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代々木公園でお花見
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 桜が綺麗に咲き揃った三月三十日、皇国史観研究会の有志で、代々木公園にお花見に行ってきた。平日の昼間であったけれど、桜を見に大勢の人々が花見をしていた。

 あいにく、この日は天気は下り坂で、風も強く、酒杯に砂埃が入るという春先ながらの天のイタズラにも遭いながら、皆で杯を交わし、咲き誇った桜を見上げ、大いに談笑した。

 その後、さすがに風が強まり、暗雲が立ち込め寒くなってきたので、都内某所に転進して再び一献。楽しい一日だった。

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by shikisima594 | 2006-03-31 13:32 | 活動報告
『世界がもし全部アメリカになったら』
f0018981_23205112.jpg このブログでも、散々アメリカによる「グローバリズム」や「パクス」について言及してきた。つまりは、世界が全てアメリカの手によって「アメリカ化」される状態のことを言う。

 そうした状態を考える上で、この『世界がもし全部アメリカになったら』(アスコム)は、おもしろい本だ。興味深いだけではなく、笑える本だ。コラムニストの勝谷誠彦氏が文章を書き、漫画家の藤波俊彦氏が漫画を描いている。

 見ての通り、題名からして『世界がもし100人の村だったら』のパクリ本だ。こうした本はネタ元を超えるほど面白い内容になることは滅多にないが、この本に限っては例外のようだ。青は藍より出でて藍より青しを地で行っている。

 その内容を少し紹介しよう。世界がもし全部アメリカになったら…戦争が二日に一度!そして世界全人類の六割が肥満に!石油は七年で枯渇!などなど…戦争の数がプロ野球の試合なみだ。実際にアメリカはそれだけ戦争を行ってきた。世界がアメリカ化すれば間違いなく人類は絶滅への道を駆け抜ける。

 実際問題として今日明日の起こることではないし、現実問題として、この本に書かれている数字通りに事が運ぶわけはない。しかし、このように病んだ国が地球に君臨し、我が国の中にも、この裸の帝国に追従せよと主張する輩がいるのは紛れもない事実だ。

 だとするならば、この本に記されている数字の世界が徐々に近づいていく可能性が高い。それがグローバリズムの終着駅であり、パクスアメリカーナの世界だ。そうした意味で言えば、この本はとても面白い本であると同時に、戦慄すべき本だ。


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by shikisima594 | 2006-03-30 00:05 | 読書録
日本の国家制度と主体性 第一回 歴史の連続性と朝廷
 現在の日本は、法律上正式名称を「日本国」という。そしてこの国は、六十数年前、法律上の正式名称を「大日本帝国」といった。この二つの日本はどういうかかわりがあるのかというと、国家としては、同一の関係にある。

 これは当たり前の話に思われるかもしれないが、しかしこれを証明するのには労力がいる。というのも、これは数ある解釈のうち、一つに過ぎないからである。法律の話で言えば、この二つを隔てるのは憲法である。これを例にとってみるが、この二つにおいて、憲法は文章として完全に違っている。

 日本は明治に「大日本帝国憲法」を始め、現在では「日本国憲法」が施行されている。このうち後者は、外国から押し付けられたものであることは、言わずもがなである。その交代の手続きが正当にされなかったことから、これは「違憲」であるという解釈もある。

 すなわち、現在でも効力を持っているのは大日本帝国憲法であると。しかし、現行法は当然そういう解釈はしていない。現憲法は、全憲法を改正したものだという解釈があって、現憲法は機能しているのである。

 とすれば、憲法で考えると、この二つの日本には連続性があることになる。そして世間では、というより学界では、現在の日本政府の起源をここに求める流れがかなり有力である。

 そして、憲法というものが制定される前の日本は、幕藩体制、いわゆる封建制社会であった。江戸幕府というものが権力の忠信であったというのは有名な話である。とすれば、現在の政府は、こうした幕府のようなものとは全く連続性の無い存在であるとも考えられる。

 文化や民族という大局的なところではなく、少なくとも国家組織としては、この日本は全く断絶した時代区分によって、歴史が作られてきた可能性があるということだ。日本国とは果たして、「明治政府」が帝国憲法を定めた日に始まったのだろうか。

