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硫黄島遺骨収集に参加
今をさかのぼること、ちょうど一年前に皇国史観研究会の会員が、硫黄島での遺骨収集に参加してきた。その時の体験記と報告文を掲載いたします。


 平成十七年二月二十三日早朝、東京をはじめ関東は吐く息も白くなるほど寒い。そこから自衛隊のC-1輸送機に乗ること二時間。東京都小笠原村硫黄島に着いた。

 到着時に昼前になっていたとはいえ、同じ東京とは思えないくらい暖かく、六十年前にここで我が国の兵士二万人が戦死した歴史に残る激戦があったとは思えないくらい長閑な南国の景色がそこにはあった。

 到着初日は島内を見学して回った。青い海では鯨が潮を噴き、青い空には雄大な雲があり、また内地では見た事のない南洋の植物が繁茂しており、なかば観光気分になりそうなところだったが、島のいたるところに慰霊碑が立ち並び、トーチカや錆び付いた重火器の残骸が残っており、浜辺には漂着したゴミに混じって小銃弾がころがっていた。その非日常の風景を見て、かつて、ここで戦争があったことを改めて実感した。

 翌日、朝六時に起床して作業に向かう。作業所は摺鉢山の麓にある独立歩兵第三一二大隊壕跡だった。硫黄島の地下壕はサウナのように暑いと聞いていたので覚悟していたが、この壕は通気性が良く、思いのほか涼しくて広かった。しかし、防塵マスクにヘルメットという装備で作業をしたため、忽ち汗が流れ出した。土砂をかきだすだけでも大変だというのに、先人は半年にもわたる連日連夜の空爆と艦砲射撃の中、不眠不休でよくぞ総延長十八キロにわたる地下壕を掘ったものである。硫黄島に散った先人達の凄さに改めて深く畏敬の念を感じた。

 作業は二十四日から二十六日まで、朝八時前から昼休みを挟んで午後三時まで行われた。作業のやり方は壕内の土砂をかきだしてミノザルで運ぶというものであった。当初はこのようなことをしていて御遺骨が見つかるのだろうかという思いがあったが、亡くなられた方の遺品と思われる靴が一足でてきた。靴はボロボロになっていて時間の流れを感じさせた。

 そして、その靴の近くから砕けた頭骨の入った錆び付いた鉄兜が見つかったのを機に続々と御遺骨が出てきた。自分と一緒に作業をしていた遺族の方が小さな声で「親父じゃあるまいか…」と言って、必死で土砂をかきだし、埋もれた御遺骨を丁寧に探しはじめた。自分はそれを見て思わず涙が流れた。自分もまた土砂に目を凝らしながら我を忘れて作業に没頭した。

 また、自分の作業していた所では大量の武器弾薬が出てきた。麻袋五、六個に相当するくらいの黄リン火薬とミノザルでかき出さねばならないくらいの錆び付いた小銃弾。それから錆び付いた銃剣と軍刀。一番印象に残っているのは火炎放射器でやられたのか、黒く炭化して、着ていた衣服がこびりついた御遺骨の側から出てきた三八式小銃である。

 その小銃はボロボロに朽ち果て、木材の部分は既に無く、金属の部分は錆で膨れあがっていたが、開いたままの薬室には実弾が装填されていた。もはやどう見ても発射できない銃となっていたが、この銃の持ち主の最期の抵抗をすることも、壕内に出ることも叶わず焼き殺された無念さを思うと何とも形容し難い気持ちになった。

 精魂を 込め戦ひし人未だ 地下に眠りて 島は悲しき

 平成六年二月十二日に硫黄島に行幸啓遊ばされた 天皇陛下の御製である。硫黄島に派遣される前に硫黄島について勉強していた時に少し拝しただけのこの御製が、この小銃と御遺骨を見た瞬間に思い起こされた。

 硫黄島最終日の三月一日、自分は明日の離島なので見送り。派遣団員一人一人に丁寧に抱えられるように持たれた御遺骨二十柱が自衛隊輸送機に向かうと儀仗兵の捧げ銃と海ゆかばがそれを送った。

 海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍 大君の辺にこそ死なめ かへりみはせじ

 自分が今回の硫黄島派遣に参加できたのは母校國士舘の先輩方との絆があったからこそであるし、遺骨収拾が行われているのは遺族の方々には肉親としての絆が、そうでない者には同じ日本人同胞としての絆があるからである。硫黄島をはじめ先の戦いで亡くなられた方々が命に代えても守ろうとされたのは、 天皇陛下を戴き、過去から現在、そして私達のいる未来へと繋がっていく、この数えきれない多くの絆で結ばれた共同体である。

