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皇紀を使って悪いか?
もう期末試験も卒業論文も終り、大学生は一息ついてるころだ。かく言う自分も試験が終りホッとしたいところだが、聞き捨てならない事が起きた。
先日、皇国史観研究会所属の四年生が、卒業論文に皇紀を使用していたことを教授から咎められた。その教授いわく。「皇紀は非科学的であり、皇国史観につながるから使うべきでない。西暦を使用すべきである」ということらしい。

まさかその教授も、その学生が皇国史観研究会会員だとは思わなかっただろうが、その会員は「そんな事を言ったら西暦が正確である事も怪しいのではないですか」と反論した。するとその教授は「皇紀より西暦の方が誤差が少ないから、西暦を使うべきである」と言って譲らない。

西暦はキリストの誕生から数えられているとされているが、実際は四年程早く数えているのは有名な話しだ。だったら元号を用いれば良いだけの話しになる。元号は明治以降 天皇陛下の御即位に合わせて定められているから正確だ。しかし、長い歴史をふりかえる時に不便な点があるのは否めない。寛徳二年は皇紀に換算して何年か?正解は一七〇五年。

このように時の 天皇にあわせて数える元号は正確で詳細な知識がなければ具体的な時間を把握する事が難しい。あの朝日新聞元記者である本多勝一のような左よりですら「元号よりも皇紀の方が合理的」と言っているらしい。

では、ずーっと通して数える暦の方が良いとするなら、西暦よりもずっと正確で誤差が無い暦がある。中華民国や北朝鮮のような新興国家が建国から数えている暦の方が遥かに正確だ。しかし他国の人は誰もそんな暦は使わない。そこには正確さ以外の重要な要素が欠落しているからだ。

それは自らの共同体に根差した歴史意識である。世界には西暦以外にも多くの暦がある。ユダヤ暦、仏歴、ヒジュラ歴、イスラム暦、ペルシャ暦、スペイン暦、マケドニア暦、檀君暦などなど…これらの暦に共通しているのは、自らの民族や信仰の物語を基準としている点であり、科学的正確性を云々するものではない。

そもそも、日本の皇紀は 初代神武天皇の橿原宮御即位を元年としている。これ自体に科学的根拠が無いのは事実であるが、 神武天皇即位の西暦紀元前六六〇年を日本の元年としたのには理由がある。

古来支那には讖緯の学という運命を予想する学問があった。これは、辛酉の年は人生の大きな変わり目であること。一二六〇年を節目として時代は転換すること。といった考えである。それが聖徳太子の時代に日本に伝わり、時の 推古天皇が即位されてから九年後の辛酉の年から一二六〇年を差し引いて 神武天皇御即位の年とした。

だからといって、皇紀が非科学的であるから使うな、というのは間違いである。私たちは様々な理由があるにせよ、日本の建国を今から二六六六年前とした先人達の考えと、それを現在まで伝えてきた祖先の思いを尊重しなければならない。それはキリスト教圏の人々がキリストを信仰して西暦を用い、ユダヤ教徒がユダヤ暦を使い、朝鮮の人々が檀君暦を使っているのと同じように、自分を育んでくれた存在への共属意識の発露である。
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by shikisima594 | 2006-01-31 20:34 | 随想・雑記
『反米という作法』
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政治、経済、歴史、文化…これらに関する事を日本で語ろうとした時には、必ずアメリカの影がつきまとい、それから逃れることは容易ではない。また、保守にせよ革新にせよ、オピニオンリーダーを気取ろうとする論者は、アメリカに対してどのような姿勢を取るかを決めざるをえない。それほどまでに、アメリカという存在はデカイ。

この『反米という作法』は、今から四年前の平成十四年に小学館から刊行された本で、前年にアメリカで起きた9.11同時多発テロ後に言論界で活発に展開された、対米関係を巡る議論を受けて、小林よしのり氏と西部邁氏の対談をまとめたものである。

その題名が示す様に、本書は日本の対米関係の一つのあり方として、反米を一つの「作法」として提議している。本書の帯には「クソリアリズムより理想を語れ」とあるように、全編を通して流れるのは両名の、明確な日本の理想と思想に対する誠実さである。

9.11テロとアメリカのアフガニスタンへの報復攻撃が始まると、自称保守論客達は「テロは文明社会への挑戦だ」「自由と民主主義を守るために戦わなければならない」と声高に主張し始めた。そして、両名のようにアメリカの遣り方を批判する者には、「今は反米を言うべきではない」「日本はアメリカに従属して行かなければならない」といった批判をした。

