、人間は何か祭事をしたいという想いは持っているもので、この衝動がクリスマスという騒ぎとなって表れるのだろう。では、クリスマスを粉砕するためには、このクリスマスに代り得る祭を提案し、定着化させることが、クリスマス粉砕に向けた最も速やかで生産的で現実的な議論ではなかろうか。

以前、民族派団体一水会の機関紙『レコンキスタ』(平成16年12月号)に「クリスマスと新嘗祭」という論文が掲載されており、大変おもしろく斬新な論文で読み進めてしまった。何分にも今、手元に記事がないので不正確だが「クリスマスと新嘗祭は本来的には近い意義を有しているし、日本は外来文化を飲む込むのが御家芸だから、クリスマスを新嘗祭に取り込んでしまえ」という様な旨の論文であったと思う。

この提案は非常に重要なものであり、我々は外来文化に対する処置について、完全排斥するにせよ、取り込むにせよ具体的手段を常に考えて行かねばならないとの思いを強くする。でなければ、日本文化を保守することはできない。
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by shikisima594 | 2005-12-25 13:07 | 随想・雑記
天長節の一般参賀
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今上陛下の御誕生日である12月23日。
我々、皇国史観研究会と国士舘大学の有志学生14名は、午前十時に集合し、皇居の一般参賀に参列し、午前中の第二回目と第三回目の御出ましに際し、 天皇陛下の御姿と御言葉を拝し、全員声を枯らして聖寿の無窮と皇国の弥栄を御祈り申し上げた。
まさに気分は、世界の中心で 天皇陛下万歳を叫ぶ。であった。

日本人である我々の活動の根本になっているのは、実に 尊皇精神であり、今年一年の活動を振り返り、そして来年の活動の展望に繋げる意味でも、天長節に 陛下の御姿と御言葉を拝する事は実にかたじけないかぎりである。

陛下の御言葉は以下の通りである。
「今年もみな一人一人に、さまざまな喜びや苦労があったことと思います。各地で大雪が降り、厳しい冬になり人々の生活を心配しています。どうか、くれぐれも体を大切にし元気によい新年を迎えられるよう願っています」

国民の幸福と安寧を常に願われる 天皇陛下と、尊皇精神を絶やさない国民が共に歩み寄り、自然と家族のような関係になるところに、日本の君臣一体の国体の精華がある。
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by shikisima594 | 2005-12-24 21:39 | 活動報告
『稼ぐが勝ち』
f0018981_21252761.jpgいつもは好きな本やお勧めの本を紹介するのだが、今回はいつもと百八十度趣向を変えて、その反対の本について書いてみる。プロ野球の球団経営に名乗りを上げたり、フジテレビを買収しようとしたり、衆議院選に立候補したりして常に世間の話題をさらってきた、ホリエモンことライブドア社長の堀江貴文の『稼ぐが勝ち』(光文社刊)。あまりにもストレートな書名なので、内容は推して知るべしだが、実際に読んでみるとスゴイ。

「人の心はお金で買える」「金を持っているやつが偉い」「人間を動かすのは金」など、かつて色々な大富豪や経営者が、思っていたとしても決して口にしてこなかった文句を滔々と披露している。通常の人間には恥や謙遜という観念があるが、堀江は、自らを拝金主義の権化に堕して恥じようとしない。これがこの男の恐ろしい所であろう。

特に驚いたのは「(大東亜戦争直後に)それまでの社会を牛耳っていた連中は、みんな殺されてしまったわけです。敗戦後、東京裁判でA級戦犯、B級戦犯になった人たちは文字通りドーンと処刑された。(中略)いってみれば社会をリセットするために殺されているのです。この世から消されてしまうのですから、強制的にリセットされるわけですね。乱暴な言い方かもしれませんが、そういうふうに定期的に社会の膿を出していくことは、僕は必要ではないかと思っています。」
つまり、大東亜戦争後の悪名高い極東軍事裁判をはじめ、日本軍が降伏した海外各地で、占領軍に裁判と言う名で虐殺された先人達は、社会の膿であり、殺される必要があったと言っているのである。その歴史認識と倫理観には呆然とさせられる。

更に、「日本という国も、将来ずっと存在しているかどうかわかりません」などと書いているが、確かに堀江のような人間が今後も増え続ければ、日本の存続は危ぶまれてならない。

事実、堀江は自由主義・資本主義社会の発展の結果として「日本の中に二つの国ができる」と言っている。「経済的な格差は広がっていき、国内に二つの国が存在するような経済状況が生まれてくるのではないでしょうか。いまのアメリカはその近くまで行っています。多くの人はそれを暗い未来としてとらえているようですが、僕はそれは必然であるし、そうなっても別に構わないと思っています。」

これは共産主義者の言うところの「ブルジョア階級=資本家階級」と「プロレタリア階級=労働者階級」に二局分化した階級社会の事ではないのか。堀江は、国家社会の二極分化=階級社会の形勢が必然であると言っているが、その階級化された社会がどのような“歴史の必然”を辿る事になるのか想像力が働かないのか。抑圧されしプロレタリア階級による維新革命が起き、その時、堀江は「社会の膿」として、この世から消されてしまうだろう。

日本を愛する心ある国民よ!
旧態依然として共産主義者を批判攻撃するだけでは、日本を護る事は出来なくなっている。
共産主義の母である資本主義体制と、拝金主義に批判の矛先を向けよ!
六本木に聳え立つバベルの塔、六本木ヒルズを打ち砕け!