 これこそが「大君の辺」ではないだろうか。この「大君の辺」を絶やさないためにも、私たちは戦没者をはじめ先人達に誠意を持って向き合う事はもちろん、未来を生きる人々に、この絆を伝えて行く事が求められているように思う。


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by shikisima594 | 2006-02-28 21:37 | 活動報告
『反米論を撃つ』を撃つ 第六回
すっかり遅くなってしまったが、前回のつづきで『反米論を撃つ』第六章の後半を取り上げて書いてみたい。あいかわらずMr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriは今までと同じような論理と台詞を振りかざすばかりなので、僕の文章も以前の文とかぶる所があるかもしれない事を断っておく。

まずMr.Yoshihisa Komoriが小林、西部両氏の特徴として、「第一は逆説的に聞こえるかもしれませんが、彼らの反日・嫌日傾向です。第二は人種偏見です。第三は無知とゆがめです。第四はグロテスクなほどの下品さと厚顔無恥、第五は卑劣さです。」(178〜179頁)

人の事を言えた立場か、という気はしなくもないが、こうした前提で二人は西部、小林両氏の矛盾やお粗末な所をあげつらっていくが、かえって自分達のお粗末さを曝け出していて楽しい。

古森「彼ら(引用者註:西部、小林氏)はとくにブッシュ政権が日本に対して、どういう意味を持つのか、どういうプラスがあるのか、という点はまったく語りません。どういう対日政策なのか、ということにも触れません。日本にとって損得という意識がないからでしょう。ブッシュ政権を日本人の視点からみるという姿勢がない。日本の国益から考えるという努力がない。彼らには日本人という要素がきわめて希薄なのです。やはり反日と呼ぶのが適当でしょう。」(182頁)

「日本人という要素」なんて言っているけど、アメリカの対日政策に目を向けて国益のプラスマイナス勘定をしているのが「真の日本人」なのか、エラい薄っぺらで軽い民族だなぁ。民族や国家の重みなど全く感じられない。Mr.Yoshihisa Komoriには、今の自分達にとって損得という意識しかないからでしょう。現状での損得しか考えないのなら動物にでも出来る。

古森「(引用者註:西部、小林氏は)アメリカが嫌いだと連呼するわりにはアメリカ語、英語、あるいは英語ふうのカタカナ語をやたらに使ってますね。」(183頁)

歴史観が欠落しているとばかり思っていたが、Mr.Yoshihisa Komori戦時中の日本政府官僚と同じ発想を持っているようだ。「敵性語の追放」と同じ発想だ。だったら「親米を名乗って恬として恥じないわれら」(203頁)と宣言しているのだから、日本語で対談して日本語で本を出版するんじゃない。

古森「西部氏はさらにアメリカを論じます。『アメリカでは十八世紀まで魔女狩りがあったんです。清教徒の狂信のせいでしょうね』十八世紀というのは、日本では何があったか。大名が土下座の仕方がまずいという理由だけで農民らのクビを平然とはねていたでしょう。」(189頁)

アメリカの魔女狩りの事実を指摘されると、日本だって大名が平然と人のクビをはねていた、と返す。アメリカの擁護をするために日本の歴史的欠点(今の感覚で言えば)を持ち出して来る。これは日本人のすることなのだろうか。例えば次のような文があったとしたらどうだろう。

「中国共産党が文化大革命で大勢の人を殺したと言うけれど、日本軍は中国で数多くの罪なき民衆を殺したじゃないか」

少し極端な例かもしれないが、こんな事を言うのは中国人か一部の狂信的親中派日本人ぐらいだ。ところが、この中国共産党をアメリカに置き換えて同じような理屈を述べれば、あら不思議。日本の保守派の言説として通用してしまう。この構造こそが、戦後の保守派が抱えてきた病理だ。

古森「悪罵といえば、西部氏の言葉でこういうのもあります。
『アメリカ軍が『動かないアヒルを撃ちにいこう』などとほざきながら日本人を殺しまくったという『大空襲』の事実を、日本人は忘れたいんでしょう』
アヒルを撃つとは、こういう言葉をだれがいつ使ったという証拠でもあるのでしょうか。ほざくというのも下品ですね。口汚さの一例ですね。」(205頁)

そういえば小学生の時、友達と口喧嘩しては、よく言っていたなぁ「いつ?何年の何月何日何時何分何秒?地球が何回まわった時?」いまから思えば馬鹿馬鹿しいことだと思うが、それと同じような理屈を大学生になってから、ハードカバーの活字本で見ることになるとは…