こうした自称保守の主張は、当時の自分にとって限りなく空々しく欺瞞と偽善に満ちた、役者の言葉のように聞こえた。彼らの詭弁の怪しさは感じていたが、では具体的にどこが誤りであり、日本人は何を主張していくべきであるか。そう考えたときに、本書は絶好の手引きであった。

政治と思想の決定的違いは、妥協の有無である。政治は妥協を前提とし、思想は妥協の無いものである。東西冷戦下において、共産主義の脅威の前に親米主義はある程度必要であった。しかし、冷戦構造崩壊後も親米を保守主義の教義であるかのように履違えていることが、政治と思想の境界を突き崩し、保守思想の退廃を招いているのではないか。

政治的判断により保守主義が捩じ曲げられる状況が続けば、日本のアイデンティティは壊死してしまう。かつて、大東亜戦争においてはガダルカナル、硫黄島、ペリリュー島、沖縄で多くの先人達がアメリカには絶対に屈しない決意を玉砕という形で示してみせた。

その子孫達が政治的判断でアメリカに屈服する現状を容認してよいのだろうか。そうした意味で、本書は多くの自分と同じ若者に読まれる事を願ってやまない。若者が国際情勢の現実と葛藤し、大いに理想を語るようにならなければ、日本に明日は無い。
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by shikisima594 | 2006-01-30 11:36 | 読書録
1月27日、皇国史観研究会定例勉強会
1月27日、皇国史観研究会の定例会が国士舘大学世田谷校舎でありました。今回は、以前にこのブログでも紹介した軍神杉本五郎中佐遺著『大義』の概要に関して、会員から発表が行われ、その後、皆で大義の内容に関して活発な質疑と各自の思う所を発表しあいました。
私たちが「日本とは何か?」という事を真剣に考えるとき、決して 天皇という日本の根本とでも申すべき御存在を避けて通ることはできません。そして、その 天皇に対し奉り、尊皇精神極北の大文字とでもいうべき物が、じつに杉本五郎中佐の『大義』ではないでしょうか。

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              ↑戦死三日前の杉本五郎中佐

以下に当日の討議用資料を掲載します。

「軍神杉本五郎中佐のあらまし」  
 明治三十三年五月二十五日(大楠公が湊川で戦死した日)に広島県安佐群に、杉本五郎中佐は生まれた。市立天満小学校、私立修道中学校から陸軍士官学校(第三十三期)を卒業し、昭和六年に補歩兵第十一連隊中隊長に就任。同十二年九月に支那で壮烈な戦死、享年三十八歳。死後、中佐の遺品の軍刀は 昭和天皇の天覧に供せられ、陛下は「そのような忠義の者もおったか」と感嘆されたという。
杉本中佐は士官学校に入学した初めの時、東京の禅道場を訪ね、平松亮郷老師に禅を学び、士官学校で夜中に皆が寝静まった後に風呂場で坐禅をしていた。士官学校を卒業して広島に帰ったあとは臨済宗大本山の仏通寺に出征直前まで約二十年近くにわたり、中央方面への転勤の話しも断って参禅し続けた。大義の中に仏教的語句が多いのはこのためである。
 杉本中佐の参禅していた仏通寺管長山崎盆洲は杉本中佐の人柄の一端を偲ばせる話しを遺している「(中佐は)部下を可愛がることは深切を極めてゐた。兵士には貧しい百姓の子弟が多いので、よく農民の生活状態について心配して居つたらしい。天津へ出動して行つた時には、自分の中隊の兵の家庭をよく調べて置いて、無名で自分の俸給の一部をさいてその家庭に送金してゐた。」そのためか中佐は軍服以外はいつもボロボロの服を着て、何でも文句を言わずに食べていたという。
 常に剣術、坐禅、読書だけは怠らず、楠木正成、吉田松陰、乃木希典を尊敬し、橘曙覧の歌を好んでいた。

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             ↑杉本中佐の筆跡(第十八章「皇国民の定義」)

「大義の書かれた時代背景」
 大義は昭和十一年夏より、翌年の九月十四日まで、約一年にわたり記されたものである。この昭和十一年の二月には、いわゆる二・二六事件が起き、明治の末期から行われていた 天皇機関説論争(東京帝国大学の上杉慎吉博士と美濃部達吉博士による)が社会的に広く認識され、北一輝を首魁とする国家社会主義的風潮や、ソビエトの手先である日本共産党が主導する共産主義運動が台頭し、大きな問題となっていた頃である。
 これらの事柄に憂慮を抱いた杉本五郎大尉(当時)が、自分の子供達と部下達のために、正しい日本人の道として書いたのが大義である。
 これは緒言が「吾児孫の以て依るべき大道を直指す」にはじまり、「歳々大義の滅し去ること、掌を指すよりも明白なり」と書き、本文においても度々二・二六事件や 天皇機関説に言及していることから、こうした時代背景が中佐をして大義執筆に導いた事は明らかである。