皇国史観研究会代表 タカユキ

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by shikisima594 | 2005-12-22 11:21 | 読書録
『藤田東湖の生涯』
f0018981_21274769.jpg恐らく、藤田東湖って誰?という人が今の日本では大半だろう。藤田東湖は江戸時代の水戸藩の藩士として活躍し、尊皇攘夷の思想を説き、日本の大義を明らかにし、多くの人々に影響を与えた人物である。今年は奇しくも、藤田東湖生誕200周年であると同時に、藤田東湖没後150年である。

藤田東湖から教えを受けた、あの西郷隆盛が「天下真に畏る可き者なし、唯畏る可き者は、東湖一人のみ」と言い切り、吉田松陰や橋本左内など多くの維新の志士達が教えを請いに東湖を尋ねた事からも、いかに凄い人物であったかが察せられるだろう。

この『藤田東湖の生涯』(但野正弘著、錦正社刊)は、そんな藤田東湖の人柄を余す所なく、解り易く書いている。水戸藩の家臣としての東湖、父・夫・息子としての東湖、師としての東湖、そして日本人としての東湖。今まで誰も書いて来なかった多くの視点から東湖を偲べる。随所随所に東湖の面目躍如たる逸話があり、すぐに読了してしまった。

東湖の人柄は、豪快にして繊細、厳しさと優しさを兼ね、学問と武道の両道を極めている。人に尽す者のあり方、人の上に立つ者のあり方、日本人の生き様、そのような、現代の我々でも必要とする生き様の鏡である。

また、藤田東湖が冤罪を受けて幽閉されている最中に記した「正気の歌」は有名だ。支那の文天祥の「正気の歌」を基に、東湖が日本の国体と自分の決意を綴った詩で、その美しく完成度の高い文から、幕末の志士の間で広く歌われた。かく言う僕自身も、つまらない授業の合間には、暗記した「正気の歌」をノートに書き写していたものだ。

「天地正大の気、粋然として神州に鍾る」に始まり、「死しては忠義の鬼と為り、極天皇基を護らん」に終わる。よく獄中にあってこの文を綴れたものだと驚かされてしまう。それだけに、東湖の壮烈なまでの日本に対する想いと、決意の強さには感動を禁じ得ない。

最後に、この本を読んでいて心に残った箇所の一つを引いてみる。東湖は当時、世間で幅を利かせていた学者連中を次のように批判している。

「今世の儒者動もすれば、唐人の事は丁寧に申、司馬温公(宋代の学者『資治通鑑』の著者)、朱文公(宋学を大成した朱子)、韓魏公(宋代の宰相)など唱へ、さて新田義貞が云々、楠正成が云々と申候類、相済まず、右様の人をば、僕毎に和唐人と唱へ申候。」(155〜156頁)

今の世では、学者のみならず「和唐人」が増えてしまった。中共に媚びへつらう「和唐人」とアメリカに盲従する「和唐人(和米人か?)」。今度からは、そんな現代の和唐人どもが書いた本の批判的紹介もやってみたい。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0351.htm

皇国史観研究会代表 タカユキ
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by shikisima594 | 2005-12-21 12:26 | 読書録
『敷島だより』顛末記
皇国史観研究会壁新聞『敷島だより』を創刊してから様々な不安があった。 そもそも小学校の学級新聞もつくった事のない者達が集まって、何のノウハウも無く定期刊行の壁新聞をつくるのだから無理がある。

そして、国士舘大学で掲示板に貼り出す掲示物は全て学生部の判子をもらわなければならないが、余りに思想的な内容から判子は貰えないんじゃないかという声が根強かった。実際に創刊号の、中共の原潜による領海侵犯事件を批判した記事には、学生部から注文が付き、表現を若干訂正した。

しかし、その後は不思議な事に、どんな内容であろうが判子が貰えた。それから、我々の半年に及ぶ機関紙活動が始まった。主な記事構成は時局問題であり、国史から得られる教訓のような話も頻繁に掲載した。

韓流ブームを批判し、韓国による竹島不法占拠を糾弾した時は韓国からの留学生に剥がされ、剥がされた場所に倍の枚数を貼り返すという反撃戦もやった。今の一年生の入学により執筆者も増え、またたく間に「不定期刊行」から「隔週刊」となり、6月13日の第十号から「週刊」になり、校内に「ご自由にお取り下さい」と書いて置いてフリーペーパーのようにした。