「だれがいつ?」と問うのはよい。政治、経済、歴史、報道などあらゆる情報を学術的に扱う場合は絶対に必要なことだ。だが、それをアメリカの日本空襲には問うのに、日本の大名が農民達のクビをはねていた、という事に関して述べないのは何故か。僕が滑稽に思い、小学生時代にみんなが言っていた理屈を思い出したのは、この点が理由だ。

さらに見ての通り、当の日本に対する無差別空襲はもとより、原爆投下、そしてアメリカが日本を開戦に導いた点、ペリーが来航した際の砲艦外交、これらの事に関して二人とも一貫して固く口をつぐんでいる。また、第一回でも取り上げたが、二人の共産主義に対する無知がここに来て再び曝け出された。

田久保「それから、びっくり仰天したのは米ソの関係についてです。こんな事を書いているんです。
『WASPつまり『ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント』の精神と制度は、とくにアメリカが国家的な危機に直面するとき、表面にせり出してくる。ともかく米ソの対立は『自由・民主主義』と『社会・計画主義』の対立なんかではなかったんです。それは、自由・民主主義の実現方法における『個人主義』と『社会主義』の違いだった』
というくだり、これはいったい何でしょうか。米ソの対立は自由主義と全体主義のイデオロギーの対立ではなかった、という珍説。」
古森「びっくり仰天ですよね、これは。初めてですね、ソ連も自由主義だったという説は。」(192〜193頁)

第二回でも紹介したが、もはやMr.Yoshihisa Komoriの読解力の欠如は故意なのかもしれない。丁寧にも「実現方法」と書いてあるのをもって、ソ連が自由主義を確立した国家と書いている、と理解するのだから。このブログでも『共産党宣言』『空想から科学へ』を取り上げてきたが、

「プロレタリアート革命ー諸矛盾の解決。プロレタリアートは公的権力を掌握し、この権力によって、ブルジョアジーの手からすべりおちつつある社会的生産手段を公共の財産に転化する。この行為によってプロレタリアートは、生産手段を、資本としてのこれまでの性質から解放し、生産手段の社会的性格に、自分を貫く完全な自由を与える。」(エンゲルス、『空想から科学へ』)

とあるように、封建制社会から資本主義社会へと移行したヨーロッパで誕生した共産主義が自由主義を達成目的とし、その実現手段を生産手段の社会化とした事は紛れもない事実だ。これは『空想から科学へ』に限らず、マルクスやエンゲルスの著作を通して流れる主張だ。米ソの冷戦を「自由主義VS全体主義」とのみ理解するのはアメリカのプロパガンダに乗せられた者の浅薄な結論だ。

古森「西部氏の発言で以下のような内容もあります。
『アメリカの民主主義の強制輸出は、かつてのコミンテルン(国際共産主義運動)の社会主義革命輸出と本質的に同じです』
これも何をか言わんや、です。アメリカは左翼国家だというんですね。コミンテルンは世界各国にソ連共産党の支部をつくって、秘密工作、武力革命で政権の奪取を図ったわけです。アメリカの自由と民主主義というのをその左翼共産勢力の世界戦略と同じだと決めつける。こういう似非レトリックの手口がとにかく多いのです。」(198頁)

これもMr.Yoshihisa Komoriの読解力不足によるものだ。西部氏は「本質的に」と言っている。そこに、アメリカは各国に党支部をつくってないし、武力革命もやっていないから違うのだ、と言って掛かる方が馬鹿げている。

かつて日本で、最近ではアフガニスタン、イラクでアメリカがやっていることは何か。武力で占領した後、自由と民主主義の名の下にその国の既成価値観を否定し、自らに都合の良い国にすることではないか。それはソビエト・中共が社会主義と解放の名の下にしていた事と本質的に同じだ。

そもそもMr.Yoshihisa Komoriは「戦後の世界では確かにアメリカが先頭に立って、近代化、合理化、あるいは民主化という流れを進めてきた歴史があります」(197頁)と言っているが、その進め方と内実をどのように認識しているのだろうか。さらに言うなら、Mr.Yoshihisa Komoriの言う左翼とは一体何者で、それらから何を守りたいのか。

古森「今、われわれが使っている言葉で左翼というのは、マルクス主義とか、社会主義とか、共産主義が左翼ですよね。共産主義はアメリカの主義には反対する。だからアメリカとの連帯に反対する。自由民主主義や資本主義、市場経済に対しても反対する。こういう意味が普通の日本語で使われてきた『左翼』です。」(209頁)

すでに気付いてはいたが、Mr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriと僕は守ろうとする物が決定的に違うのだ。あらためて言うが、僕の守ろうとする物は日本の国体であり伝統だ。それを否定し続けてきたのが、左翼と言われる共産主義者達であり、アメリカによって日本全土にバラまかれた「自由」と「民主主義」なるものだ。戦後、GHQにより「日本が民主化された」というのは聞いた事があるだろう。