 本稿の問題提起はここにある。「鎌倉幕府」「江戸幕府」「明治政府」と歴史にのこる政府組織は、我々は全く別のものと考えているのではあるまいか。それらにもし連続性が無いとなれば、前政府の正当性を以て現政府の正統性を疑うことも道理に適いかねないのだ。

 では、その連続性は証明できるものであろうか。現在の一般的な歴史観では、この問いには不可能と結論付けられがちである。しかし、じつはこの証明は可能なのである。その裏付けこそ、天皇陛下のまします朝廷という政府組織にある。歴史上の政府組織を引き合いに出し、それらを証明したい。

 朝廷というのは、学界では一世紀は遡らないとされる、天皇陛下を補佐する政府組織である。伝説による起源では、日向の天孫降臨から始まり、神武東征を経て、大八洲全体を統治する過程が伝えられる。

 ところでこうした問題は、実際の場合と形式の話はあまり区別されない。法律上、どう認識されているのかということを考えるものであるから、むしろ形式性に重きを置く議論となることを、ご了承いただきたい。

現政府が、明治に始まった政府を前身としていることはすでに述べた。それでは、明治政府自体はそれ以前の政府組織といかなる関係を持っているのだろうか。その答えは、日本における近代史の曙を明らかにすることで自ずと示されよう。

 ここにおいて、大政奉還と王政復古は最も重要な歴史事項となる。それぞれ説明する。大政奉還とは、幕府が政治の実権を朝廷へ返すという意味合いがある。土佐藩の建白書を受けた幕府が、政治の実権を朝廷側に戻すという上奏文を朝廷に送り、受理されてそれにいたったという経過がある。

 これを受けた朝廷は、岩倉具視が中心となって薩摩、土佐、安芸、尾張、越前各藩の兵力を結集させ、明治帝のおわす京都の宮殿で政権交代を宣言した。これを王政復古という。そして、このときに発足した「政府」こそ、明治政府なのである。つまり、明治政府というのは、朝廷のことであったのだ。

 文責 ムネカミ

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by shikisima594 | 2006-03-29 11:54 | 随想・雑記
多摩御陵清掃奉仕に参加
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 晴天に恵まれた三月二十七日、私たち皇国史観研究会は、八王子市にある多摩御陵清掃奉仕に参加して参りました。国士舘大学では毎年この時期、皇居勤労奉仕を行っておりますが、今年は、 大正天皇と 昭和天皇、そして貞明皇后と香淳皇后、四方の墓所である、多摩御陵(武蔵野陵)の清掃奉仕でした。

 今回の清掃奉仕には、国士舘大学の三十数名の教職員と学生、OBが参加しました。まず先生より、皇室と日本の歴史に関しての説明と、今日の奉仕を通して日本人としての自分と、今の日本を考えて行く一つの機会となればよいとのお話がありました。

 現地に到着し、まず、それぞれの御陵に一礼の参拝を行い、昼食をはさんで作業に移りました。作業は、御陵敷地内に落ちている杉の木の枝を熊手で掻き集めて集積するのが中心でした。天気が快晴だったことと、春日和だったことも相まって、とても清々しい気持ちで御奉仕できました。

 多摩御陵は、自然に囲まれ、生い茂った杉の木と玉砂利の参道が荘厳な雰囲気を醸し出しており、心の澄まされるような所です。先帝の御遺徳を拝する意味でも、一度参られてみてはいかがでしょうか。

多摩御陵案内(八王子市役所)


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by shikisima594 | 2006-03-28 00:26 | 活動報告
第二十二回「同期の桜」を歌う会
 九段に桜が咲く季節になると、都内有数の桜の名所でもある靖国神社で、「同期の桜」を歌う会が催される。今年は、第二十二回目にあたり、参加者は三千人ほど予想されている。

 「同期の桜」とは、昭和十三年に西条八十が発表した詩を海軍兵学校の学生が詩に若干の修正を加えて、節を付けて歌い出したものと言われ、日本を代表する軍歌である。当日は、「同期の桜」に限らず、多くの軍歌が歌われる。

 「同期の桜」の歌詞の中には、「離ればなれに散ろうとも、花の都の靖国神社、春の梢に咲いて会おう」とある。こうして、英霊たちは、靖国神社、そしてその中でも桜の花に思いを託して散っていかれました。靖国の桜を仰いで、英霊の思いに応えよう。

去年の模様(靖国神社清掃奉仕有志の会様より)