「大義の影響」  
 大義は昭和十三年二月に平凡社から発行され、昭和二十年の敗戦までに百二十三万部が発行され、若者を中心に熱狂的に広まった。当時、大義を読み、大きな影響を受けた作家の城山三郎は、戦後『大義の末』を書いている。当時は学校の生徒から若い教師に至るまで、ほとんどの者が大義を読んでおり、戦線に赴く友人に大義を贈っていたことなど、当時の若者や兵士が大義を心の拠り所としていた事が書かれている。
 敗戦後、日本を占領したGHQは、何冊もの本を発行・販売・譲渡禁止にして焚書扱いにした。もちろん大義もこの処分を受けたが、民間の有志達により何度も復刊された。
 戦前・戦後を通して維新運動を展開し、敗戦を獄中で迎えた中村武彦氏は自著『私の昭和史』で敗戦直後に獄中に面会に来た妻と会った時の事として次の様に書いている。「(妻の)別れてまだ二十日足らずの間に別人のように痩せて蒼ざめた姿には愕然とした。妻の方でも真赤な獄衣を着た私を見てショックだったようだが、ともあれお互いに運命に従って懸命に生きよう、軍神杉本中佐の『汝我を見んと要せば尊皇に生きよ、尊皇精神ある処 常に我在り』(原文ママ)という言葉をそのまま我々の言葉としよう。」このように大義は戦後においても維新者の心の支えであった。また、大義の名を冠した民族派団体が何団体も創設されたことから、大義が如何に長期にわたり大きな影響を及ぼしたかが分かる。

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             ↑杉本中佐所属の連帯営舎と家訓

「大義の現代における思想的位置付け」
 現代では大義自体が殆ど忘れ去られているが、その中で大義を取り上げ、思想としての位置付けをしている者もある。評論家の吉本隆明、浅羽通明などのリベラル派は、大義を「ナショナリズム」、その中でも取り分け「超国家主義」に分類している。
 大義第九章国防には、「万邦無比の国体たる 皇国には、自ら万邦無比の国防真義なかるべからず。万邦無比ならば、正に無比なる大精神に生くること、是れ 皇国国防の基調なり。八紘は 天皇の所有なり。何をか国家の独立永昌といふや」とあり、さらに明快に「 天皇は国家のためのものにあらず、国家は 天皇のためにあり。」と書いている。大義は通俗的に言う所のナショナリズムでは分類出来ない思想的次元に存在し、その根本は 天皇主義とでも言うべきものである。
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by shikisima594 | 2006-01-28 12:42 | 活動報告
皇国史観と唯物史観
今の日本には様々な歴史観がある。何に重点を置き、どの価値規範に準拠するか、また社会・歴史の発展をいかに説明するか、過去の事象に対していかなる見解を持つかにより歴史観は分別される。 今回は、その中から二つの歴史観を取り上げて比較検討し、その矛盾に関して私見を述べたい。

皇国史観…我が会の名前にもなっている歴史観であり、簡単に言うなら、日本の歴史とは 天皇を中心に戴き、 天皇と国民が一体となって、国体の精華を発揮し、あゆんできた歴史であるとする歴史観である。通俗的には、戦前に東京帝国大学で教鞭をとっていた平泉澄博士を中心とした保守派歴史学者の歴史観とされているが、平泉博士自身は自分の歴史観を「皇国史観」と言ったことはない。

唯物史観…ヘーゲルの弁証法を唯物論を用いて批判的に発展させた歴史観で、弁証法的唯物史観といい、十九世紀に共産主義の父マルクスによって考えられ、共産主義者の歴史観となる。この世界全体は自然発展の過程にあり、社会の内部矛盾により社会発展が発生すると考えた。

既に、これら二つの歴史観はマイナーな歴史観となっている現状は否めない。皇国史観は大東亜戦争の終結を以て、唯物史観はソビエトをはじめとする東側社会主義圏の崩壊により、学問的探究に値せず、と看做され、それぞれの立場を喪失し、保革両陣営はこれらの歴史観に代る新しい歴史観を打ち立てる作業に勤しんできた。