ところが、Mr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriの自称保守派は、この自由主義と民主主義と市場経済を守る事を至上命題としている。言い換えるなら、僕は2666年の歴史を有する日本を保守しようと考えているが、この二人はアメリカによって歪められた戦後60年の体制を保守しようとしているのだ。


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by shikisima594 | 2006-02-27 22:26 | 読書録
二・二六事件より七十年
 また今年も二月二十六日が訪れる。
 今から七十年前の昭和十一年、前夜からの雪が降り積もった二月二十六日未明。当時の日本を憂いた若き青年将校達が千四百人の部隊を率いて「昭和維新」を目指して決起。東京に所在する首相官邸や警視庁など政府機関中枢を襲撃し、蔵相、内大臣、教育総監などの政府要人を殺害して永田町一帯を占拠した。かつてないほど大規模な事件だった。

 翌日、緊急勅令により戒厳令が公布され、事件発生から三日たった二十九日に決起将校と下士官兵達に投降を求めるビラがまかれ、事態は収束し、事件を指導した青年将校達は非公開で行われた軍法会議により全員死刑に処せられた。

 彼ら青年将校達が決起にあたり口ずさんでいた「昭和維新の歌」という歌がある。昭和七年におきた五・一五事件の首謀者である三上卓が作詞したもので、そこの一部には次のように歌われている。

権門上におごれども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷を思う心なし

 青年将校達の多くは東北の貧しい農村出身者であったという。
 彼らの銃口は誰に対して向けられていたのか。一つは金儲けに奔走し、国民の生活も国のことも顧みない財閥であっただろう。

 今の経済界を一瞥すると、ライブドア、ユニクロ、富士ゼロックスに経団連や経済同友会にいたるまで、金儲けのためには、祖国も軽し、とする輩が跳梁跋扈している。何のことはない。金儲けに奔走し、祖国や国民のことは一切顧みない大企業の体質は少しも変わっていないし、むしろ露骨で顕著になっている。

 こうした財界の人間達は、現在自分が何の不自由もなく平和に暮らせているのは誰のおかげか考えてみる必要があるだろう。今の平和があるのは祖国の平和の為に戦い、自らの命を捧げた人々がいるからではないのか。

 「昭和維新の歌」はさらに続けて、

功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
正否を誰かあげつらう

 と歌っている。この文は元々、ちょうど一年前に皇国史観研究会壁新聞『敷島だより』に掲載して、当時「世の中に金で買えないものなどない」と吹聴していた堀江貴文の批判とからめて書いたものだったが、周知のように堀江は既に失脚して話題にも上らぬ過去の人になってしまった。

 しかし、二・二六事件の青年将校達は今なお語り継がれ、当時に酷似した混迷の現代にあって、彼らの精神はその輝きを増しているとさえ言えるのではないか。我々若者は、二・二六事件の青年将校達の精神を胸に宿し、自らの功名も求めることなく、自らの信念を貫いて、「金では買えないもの」を信じて生きていきたいものだ。


二・二六事件決起趣意書

 謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる 天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。

 然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我慾を恣にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す、所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。

 倫敦軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯至尊兵馬大権の僭窃を図りたる三月事件或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にしてその滔天の罪悪は流血憤怒真に譬へ難き所なり。

 中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰、相沢中佐の閃発となる寔に故なきに非ず、而も幾度か頸血を濺ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく然も依然として私権自慾に居つて苟且偸安を事とせり。

 露、支、英、米との間一触即発して祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕せしむは火を賭るより明かなり。内外真に重大危急今にして国体破壊の不義不臣を誅戮し稜威を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除するに非ずして皇謨を一空せん。

 恰も第一師団出動の大命渙発せられ年来御維新翼賛を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衛戍の我等同志は、将に万里征途に登らんとして而も省みて内の亡状に憂心転々禁ずる能はず。君側の奸臣軍賊を斬除して彼の中枢を粉砕するは我等の任として能くなすべし

 臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さずんば破滅沈淪を翻すに由なし、茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に肝脳を竭し以つて神洲赤子の微衷を献ぜんとす。

皇祖皇宗の神霊冀くば照覧冥助を垂れ給はんことを!