当時日本で、週刊で思想的内容の機関紙を刊行していたのは皇国史観研究会と中核派と革マル派だけだっただろう。部数も飛躍的に増え、当初の20部から100部を越えるに至った。一般学生や学校の職員はもとより、他大学の学生や社会人にも読者ができ、激励の声も多数頂戴した。自由配布にしておいた物など3日もすれば完全に品切れになり、バックナンバーの請求も寄せられた。他大学にいる絶滅寸前の極左サークルの連中が組織の機関紙を学内の掲示板に貼り付けておいても、こんな反応は無いだろう。

少し長くなるが、以下に創刊号から最終号までの記事の見出し全てを並べてみる。

【創刊号】「建学以来未曾有の愚挙!全国士舘生は建学の精神に戻りこの難局を突破しよう!」「原潜の領海侵犯に見る中国の横暴」「奉祝!天長節」「活動報告・大東亜戦争戦没全学徒慰霊祭に参列」

【第二号】「正月を家族と過ごせない人々 私達学生は拉致問題をどう考えるか?」「忘れられた言葉達ー皇紀ー」「天長節を迎え国体とは何ぞと考える」「活動報告・三島由紀夫烈士追悼憂国忌に参列」

【第三号】「韓流ブーム特集どこかで見た風景」「漫画から領土まで…」「つくられた言葉達ー従軍慰安婦ー」

【第四号】「NHK対朝日新聞の泥仕合を観る朝日新聞の『持病』が火種か?」「覚悟なき北に対する『経済制裁』」「二・二六事件から現代社会を考える」「紀元節ってなに」「忘れられた言葉達ー八紘一宇ー」

【第五号】「新入生歓迎!!国士舘にようこそ!新入部員大募集!」「皇国史観研究会ってどんなサークルなの?」

【第六号】「中国・韓国の反日騒動哀れな隣人達を想う」「『ザ・平和授業』そのやり方と現状」「活動報告・皇居勤労奉仕に参加」

【第七号】「五月三日は祝日か?日本国憲法の問題点」「ホリエモンに対する國士舘生的考察」

【第八号】「日露戦争戦勝百周年日露戦争の意義」「泥沼のイラク戦争」「活動報告・鶴川祭に参加」

【第九号】「『A級戦犯』分祀論をぶっ飛ばそう!」「活動報告・日本海海戦百周年三笠での式典に参加」「國士群像・維新の先覚者吉田松陰」

【第十号】「元寇の『神風』台風を『神風』に変えた力」「國士群像・忠義を貫いた武将楠木正成」「小泉総理、朝鮮総連に祝辞!日本国民への背信行為」「第十号を迎えて」

【第十一号】「特報!高金素梅、襲来 反日芸人を入国させた政府の愚」「僕の本棚・『物語日本史』平泉澄」「國士群像・無道の妖僧を排除和気清麻呂」

【第十二号】「無宗教の国立追悼施設なんかいらないっ!」「人権擁護法案の人権侵害な中身」

【第十三号】「輸入野菜が日本を蝕む!中国産野菜の危険性と食料自給率」「初夏のつぶやき」「國士群像・尊皇一筋の奇人高山彦九郎」

【第十四号】「誰がために郵政民営化 喜ぶのはアメリカのみ」「韓国の狂科書?」「國士群像・十七歳の行動山口二矢」

全てが順風満帆に見えた7月13日、それは突然やってきた。国士舘大学学生部より「現在、貼付している『敷島だより』を全て撤去し、以降学内掲示板への貼付禁止」との通達が、監督を通して伝えられた。壁新聞としてやってきた『敷島だより』としてしては、事実上の発禁処分である。

理由は僕が山口二矢烈士を書いた事、これに某学部の極左スターリニスト教員が怒り「テロリストを賛美する新聞に学内掲示許可を与えるたぁどういうこった!」と、学生部に怒鳴り込んだらしい、この程度の者が国士舘で教員を務めている事を思うと頭が痛くなるばかりであるが、他にも「韓国の狂科書」と書くのは留学生を刺激するからヤメてほしいだのという声もあったそうだ。

その他諸々の理由(大学当局の、建学の精神を忘却した営利至上主義と事なかれ主義)により、『敷島だより』は“休刊”と相成った。創刊当初からいつかはこうなるだろうと思っていたし、僕の原点である山口烈士を理由に“休刊”ならば名誉な事である。しかし、そこには「何をやっても大丈夫」という自分の驕りがあり、その点は今となっては深く反省している。

ただ、この知らせを聞いた多くの学内学外の同志、また一般学生と職員から“休刊”を惜しむ声と僕の身に余る激励を多数頂いた事、そのことからして“休刊”は残念でならない。

しかし、かの大楠公が赤坂城を落とされても、それにめげずに翌年、千早城で挙兵して鎌倉幕府を倒したように、我々もこの大楠公の精神を胸に次なるブログという舞台へと飛躍した。学校で壁新聞をしている限りでは読者は校内の学生・職員であったが、今や我々は世界と繋がったのだ。そう思うと胸の高鳴りを押さえられない。

我々は戦って行く、ここに日本がある限り!
今後とも御指導・御鞭撻の程、宜敷く御願い申し上げます。

皇国史観研究会代表 タカユキ
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by shikisima594 | 2005-12-20 12:35 | 随想・雑記