しかし、これらの歴史観が政治的条件の変遷のみにより、内実の検証なく否定されてしまう事自体が、学問的態度に反する様に思える。最近では、保守的歴史観を批判する時に「それは皇国史観だ!」という声が左側から聞こえ、革新的歴史観を批判する時に「それは唯物史観だ!」という声が右側から聞こえる。では、それぞれ罵声を投げ合う者に、「皇国史観とはなにか?唯物史観とはなにか?」と聞いた時、満足のいく回答が如何ほど得られるだろうか。

これらの歴史観は全く以て相反する歴史観のように認識されている。事実、皇国史観と唯物史観は相容れない歴史観である。しかし、私は最近になって興味深い事に気付いた。それは、唯物史観が皇国史観の正統性を証明する手段となる、ということである。

唯物史観において、社会は弁証法的発展によって変化し、進歩して行く。単独で生活していた哺乳類が自らの生存・繁殖を目的とし、これを合理的に遂げる群を形成し、確実な補食を目的として特定の場所に定住し生産を行った。(むろん、騎馬遊牧民のような存在もあるが、それらが集団を形成し、何らかの生産を行っていたという事実には相違ない。)群には秩序と効率が求められ、リーダーが立てられる。さらにこの集団が発展し、大きくなり、国家とよべるものとなる。そこには統治者と、その周辺に居る権力者達の集団による支配階級と、農民や職人などの被支配階級に分化する。これらの状態の変化は、存在と周辺との関係における矛盾の弁証法的発展からなされている。

支配階級が被支配階級に対して過酷な支配を行い、それらの階級間に矛盾が生じ、その弁証法的発展として、被支配階級が蜂起し、統治者と権力者達は斥けられる。これにより封建制社会は崩壊し、共和制ないしは民主制に移行する。このように歴史とは矛盾の弁証法的発展により進歩してきたとするのが唯物史観である。

こうした歴史観を有する唯物史観論者、いわゆる共産主義者は、「 天皇制は搾取・抑圧・差別の元凶であり、階級社会・資本主義社会の象徴であり、打倒すべきであるし、そうされるだろう」と主張している。こうした主張は大東亜戦争後の昭和二十年代から昭和五十年代にかけて特に活発になされ、現在でもラディカルでコアな共産主義者達が主張している。戦後直後のアーノミー的に風潮から、こうした主張が発生したにせよ、それらは現在の日本でも特定の勢力と影響を有している。これらの観点から書かれた本は、図書館に行けば甚大な量があるので容易に確認できるだろう。

しかし、前述の共産主義者達の主張が正しいとするならば、この唯物史観的天皇観は一つの矛盾に突き当たる。それは、搾取・抑圧云々といった元凶であり、国民との矛盾関係にあるとされる 天皇が何故、2666年間の皇統を誇って現存し、しかも尚、この存在を倒そうとする兆しが見えないのか、である。

フランス王制を例に取る。西暦1598年に成立したブルボン朝は、王族と貴族、聖職者が国民に多くの負担を強いて、これを支配し、ルイ14世の時代には多くの対外戦争を起こし、その挙句に多くの領土を失い国民に多大な犠牲を与えた。このように王・貴族階級と一般国民との間には矛盾関係が存在した。ルイ14世の後、十八世紀初頭より王朝は衰退期を迎え、1792年に共和国宣言により王制は廃止され、翌年1月21日、ルイ16世は処刑される。

衰退期から数えて約80年。成立から廃止までにしても僅か194年の時間で矛盾は弁証法的発展を遂げた。これはどこの国の王朝や政権にしても、若干長短の差こそあれ、ひとたび国民と統治者の間に矛盾が生じれば、それは矛盾を蒙る者達により矛盾関係は清算される。 では、 天皇が2666年も君臨されているのは、日本人が他国の民に比べて極めて劣っており、矛盾を認識する知能も蜂起する勇気も力も無いからなのだろうか。それとも、 天皇を利用する支配階級が矛盾関係清算に立ち上がる国民を無理矢理武力で二千年以上にわたり封じ込めてきたからなのだろうか。

答えは明らかだろう。 日本には有史以来、国体に対する弁証法的発展は発生していない。故に 皇室と国民の間には矛盾関係は存在しない。それはつまり、 天皇と国民が一体となり、国体の精華を発揮してきた歴史的事実が存在するからである。もちろん過去には 武烈天皇のように、徳の欠けられた 天皇や、大友皇子と大海人皇子との間の、皇位継承争い壬申の乱や、南北朝時代のような歴史もあるが、それらの不幸な出来事を当時の人々が如何に反省し、 天皇と国民との関係、日本の国体はどのように発展してきたかに目を向ければ、より一層、矛盾関係の不在は明らかになるだろう。
これらの事より、唯物史観の弁証法的論法を用いて、皇国史観=日本国体が正統であることが論証される。