昭和十一年二月二十六日
陸軍歩兵大尉 野中四郎


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by shikisima594 | 2006-02-25 02:48 | 随想・雑記
ハゲタカの舞う国
テレビ、新聞、電車の中吊り、ネットのバナー広告、最近はどこに行っても保険会社の広告が溢れ返っている。普通なら「何があるか分からないご時世だからなぁ」で済むが、その保険会社が只者じゃないのだ。

アリコ、アフラック、AIG…みーんなアメリカをはじめとする外資だ。だいたい何で多くの日本人は、「アメリカンファミリー」という名前に違和感を感じないのだろうか?もしこれが、「チャイニーズファミリー」とかだったら、ある程度違和感を感じるはずだ。それほどまで、日本人の脳みそがアメリカンになっちゃっているのだろうか。

いつのころからか、こうした外資系保険会社が気づかないうちに増えてきたが、調べてみると戦慄すべき事が分かった。(知らなかった僕が不勉強なだけなのだが)十年ほど前から、いままであった国内大手の生命保険会社のうち、十社近くが、アメリカを中心とした外資に買収されてしまっている。

こうした事が始まったきっかけは、八年前の「金融ビックバン」により、規制緩和が図られて、それまで日本を虎視眈々と狙っていたハゲタカどもが、戦後六十年かけて丸々と太ってきた日本の肉に食らいつきはじめたのだ。これはアメリカが自国に次ぐ世界第二位の保険大国日本に早い時期から、生命保険市場の解放を要求していたことによる。

このように、アメリカの要求に屈した途端に、アメリカに食われてしまう。それが分かっていながら、どうして未だにアメリカの要求通り、350兆円を有する郵貯と簡保を民営化にして、規制を取り払おうという議論があるのか。

これもまた、アメリカにより独禁法を適用されて分割解体され、買収されて、ごっそり持って行かれる恐れがある。それが市場原理というものだ。市場原理・自由化を推し進めれば政府は何も責任を負わなくてよいという無秩序が生まれ、日本国民が守ってきた財産は奪われる。

政治家(特に保守系)は「国民の生命と財産を守る」と言う。国民の生命と財産を守るのが政治家の唯一絶対の使命であると僕は思わないが、重要な使命には変わりない。ところが、政府が自由化を推し進めれば、財産を守ることは保証されなくなってしまう。

それはマルクスが18世紀に、自由な競争の結果として、一部の人間が大半の人間の財産を廃止することによって、私有財産を獲得した、と指摘している通りだ。規制緩和・自由化はハゲタカに捕食の自由をも与える事を知らなければならない。

そして、先頭に立って自らの肉もぎとってハゲタカに食わせているのが、小泉純一郎と竹中平蔵なのだ。いつからこの国はハゲタカの舞う国になってしまったのか、そして我々はいつになれば頭上を飛ぶハゲタカの影に気づくのか。

全日本国民よ、我々の肉に食らいつこうとするハゲタカと、それを助ける狂人達を撃ち落とせ!
金鴉・八咫烏の舞う神国日本の真姿を取り戻すために戦おう!
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by shikisima594 | 2006-02-24 01:57 | 随想・雑記
親米派に対して申し上げる
 アメリカ同時多発テロ以来、日本の保守論壇は親米派、反米派に別れ、あちこちで論争が繰り広がれている。

 親米派は、今の日本の現状ではアメリカ追従もやむをえず、今後は日米同盟のさらの強化を唱え、反米派(というか、私の意見)は、アメリカに正義はなく今後のアメリカとの関係を一歩引いて考えるべきだと唱える。

 もちろん、私の個人的見解としては断固、反米である。

 まず、親米派に対して思うことが、アメリカなしでは日本は語れないという、その主体性のなさである。

 経済は、アメリカ型にすれば経済は回復するといい。政治は、とりあえず、今は強いアメリカについておけばよく、そのうち憲法第9条の改正を後押してくれるのではないかと期待し、イラクの次は北朝鮮を攻撃してくれないかと切に願う。軍事にいたっては、アメリカがそのうち日本の軍備強化を図ってくれ、はたまたや核までも持たせてくれるのではないかと、期待し興奮する。
 呆れる、本当に呆れてしょうがない。

 自ら切り開いていこうという気概もないくせに、よく将来は真の自主独立だ!と吠えるものである。自国のことは、自国で解決するという心構えがない限り、自主独立など夢物語に過ぎない。北朝鮮や憲法問題などはアメリカなどに頼らず、日本独自で解決すべき問題のはずだ。

 今から、その様な精神の持ちようで将来自主独立など果たせるはずかない、せいぜい、アメリカにいい様に使われて、利用価値がなくなったら捨てられるだけである。

 親米派は、アメリカに捨てられたら日本は終わりだという焦りから、アメリカに対して攻撃(口撃)するものを酷く嫌悪する。嫌われたくないので、無意識なうちにますますアメリカに対して精神的に擦り寄り、ここに来て、アメリカ=日本という同米化が進む。
         