「同期の桜」を歌う会
日時:四月一日(土曜日)三時から四時まで。
場所:靖国神社大村益次郎像前。


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by shikisima594 | 2006-03-27 00:07 | 告知
朝日新聞の広告を見て…
 今、電車や駅の広告で最も人目を引いてゐるのは、朝日新聞の広告であらう。災害やテロで崩れ去つたビルの残骸の写真に、小さな字で短い詩のやうな言葉を入れてゐる。広告はさうした方が目立つし、見る者の心に残るのだ。曰く、

言葉は感情的で、
残酷で、
ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、
言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言。
朝日新聞

 先日、我が皇国史観研究会員たちと電車に乗つてゐると、この広告が我々の目に止まつた。さうなつたなら、あとは皆の想像力で風刺されるのみだ。真先に誰しも思ひつくのは、

中国は感情的で、
残酷で、
常に横暴だ。
それでも私たちは信じている、
中華文明のチカラを。
ご注進宣言。
朝日新聞

しかし、「言葉」を「朝日新聞」に置き換へても意味が通つてしまふ。

朝日新聞は感情的で、
残酷で、
ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、
朝日新聞のチカラを。
捏造宣言。
朝日新聞
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朝日新聞だけでは、他の新聞に可哀想だ。“国益”の為に頑張つてくれてゐる産経新聞の広告も我々が作つてあげやう。

アメリカは感情的で、
残酷で、
ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、
アメリカのチカラを。
親米=国益宣言。
産経新聞
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 産経新聞は、日本で部数が伸び悩んでゐるやうだけれど、アメリカで販売拡大活動をすれば爆発的に売れて、読売新聞も抜いてしまふだらう。いや、朝日新聞が中国に進出すれば、十億人の市場があるから、ダントツの世界一だ。めでたし、めでたし。

 でも、よくよく考へてみれば、アメリカ人はあまり新聞を読む習慣が無いさうだし、中国人に至つては、新聞に対する習慣に加へ、一億人近い非識字人口が居るのだ。両紙がそれぞれ大好きな国では、販売拡大の道は遠い…

さて、この際我々皇国史観研究会の宣伝文も、作つてしまおう。

日本は一見平和で、
怠惰で、
ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、
日本民族のチカラを。
ナショナリスト宣言。
皇国史観研究会


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by shikisima594 | 2006-03-26 00:57 | 随想・雑記
新たな日本文化創造を他文化侵攻の楯に!
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写真右、ムネカミ
写真左、タカユキ

ムネカミ さて、今回の話題は、反米というのから離れてみたいと思います。我々はどうやって 他国からのパクスに対して、どうすればよいか、ということです。よろしくお願いします。

タカユキ この問題に関しては、完全に君が第一人者だから、僕は専ら聞き手に回るよ。前回は欧米風文化が日本文化をはじめ、世界中の文化に侵蝕しているということを話したんだったね。

ムネカミ 前回、先輩がモノに人に英語の名前をつけるのが病的といいましたが、僕はそうは思いません。むしろ、洒落た感覚を持ってる人なら、当然な感覚の内に入るんじゃないですか。

タカユキ いやいや、洒落た感覚を超えて、そうあるのが当然といった雰囲気があるじゃないか、そうした意識が僕はおかしいと思うんだよ。

ムネカミ 確かに一般の人でもそれに抵抗ある人はいます。僕は別にどっちに与するという話じゃなくて、ひとまずどっちも「普通」なんじゃないかと思ってるんです。
そして、重要なのはそこなんです。アメリカにせよ他のヨーロッパ系の国にせよ、世界の若者の「憧れの対象」になることで、文化的な影響を保ってきた。

タカユキ まぁ、うちの会員の中にも、訳の分からん英語の入った服を着ている奴が何人かいるからなぁ(笑)

ムネカミ 事実、彼らは日本の中で、「カッコイイ」「カワイイ」の世界を制しています。アメリカだと、映画や音楽等多岐な分野から美術・芸術的なアプローチを行い、若者がこれに影響されます。繰り返しますが、芸術的な感覚がさえていればさえているほど、この影響は受けやすくなります。要するにお洒落な人ほど向こう側の文化が、ファッションに取り入るということなんです。これは、仕方ないことのように思われます。

タカユキ 隣の花は赤く見えるだっけ?美的感覚とは飽くなき「ないものねだり」なのかな。

ムネカミ じゃあ日本の文化に侵食しているそれらを具体的にあげてみましょう。どういうことが基準視点になるのかというと、若者たちの娯楽が、どこの国よりなのか、ということです。簡単ですね。

タカユキ まぁ、ヨーロッパ・アメリカ文明の産物だね。

ムネカミ ファーストフード文化はどこでしょう。
アメリカ映画は名前の通りアメリカですね。

タカユキ 映画の最高峰の代名詞がハリウッドとオスカーだもんね(笑)

ムネカミ では、高級なイメージある料理はどうでしょうか?フレンチ、イタリアン、エスパニョール等ですね。先輩が好きな音楽は何でしたっけ?