むろん、この結論よりも大切なのは、どうやって今後この国体を護持し、皇国史観を確立し、後世に伝えて行くかということである。そのためには国体に対する弁証法的発展=革命を起こさないために、 天皇と社会矛盾が直結する様な事態が起きない様に注意を怠らない事と、過去の権力者と 天皇との関係を研究し、その問題点などを研究する事が肝要であると思われる。

簡単に言ってしまえば、 皇室と国民の良い関係、すべての日本人が住み良い日本を守っていくということである。それを見据えて行く事が、皇国史観顕現・共産主義的唯物史観克服の道である。
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by shikisima594 | 2006-01-27 13:46 | 随想・雑記
皇室典範の拙速な改定に反対する緊急集会のお知らせ
1月14日、1月22日に皇室典範改悪阻止の集いがありましたが、この運動を更に波状的・連続的に行う事によって、皇室典範改悪阻止の大きな運動を巻き起こしていきましょう!来る
2月1日に以下のような集会があります。皆様是非ご参加ください。

皇室典範の拙速な改定に反対する緊急集会
―男系による皇位継承の伝統を守ろう―

拙速に女系継承を導入してしまえば、二千年の歴史が断絶し、もう取り返しはできません。
この度、有識者会議の報告書は、女性・女系天皇を導入し、第一子(長子)優先の皇位継承制度を打ち出しました。政府は、この報告書に基づく皇室典範「改正」案を、次の国会に提出し、成立させるべく準備を進めています。拙速な皇室典範改正に反対する国民集会に奮ってご参加ください。


提言者 
   渡部昇一氏(上智大学名誉教授)
   工藤美代子氏(ノンフィクション作家)
   平沼赳夫氏(元経済産業大臣)
   三好 達氏(元最高裁長官)ほか

日時
  平成18年2月1日(水) 午後2時~3時30分
  開場:午後1時

会場
  憲政記念館 大ホール 
   東京都千代田区永田町1-1-1  電話:03-3581-1651

共催
  日本会議国会議員懇談会・日本会議

お問合せ先
  日本会議事務局 〒153-0042 東京都目黒区青葉台3-10-1-601 
  電話03(3476)5695   FAX03(3476)5612
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by shikisima594 | 2006-01-26 14:42 | 告知
ホリエモン逮捕に思ふ
「週刊新潮」の予想が外れた。ほかでもないホリエモンこと堀江貴文逮捕のことだ。新潮は「ホリエモンは二月逮捕でムイチモンになる」と見出しを掲げてゐたが、マスコミが「ライブドアに強制捜査か?」と報じて、捜査が入り、瞬く間の捕り物であつた。

単刀直入に最初の感想を云つてしまへば、よかつたよかつた、めでたしめでたし、と思つた。銭と株を転がし、露骨で不見識な言動で国民を振り回す強欲道化師が、はからずも自らの言葉通り、社会の膿として排除(堀江貴文著『稼ぐが勝ち』三十四頁)された訳である。

しかしながら、このホリエモンをめぐる、球団買収以来の騒ぎは彼の個性に依拠する部分が多分にあるにしても、その根底には資本主義・自由主義の思想があることを見落としてはならない。言はばホリエモンなる存在は、これら資本主義構造の産物であり、ホリエモン逮捕を以て、一連の銭転がしや拝金主義の風潮が収束する根拠は存在しないのだ。

堀江が経営セミナーを開けば多数の青年が集ひ、本屋に足を運べば堀江の本が所狭しと並べられてゐる。そして、次の時代を担ふ若者を育成する大学では、かつてはマルクス主義経済学が主流であつたと云はれていたが、今や学生に向かひ「君達には第二、第三のホリエモンになつて欲しひ」と恥ずかし気も無く言ふアメリカ帰りの教授が台頭しつつある。

ホリエモンもマルクス主義者も、いづれも 皇室に対し奉り不敬至極な輩であるが、マルクス主義者は人民の救済、社会矛盾の解消を目的にしてゐるだけホリエモンより遥に良心的である。

そのマルクス主義者である日本共産党が先日、機関紙「赤旗」で、ホリエモンの出現を許したのは、自民党が七年前には企業買収を認め、五年前には株券の分割も認めるなどの規制緩和を打ち出したのが原因であり、こうした事を改めねばならないと言つてゐた。これでは自民党と共産党のどちらが保守か分からない。

もはや近年の自民党は何を保守するのかを見失つているかの感があるが、これらの規制緩和、マネーゲーム容認の姿勢が、前述の如き資本主義・自由主義・拝金主義の風潮を土壌を育んだのである。そしてホリエモンとは、その土壌に生じた一つの草にすぎない。