 保守と主張しているはずなのに、日本の守るべきものは、アメリカと同じ自由と民主だと錯乱し、アメリカを非難する奴は反日左翼だと訳の分からないことを言う。私が反米を言うと、すぐに日米同盟なしで、日本はどうするのかと聞かれる。

 なるほど、彼らは精神的アメリカ人なのだから、二元論的にしかものを考えられないのも、いたしかたないのかもしれない。正に彼らはGHQの戦後日本人の教育プランの最終型なのかもしれない。アメリカにとってみればこれ程、忠実で便利なのは他の国の人間にはいないであろう。

 親米派は、まだ他にも害悪をもたらしている。

 それは理想を語らず、全て現実を妥協ですまそうとする、いわゆる糞リアリズムである。

 これが現実でありそれを受け入れるべきだと諦めを促す。その諦めムードが、何をやっても結局は無駄なのだというニヒリズムを生み出し、日本の活気が停滞する。これ程、若者にとって害悪なものはないのではないか?

 せめて、三国干渉の時みたいに臥薪嘗胆とでも主張してみてはどうなのだろうか?

 必要なのは現実と理想の葛藤である。しかし、今の親米派、政治家等にはその葛藤とみるべきものがまるで見られない。みんな、とりあえずアメリカについていけば大丈夫だという、短絡的で未来がまったく見えてないものの見方しか出来ていない。

 まさか、この先、永遠にアメリカが日本を守ってくれるとでも本当に思っているのか?

 戦後六十年過ぎた、共産主義の直接的な恐怖は去ったが、支那、朝鮮、露西亜と様々な問題を残している。それらを考慮すると、日米同盟は確かに大切だ。ただ、それは精神的に一緒になってはならないし、依存しすぎてもいけない上に常に相手を警戒しなければならない。

 そのための反米である。相手のことは嫌いだけれども、現状のパワーバランスでは自主独立は難しい。今は屈するしかないかもしれないが、将来、必ずや日米同盟の改正をして、アメリカの属国から脱却し、さらには、日本に原爆落としてごめんなさいと謝罪させてやる、というぐらいの気概ぐらい持たなくてはならないのだ。

アメリカの非については、大きな声で非難しなくてはならない。政治家が主張するのは難しいかもしれないが、幸い我々は政治家ではない、悪いことに対しては悪いと言わなくてはならない。

 酒の席ですら、アメリカの悪口も言えず、ついにはアメリカの弁護をする親米派を目の当たりにする度、こいつらは完全にアメリカの精神的植民地化されているのかなぁと考えてしまう。親米派にはアメリカに対する警戒心がまったくもって欠けている。
私が言いたいことは、日本はアメリカとの日米同盟は維持しながらも、その地位協定の改善、かつ、来るべき日々に備えて真の自主独立精神を養えておかなければならないということだけだ。

皇国史観研究会会員 大義
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by shikisima594 | 2006-02-23 00:20 | 随想・雑記
2月22日は竹島の日
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島根県の沖にある竹島は、歴史的にも我が国固有の島です。明治三十八年に島根県知事が所属書簡を明らかにし、ながく国際紛争にさらされる事もなく、日本の島でありつづけましたが、日本が大東亜戦争に敗戦し、それまで統治していた朝鮮が独立して、李承晩大統領が勝手に竹島を韓国の領土と主張しはじめた。

最近では漫画から伝統文化までパクることで世界的に有名な韓国だが、この“竹島窃盗”はそれらの先駆けであった。その後、日本政府が毅然とした対応を取らないのをいいことに、韓国側は竹島に軍隊を駐留させ、ヘリポートなどを建設し、最近では観光客を入れたりとやりたい放題。

そんな中で、竹島を管轄する島根県議会は平成十七年三月十六日に、「竹島の日」を制定した。条例の第一条では、「県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。」としている。

しかしながら、竹島は我が国固有の領土であり、この文言は本来ならば「国民が一体となり…」と始まらなければならない。むろん、島根県議会の「竹島の日」制定は、弱腰政府に対し、確固とした姿勢を示したものであり、大いに支持するところである。

しかし、今の段階では、「竹島の日」はあくまでも、島根県の条例でしかないのであり、我々国民は、「竹島の日」を国会で決議させ、国民一丸となった領土奪還=国家主権回復運動を巻き起こしていかなければならない。

竹島は日本固有の領土である!