タカユキ 軍歌とユーロビート、トランスかなぁ。一年生の時はよく先輩達に六本木のベルファーレにも連れて行ってもらったよ。

ムネカミ 僕はドイツのトランス系テクノよく聞くんですが、音楽はどうやら日本のものは無いようですね。アンティークや建築やファッションの「正統的」な、モノ。これらはどこから来たかというと…

タカユキ これもヨーロッパだね。この前、僕がノーネクタイでいると、自称保守が「ネクタイをしないとはサヨクだ」と真面目にイチャモン垂れて来たけど、おめぇはネクタイがどこの物か知った上で物を言うとんかいとね。まぁどうせポチホシュだろうけど(笑)

ムネカミ そうですね、そもそも我々はパクスアメリカーナより先に、洋風なものに影響されてきているわけです。
だから僕は、パクスアメリカーナよりも先に、これら西洋文化圏による世界文化支配、パクス・エウロペアーナを糾弾するんです。

タカユキ 理論的につきつめれば、確かにそうならざるを得ないね。

ムネカミ まとめれば、実に簡単なことを言って来たわけです。「洋風=かっこいい!」になっちゃってるのがよくないんですよ。とはいっても、カッコイイもの、可愛いもの、おいしいものを捨てろったって、うまく行くわけありませんね。「アメリカの文化を捨てろ」とか、「西洋に靡くな」というのは…

タカユキ それらを完全に排斥する。かつてのタリバンとアルカイダが支配するアフガニスタンのようになるかもしれないけどね。(笑)

ムネカミ イスラム原理主義者はそうして失敗してきました。最も、彼らは我々よりずっとましでしょう。我々は怠惰なことに、その努力すらしてきませんでしたからね。
ではどうすればよいか。これは、「和風=かっこいい!」ということにさせれば、というより、そうすれば良いんじゃないですか。つまり、和風なものを現代人のお洒落に取り入れさせるんですよ。芸術的なアプローチが必要ですが。

タカユキ 日本の若者や「お洒落な人」が振り返るような国風美術体系を築くと?

ムネカミ そう話すと馬鹿にされるんですが、それをからかう人たちにとって、もう和風なものというのはダサい、格好悪いものとしてあるんですよ。その感覚もまあ、今となっては普通なものです。 しかしそれは現状に即した感覚であるだけで、実際格好よいものが出来てしまえば、なんでもないんですよ。つまり、芸術や美術は、発展の度合いに絶対値のようなものがあって、今「和風」というと古く感じるのは、その発展が昔で止まっちゃってるからなんじゃないかと思うんです。

タカユキ 確かに和風といえば、僕は決して格好悪いとは思わないけれど、古いものという意識が確かに存在するね。

ムネカミ そもそも和風というのは日本的な芸術様式であるだけで、それだけで古かったり新しかったりするものじゃないと思うんです。だって、洋風だって新しいものも古いものもあるわけで、どっちかをさして洋風自体の新旧をおもんぱかるなんてふざけてますよ。
かりに和風は古くてダサいのだとしたら、それは和風を投げ捨てた我々日本人の責任でしょう。然るに、明治維新には大きな間違えがあったと言うのが僕の見方です。技術の取り入れはよかった。
でも洋風こそが真理ということになってしまったのは、反省すべきだと思うのです。技術にも美術にも新旧はあります。でも個々の美術様式は、独自に新旧を持った一つの美術体系であるから、和風より洋風が新しいなんてのは、そのときその瞬間までのことに過ぎなかった。

タカユキ いや、明治維新においては「和魂洋才」という事が盛んに言われていたから、その批判は当たらないんじゃないかな。問題はその後に「和魂」を忘却した人々にあるんじゃないか。