しかも、この草は刈り取られるまでに多くの種子をばらまいた。第二、第三のホリエモン出現をいかに防ぎ、日本の美徳に満ちた精神を守り、格差社会を是正するか。そのためには使い古された教条的道徳や、ルサンチマンに満ちただけの批判は、青年の耳には届くまい。

一度火の付いてしまつた人の欲望は制し難く、第二、第三、いや無数のホリエモンの出現は不可避かもしれない。それはつまり、堀江が言つてゐた「日本の中に二つの国ができ」てしまふ恐れすらある。さうならない為にも、我々はより一層、過去を顧み、政界・経済界に目を光らせ、自らの声を上げて行かねばならない。
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by shikisima594 | 2006-01-26 13:54 | 随想・雑記
皇国史観研究会リンクバナー
     ↓其の壱
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     ↓其の弐
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     ↓其の参
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皇国史観研究会のバナーをつくってみました。よろしければ、リンクの際にお使いください。尚、皇国史観研究会ブログは、基本的にリンクフリーですが、ご一報くだされば幸甚に存じます。
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by shikisima594 | 2006-01-25 12:13 | 告知
『空想から科学へ』
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先に紹介した『共産党宣言』と並んで、共産主義の入門書とされるのは、フリードリヒ・エンゲルスの『空想から科学へ』である。もちろん、この『空想から科学へ』の主語は「社会主義」であり、社会主義理論の発展を解説したものである。

自分が読んだのは、昭和四十一年に改訳された大月書店の『空想から科学へ』であり、今なら岩波書店版の『空想より科学へ』が、文庫本として出回っており、最も入手しやすい。もともとは、ベルリン大学の私講師オイゲン・デューリングを批判した『反デューリング論』から三章の論文を抜粋して、ドイツ社会民主党内のパンフレットとして作成されたものである。

まず本書の構成を紹介する。序文が46頁、本文が60頁、解説が10頁、事項注が22頁、人名注が9頁となっている。序文が本文の3分の2以上ある本に出会ったのは、これが初めてである。しかも、「空想的社会主義」から「科学的社会主義」に至る哲学的流れを延々、独特のドイツ語直訳調で書いている前半のくだりは、読む睡眠薬以外の何者でもなかった。

十九世紀フランスの初期社会主義者、サン=シモン、フーリエ、オーウェンらの「財産の不平等を改め、理想社会の建設をめざす」といった考えをある程度肯定し、その思想的功績を評価しながらも、それらのどこに欠陥があるかを、具体的に指摘している。

サン=シモンの場合は「労働者」と「不労者」が対立している現状を認識したが、この「労働者」の中には銀行家、工場主、大商人などが入っており、「不労者」の中には年金生活者すらも入れられており、こうした定義のおかしさを、フーリエの場合は人類が将来滅亡するという思想を歴史観に導き入れた事など…

総じてこれらの初期社会主義が「空想的」だった理由は、まず、特定の階級を解放するのではなく、いきなり世界全人類を解放しようと考えるからであり、過去に理性と永遠の正義が実現されなかったのは、それが認識されていなかったからだという考えによる、といった点を挙げている。

また、ドイツ古典哲学をもとに、形而上学的思想と弁証法的思想の発展の経過を説明している。弁証法哲学の大家ともいうべきヘーゲルは、観念論者であったために、自らの弁証法哲学を完成させられなかったが、そこに唯物論が加わり、人類の歴史を自然発展の過程であると捉える弁証法的唯物史観が、共産主義者の間で成立したことが書かれている。このくだりは、共産主義の唯物史観を批判する上でも、是非読んでおいた方がよいだろう。

そして、最後のあたりでは、生産手段を社会が掌握することにより初めて「物質的にまったく十分であり日ましにますます豊かになってゆくだけでなく、さらに社会全員の肉体的・精神的素質の完全で自由な育成や活動をも保証するような生存を、社会的生産によって社会全員のために確保してやる可能性、この可能性は、いまはじめてここにある。」「プロレタリアート革命ー諸矛盾の解決。プロレタリアートは公的権力を掌握し、この権力によって、ブルジョアジーの手からすべりおちつつある社会的生産手段を公共の財産に転化する。この行為によってプロレタリアートは、生産手段を、資本としてのこれまでの性質から解放し、生産手段の社会的性格に、自分を貫く完全な自由を与える。」と書いている。