かえれ!竹島
県土・竹島を守る会
フォトしまね
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by shikisima594 | 2006-02-22 23:39 | 告知
『大逆のゲリラ』
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「朝敵」と言われる奴は一杯いる。古くは 崇峻天皇を暗殺した蘇我馬子達や、反逆を繰り返した北条・足利から、明治時代の幸徳秋水一派。そして現在では皇室典範改悪を画策する政府に巣食う一味などなど。

この本の著者である荒岱介と彼が率いた極左過激派「戦旗・共産同」も間違いなく「朝敵」であり、彼らのしたことは疑うべくもない「大逆」だ。彼らが何をしたかは本の帯から紹介する。

「標的は皇居・アメリカ大使館・運輸省・首相官邸-80年代末、数々の火炎弾発射事件で指名手配された男2人の12年間にわたる数奇な逃亡物語。
武闘過激派とは一体なんだったのか。そして、過激であるとは、どれだけ哀しいものか!?」

首相官邸・運輸省はどうでもいい。アメリカ大使館はグッジョブ!だ。しかし皇居だけは許せない。京都御所だって千年近くの間、あんなに低い塀なのに誰も飛び込んで乱入したことがない。昭和61年3月25日、彼らはそこに二発の火炎弾を撃ち込んだ。

とんでもないヤツらだ、大皇に背ける者は天地にいれざる罪ぞ打て粉にせよ、との思いに駆られるところだが、この本は面白い。見沢知廉氏の『ライト・イズ・ライト』の極左版といったところか。一気に読ませる。

この61年3月の火炎弾事件から、警察に「犯人」と睨まれた者と、それをかばう組織の十年近くにわたる逃亡劇が始まる。ある時は山中に逃げ込んで遭難したり、焼き芋屋や竿竹屋をやったり、逃亡させた仲間の母親に「息子を返して!」と詰め寄られたり、火炎放射器の実験で間違って仲間を焼いてしまったりする。本書の中には次のような一節がある。

「まったく別個の世界を夢見る人間は、現世の絆を次々と絶っていかなければならない。しかしその家族の一人一人までが、そう思って生きているわけではない。そこに生まれるギャップは相当なものだ。革命者たらんとする者は、冷ややかに革命者を見る者たちの視線を感じながら苦悶だけを友に生きるのだ」

何とも重い言葉だ。荒をはじめ、「戦旗・共産同」の「革命者」の何人かは、家庭が崩壊し、妻子に捨てられてしまいながらも、共産主義の理想郷実現を夢見て戦っていたのだ。しかし、それだけの代償を払って求め続けた理想郷は昭和から平成の変わり目に世界中で音を立てて崩れ去った。

とにかく、ここまで書いていいのか?と思えるほど失敗も恥部も書いてしまっている。逃亡の途中で社会主義の総本山ソビエトが崩壊し、東欧諸国も改革開放・市場経済導入に向かい、時代はドンドン流れていく。そうした中で彼らは苦悩する。

そして何よりも面白かったのは、その時代の中で彼らが「思想」していることだ。「思想」と簡単に言ってしまうが、これは本を読んだりするだけじゃできない。こうした極左組織に限らず保守系団体や宗教団体でもそうだが、組織や党の関係書籍や雑誌を読んで、そこに書かれている党の理論を「学習」しただけの、教条主義的な死んだイデオロギーを身につけた者が跋扈している。そこに葛藤は存在しない。

ところが、彼らは滅び行く共産主義を見て悩む。今まで信じてきた価値観の崩壊にどう立ち向かうか。そして彼らは一つの結論を出す。その作業をしなかった者達は今でも相変わらずヘルメットをかぶって頑張っている。

とにかく、妻子にも捨てられ、十年近く国家権力に追いかけ回されてでも、人生を捧げて求めてきた価値観を決算しなければならないことほど辛いものはないと思える。しかしそれを彼らはしたのだから立派だ。

このように自らの信念を貫き行動し、その結果に責任を持ち、常に思想することを欠かない姿勢には見習うべきところが大いにある。
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by shikisima594 | 2006-02-21 00:32 | 読書録
田中論文の「承詔必謹」に少し補足
先日、このブログで「諸君!」掲載の田中卓先生(皇學館大学名誉教授)による「女系天皇で問題ありません」に意見を記しましたが、その中で言及した「承詔必謹」について今一度少し書きます。

田中先生が意図的に隠蔽している、「承詔必謹」の歴史的大前提について若干補足します。たとえば、「国体護持」に関して言えば、天照大神が皇孫ニニギノ尊に授けられた天壌無窮の神勅に曰く。