ムネカミ しかしそれにしてもです。今となっては、もう遅い。大正にはもう、洋風は定着しているんです。おかげでそこに、イギリスが台頭しようがナチスが覇権を握ろうが、アメリカにやられようがロシアが加わろうが、我々日本人はそれら全てを美術的に仰ぎ続けてきた。洋風なものを文明として受け入れるという、美術的な精神構造が媒体となって、我々はこれらの他者を実にスムーズに受け入れてきた。
大体われわれの洋風は、二番煎じに過ぎないのです。月が太陽の光が無ければ光らないのと同じように、オリジナルな文化の供給が止まってしまえば文化そのものが光らなくなるという、いびつな文化状態にあるのです。

タカユキ ヒトラーも『我が闘争』の中で、日本の文化とは我々西洋の文明がなくなれば、終局的には衰退消滅すると言っているらしいからね。

ムネカミ そのくせ、オリジナルが存在する限り永遠に他者のものという文化は、本来の文化を駆逐し、かき消し、いつの日か永遠の闇に葬り去るであろうことは想像に難くありません。身の回りから、畳のある家は消えつつあります。建築ではここ百五十年ずっと「和と洋の新たな調和」が流行ってきましたが、和だけで出来た家はもう、この地上に存在しないかもしれません。
「調和」と称して異国風なものを掛け合わせるのも、いい加減やめたほうが良いんじゃないかと思っています。メディアではうんざりするほど「○○と◇◇の調和」がもてはやされています。もう、純粋なオリジナリティなど残っていないにもかかわらず。 そして決まって、彼らの「国際的な視野」は、料理にしては和洋中、服飾、建築、装飾にしては、英・仏・露・独・伊・西・オリエント(トルコからあっち全部。「それ以外の何か」)くらいのものです。なんと貧困な世界認識でしょう。
しかし、今生きている人々のほとんどがこういう認識であるのなら、遠くない未来、世界は本当にこういうところになってしまうに違いありません。
国連に加盟した国が200だろうと300だろうと、この世にはパクスに成功した国しか無いも同然なのです。

タカユキ 僕の住んでいる部屋も畳は一枚も無いからね。そうして現在進行しているのは。掛け合わせに名を借りた文化の侵略とも言うべきものかな。我が国のオリジナル性は、こうしている間にも姿を消しつつあるわけだ。 そしてそういう時に、他文化と混ざり合い、取り込むのが、日本の伝統であるという主張が盛んに言われるけれど、そうした意見も他文化の侵略に対する敗北主義から生じる詭弁であると考える見方も必要かもしれないね。

ムネカミ ともあれ、我々は彼らの意思無き搾取から逃れなくてはならない。洋風のくびきから独立し、自主的な芸術を手にするのです。然るに僕は、「新しい和風」を手に、レコンキスタを行いたいんです。和風な近代都市を想像できますか?和風なファーストフードを想像できますか?和風なポップカルチャーを想像できますか?こうして、日本にあるありとあらゆるもの、分けてもかっこいいとか、かわいいといわれるものを中心に和風にしていかなければならないと考えます。

タカユキ レコンキスタっていうのはスペインの失地回復運動のことだね。そこから転じて、失われた民族や国家の独自性や主権などの回復も含めて使われるけど、君の場合は「新しい和」というものを提案することで、従来の失地回復的発想から更に一歩を踏み出しているように見えるなぁ。

ムネカミ 今ある最も理想に近い文化は、漫画・アニメ文化ですね。これはバカに出来ません。芸術の志向性としては、日本のそれそのものです。インクとペンが墨と筆になって、内容が和風になればもう完全な和風文化といって良いでしょう。

タカユキ 墨と筆になったら漫画とアニメが毎週見られなくなるぞ(笑)
しかし、単純に考えて、日本の独自なるものってのはそうなんだなぁ。僕は以前から言っているけどね。製品加工技術も造船技術も東南アジアに越されて、これから先は半導体やロボット技術も越されるかもしれない。そうなった時に日本に何が残るかと言うと、万世一系の 皇室とアニメと漫画なんだな。冗談抜きで。