空想的社会主義の欠点、弁証法的唯物論の成立などは、ある程度納得して読む事が出来たが、このくだりだけは理解に苦しんだ。エンゲルスの言うプロレタリアートの自由とは何か?ブルジョア階級の支配から解放された先には、共産党一党独裁による更に過酷な支配が待ち受けていたのが、第二次大戦後の共産主義国の現実ではなかったのか。

先に『共産党宣言』を読んだ時に、なぜアメリカが共産化しないのか疑問に感じたと書いたが、『空想から科学へ』には、その事に対するエンゲルスなりの言い訳が書いてあった。いわく「ブルジョアジーの永続的支配は、ただ封建制度が存立したことがなく社会がはじめからブルジョア的な基礎から出発したアメリカのような国々でのみ可能であった。」

だとするならば、アメリカは弁証法的唯物史観の適用外になってしまい、「全世界を発展する一つの過程」と捉えるはずの弁証法的唯物史観の論理は破産してしまう。『空想から科学へ』と銘打ってはいるが、所詮は空想から、ややましな空想になっただけということか。

しかし、こうした空想から科学へ、理論を発展させる作業は我々にも大いに求められている。いつまでも現状社会の諸問題を語るにあたって「戦後民主主義が…」「マッカーサー、GHQが…」「日教組が…」と言っていたのでは、かつての共産主義者と同じ狼少年になってしまう。手探りでも良いから己の言葉で今を語り、自分の目で過去と未来をみつめていく。尊皇精神、皇国史観、愛国心、これらも空想から科学を目指そうではないか!
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by shikisima594 | 2006-01-25 11:32 | 読書録
緑豆、正体見たり、偽善主義
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060119-04199228-jijp-int.view-001

ドイツの首都ベルリンにある日本大使館前に、今月十九日、捕鯨反対を主張する自称「国際環境保護団体」のグリーンピースが体長17メートルもあるナガスクジラの死体を置いて抗議行動をしたという。

ネットニュースで、この模様の写真を見たときは驚いた。なんでドイツの警察は、これを止めないのかという疑問もあったが、それまで「鯨は頭がいいから捕獲するのは野蛮だ!」などと主張して日本の捕鯨に強く反対していたはずのグリーンピースが、このような事をするとは思わなかった。

例えば、日本の動物愛護協会が、保健所で薬殺処分にされる犬猫が可哀想だからといって、保健所の前に犬や猫の死体を並べたりはしない。それこそ死んだ物の尊厳を侵す行為であり、それをする者の品位が疑われる。それに、各国の大使館前に、その国によって犠牲になった者の亡骸を置いていたら、アメリカ大使館と中国大使館前は歩行者の通行も不可能になる。

今回のことは、グリーンピースという団体の運動とキャンペーンのためなら何でもやるという偽善的本性をさらけ出させた事件に思える。そもそも、日本は捕鯨を行ってきたが、江戸時代から鯨の供養も常に欠かす事なく行っており、今でも日本には鯨の菩提寺がある。

このようなことからしても、鯨の尊厳を自らの運動のためだけに、あっさりと侵す偽善主義団体グリーンピースごときに捕鯨に関して云々言われる筋合いは存在しない。日本人は堂々と鯨を食べるべし!
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by shikisima594 | 2006-01-24 12:03 | 随想・雑記
皇室典範改定問題を考える緊急集会
1月22日夕方に町田市民ホールで、元経済産業大臣の平沼赳夫議員を講師に招いて、皇室典範改定問題を考える緊急集会が開催されました。緊急にも関わらず、会場では立ち見も出る程の人が訪れました。  

まず主催者を代表して、日本会議町田支部代表の小出喜朗氏が、「改革、改革と言われているが、変えていいものと、変えてはいけないものがある。それを考えなくてはいけない。」と挨拶され、次いで現在では無所属となった平沼赳夫議員のお話しがありました。  

以下に会員のメモより話しを要約した内容を掲載します。尚、会場でのメモのため、内容に一部不正確な箇所があるかもしれないことを、はじめにお断りしておきます。  

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 先の郵政民営化をめぐり、アメリカから多くの圧力や干渉がありました。  
これは郵政問題に限った事ではなく、阪神大震災の直後、アメリカが日本に建築資材を売るために、日本の建築資材強度の基準を“必要最小限でよい”と緩和させたりもしました。こうしたことは、先の姉歯建築士による耐震強度偽装と通じるものがあります。  そのように自由化・民営化を推し進めていますが、守らなければいけないものは、守らなければいけません。  

 一昨年の十二月に、小泉総理の私的諮問機関である、皇室典範に関する有識者会議が設立されました。その会議の十名は、会議の座長がロボット工学専門家であることに代表されるように、ほとんどが皇室に無知であったり、左の系統の学者もおります。その結果、女系女帝を認める方向になりました。