葦原ノ千五百秋ノ瑞穂ノ国ハ、是レ吾子孫ノ王タルベキ地ナリ。宜シク爾皇孫、就イテ治セ。行矣。宝祚ノ隆マサンコト、当ニ天壌トトモニ窮無カルベシ。

この王となるべき皇孫が男であり、そこから男系によって 今上陛下に至るまで皇位継承されてきたのが、我が国体です。また、「蒼生安寧」はあまり知られていませんが、天照大神が民の食べる物を得て、幸せに暮らす事を願い、喜ばれた事にはじまります。

天照大神ハ喜ビテ曰ク、是ノ物ハ、顕見シキ蒼生ノ、食ヒテ活クベキモノナリトノタマヒテ、乃チ粟稗麦豆ヲ以テ、陸田種子トス。稲ヲ以テハ水田種子トス。

この精神は御歴代の 天皇の言動に多く表れておられます。そして「君民一体」に関しては御歴代皇祖皇宗の詔や多く先覚者の言葉にもありますが、教育勅語の「斯ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所」を拝すれば明らかでしょう。

こうした事を踏まえられてこその詔であり、それを外れられたものならば、諌言申し上げるのが臣節とでも言うべきものでしょう。田中先生は一体何を平泉澄博士から勉強された事やら…
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by shikisima594 | 2006-02-20 23:31 | 随想・雑記
頭山満生誕百五十年祭に参列
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二月十七日、頭山満翁の生誕百五十周年を祝う集いが明治記念館で行われ、私たち皇国史観研究会も手伝いとして参加して来ました。
開場の二時間前あたりから、すでに人が入り始め、開場の時間になると廊下から入り口まで、人があふれ、最初の会場は満員となり、会場を二つ用意することとなった。
(結局1500人以上の人が来たとか…)

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また、会場には我々も知っている各界の有名人やアジア各国の民族衣装をまとった人もいて、受付をしていた我々は、時を越えて現代まで伝わる頭山満翁の人徳・人望に思いを馳せた。

記念講演として評論家の松本健一氏が「大アジア主義と頭山満」と題して、頭山満翁が単なる国粋排外主義ではなく、中国、韓国、インド、フィリピン、ベトナムなどの革命運動家たちと交わり、彼らの運動を心から支援したことなどを話された。

ついで憲法・皇室法研究者の田尾憲男氏が「頭山・葦津の精神継承と現下の危機」として今の皇室典範改悪の動きと憲法をめぐる問題などを話された。

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そして最後のしめくくりに、我々皇国史観研究会と磐南総合研究会と呉竹会の青年・学生が壇上にあがり、誰が決めたのか「日本万歳」をする予定だった。ところが、会場からの希望と我々自身の意見で急遽 天皇陛下万歳をすることとなり、1500人以上の人間が一体となって 天皇陛下万歳を高唱し、会は無事にお開きとなった。

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あらゆる人間の器が小さくなってしまった現代において、頭山満翁のような途轍もなく大きな度量と侠気と理想を持ったサムライに向き合うことは重要なことだ。自分などは頭山満翁の精神を継承すると言うには余りにも器が小さい。

しかしながら、頭山満翁をはじめ、その師とも言える西郷隆盛などが夢見た日本を実現するために、彼らの理想に立ち返ってみる必要があるのではないだろうか。
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     最後に壇上で、学生達が肩を組んで「昭和維新の歌」を合唱。
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by shikisima594 | 2006-02-20 12:40 | 活動報告
皇国史観研究会誕生!
昭和四十年、のちに「最も長い民事訴訟」としてギネスブックに刻まれる事になった、家永三郎氏による教科書裁判が起き、歴史認識をめぐる議論が広く行われることとなった。

この家永教科書は、家永三郎氏本人が一人で執筆したもので、至るところに欠陥(笑い所)があった。これについては、日垣隆の『偽善系 やつらはヘンだ』(文藝春秋)に詳しいが、その内容は家永氏お得意の近現代におよぶと、家永氏の本領発揮とばかりに、当時の日本をこれでもかとばかりに扱き下ろす内容だった。

その余りにも自虐的で誤りの多い内容には、さすがの文部省(当時)も検定意見を付けた。すると家永氏は、教科書検定制度は憲法違反であると訴えた。(のちに最高裁にて実質的敗訴)

こうした一連の自虐的な歴史観の風潮に危機感を抱いた国士舘有志学生は、教職員と協力し、正統な歴史観を確立すべく、昭和五十八年に皇国史観研究会を結成するに至った。

当時の国士舘大学には、国心会、国防部、国友会、昭和維新会、日本民族研究会などの民族派系サークルが群雄割拠していた。

以来二十三年、様々な紆余曲折や盛衰と時代の激変を受けながらも現代に至り、国士舘に限らず、日本の事を考える学生たちに広く門を開けている。
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by shikisima594 | 2006-02-17 00:44 | 組織概要