 有識者会議は、昨年の一月から十七回、計三十時間しか会議をやっていません。しかも欠席する者が何人もいました。そんなもので神代から2666年続く皇統を論じ、その結果が長子優先・女系容認というものです。

 小泉総理は、これを「よい答申だ」として今国会に提出し、三月上旬には上程するつもりです。今、準備委員会をつくって改正案作成にとりかかっております。
 私は人に徒名を付けるのが得意ですが、小泉総理は“改革パラノイア”です。

 天皇とは、初代神武天皇より、国民のために祭祀・神事を続けられて来られました。宮中三殿で行われる新嘗祭には、三権の長などが立ち会います。これは私が、参加した人から聞いた話しですが、祭祀の行われている最中に、小泉総理は傍らにいた宮内庁の職員に「あの中で何をやっているの?」と尋ね、職員が「世人の立ち入るべき事ではないので、お答え出来ません。」と答えたところ、「改革だ!」と言ったそうです。これが私が小泉総理を“改革パラノイア”という所以です。 彼は九月で辞めますが、皇室典範改定はなんとしてもさせてはなりません。

 また、ここにお集りの皆様の運動の成果が現れてきたのか、以前は女系天皇に賛成する世論が80%ありましたが、今は70%にまで下がっております。確かに御歴代の天皇の中に八方十代の女帝はおりましたが、それは全て存命中に男系男子に譲位しております。かつて皇位継承の危機はありましたが、全てそのつど遠縁からでも、男系男子に継承させております。男系継承こそ日本の伝統です。

 日本人のアイデンティティーの中心となるものは小泉純一郎さんでも池田大作さんでもないのです。それは皇室をおいて他にないのです。
 しかも、男系継承を守ってきた皇室は日本の中心であり、宝です。これがなくなれば日本の統一が危うくなってしまいます。  マッカーサーも豊臣も徳川も壊す事が出来なかった皇室を、近年の風潮だけで変えてしまうのは、日本にとって由々しき問題です。欧米王室は他国の王室と結婚したり、女系継承をしたりしていますが、日本は男系継承で万世一系を守ってきました。ですから、皇室典範改悪は絶対に阻止しなければなりません。

 私は今後、そのための議員連盟を立ち上げて戦って行きたいと考えています。 また、まっとうな日本をつくるために、ご当地から町田市長選挙、市議選挙にそれぞれ出ている、大西宣也議員と弥吉みちさんは、皇室典範問題、拉致問題に積極的に取り組んでいますので、よろしくお願いします。本日は御清聴ありがとうございました。

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次に、皇室典範改悪阻止運動で活躍されている杉並区議の松浦芳子議員が登壇し、皇室典範改悪阻止運動の現状と今後の展望についてお話しされた後、町田市長選挙に立候補予定の大西宣也議員と、市議選に立候補予定の弥吉みちさんが、登壇してそれぞれ決意を語り閉会となった。

以下、集会決議

 今般政府が次期通常国会に上程しようとしている皇位継承に関する皇室典範改正案は、歴史上初めて女系による皇位継承を導入し、長子優先を提案した「皇室典範に関する有識者会議」の報告に基づいている。
 しかし以下の通り、この報告書に基づいてただちに法改定に踏み切ることは、まことに拙速であると言わざるをえない。

 一、この報告は、百二十五代、二千年以上の歴史を有する皇位継承の変更について、僅か十ヶ月三十時間の審議という短時間で結論を出している。

 二、吉川座長は、「国家観・歴史観の問題は扱わない」と明言して審議を進めたが、皇位継承の問題は歴史そのものである。歴史を検討しないまま、一度女系による皇位継承を導入すれば、とりかえしのつかないことになる。

 三、皇室には親王(男のお子様)が誕生する可能性があるにもかかわらず、この報告は、親王を皇位継承順位の第一位から排除する長子優先という方針を打ち出している。

 四、国民の十分な議論も理解も得ないまま、強引に法改定に踏み切れば、国民世論を分裂させ、「日本国および国民統合の象徴」としての天皇の存在の意義を危うくすることになる。

 以上のごとく、我々は今回の不十分な審議に基づく、余りにも拙速な法改定の動きに強く反対し、今後の英知を結集した慎重審議を、政府及び関係機関に対し要望するものである。

右、決議する。  
平成十八年一月二十二日  「皇室典範改定問題を考える緊急町田市民集会」実行委員会
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by shikisima594 | 2006-01-23 11:54 | 活動報告