ムネカミ 具体的に、未来的に和風というのはどうしたらよいかということですが、こういう想定はどうでしょう。
もしそれが古くから日本に原型があって、外国の影響を受けず、楽器で言えば和楽器を進化させ、奏法も進化させて、今と同じようにかっこよさが追求されてきたら、今どんなものになっていたか。 これは美術・倫理的に日本式であれば、どんな技術が使われようとかまいません。「独自発展想定史」とでも名づけましょうか、そういう想定で「和風なもの」の進化を促進できるんじゃないかと思うのです。
 「~風」というのは、美術様式に他なりません。「~」に「和:日本」がはいるなら、その比較の対象は「西洋」「中華」「メキシコ」なんかの文化圏になりますが、「パンク」「ワールド」「トランス」「民謡」とかいう風に音楽のジャンル認識もそこに含めます。
僕の理想はこうです。今、楽しまれている、慕われているものは、全て和の様式化する。これは一見されると多様性を欠くように思われがちですが、そんなことはありません。アンティーク調、ラテン的明るさのようなものから、テクノゴシック、サイバーパンクの世界まで、洋風という枠内での表現として認識されているじゃないですか。
それに、そもそも美術様式の好みというのは十人十色です。だから、一つの文明において美術様式が多様でないなんてコトありえませんよ。無ければ作れば良いんです。例えば和でゴシックを作るなら、重厚さと妖しさと独特の色調、尖りぐあいなどを掛け合わせるだけで、再現可能です。「イノセンス」の押井守さんは、同じことをやって作中に「チャイニーズ・ゴシック」とやらを発明しました。

タカユキ 押井守は「攻殻機動隊」で「謡Ⅲ-Reincarnation」って曲を作ったけど、あれこそ日本人に純然たる日本の音楽の発展を見せつけた物だと思うね。僕は基礎知識ゼロで聞いたけど、「あっ、日本だ!」と思ったね。しかも君が言う、発展した日本文化とね。

ムネカミ それから発展したことを言えば、我々もそういう美術的ジャンルに、大きな項目を発明してみるくらいのことはやりたいですよね。

タカユキ おっ、大きくでたね!でもそうだね。俺らがやんなきゃ誰がやるんだってね。このまんま放っといたら、日本は意味不明の英語が洪水にように氾濫して、日本文化は完全に溺死してしまいそうだもん。

ムネカミ そうでもしなければ勝てないものもある気がしています。例えば、和菓子はすでに、洋菓子に取って代わられています。日本の菓子は他の文明に比べて、かなり進んだ文化を持っていたことは間違いありません。
そしてそれは、かなり独自なものです。それはよいのですが、ヨーロッパの菓子のほうがもっと進んでいました。日本の菓子はお茶と一緒に食べるだけですが、向こうは楽しみ方からまず豊富です。料理の付け合せ、ティータイム用、パーティで出すもの、友達とだべってる時につまむもの、おもてなし用、年中行事の一部など…、種類の多さも際立ちますし、何より国民に愛されているゆえに今でも発展し続けています。
私は純粋に、今の洋菓子が大好きです。けれども私は国粋主義者なので、和菓子にも負けないようにがんばって頂きたい。

タカユキ 僕もクッキーとポテトチップスが大好きだしね。アメリカ嫌いを広言しておいて言うのも何だけどね。(笑)

ムネカミ ドイツの鉄血宰相ビスマルクは、フランスのシャンパンが好きだった。
あるとき皇帝から「君は愛国者だろう。何故ドイツの物を飲まないのかね?」
と訊かれた。ビスマルクが答えて言うには
「陛下。恐れながら愛国心と舌は別物でございます」(世界史ジョークより)
ビスマルク首相は良いことをおっしゃいました。愛国心と感覚は別物です。
しかしながら、皇帝陛下のおっしゃられたこともしかりでしょう。愛国心と感覚とが、出来るだけあっていたほうが良い。ですから我々は、我々の感覚にあうような和風文化につとめなくてはなりません。ですから、私は美術愛好者を募りたいんですよ。

タカユキ なるほどね。僕もビスマルク閣下のごとき側面が多分にあるから身につまされる話しだなぁ。(笑)
しかし、そうした矛盾関係の克服は他人任せにしておくのみではなくて、我々自身がそうした矛盾関係克服に立ち上がらなければならないわけだ。そしてそれは同時に日本文化防衛のためであり、また、そうした我々の日本文化で世界を席巻してやるぞという意気込みでね。本日は有り難うございました。


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by shikisima594 | 2006-03-25 00:04 | 対談・座談会
自民党と民主党の化かし合い
 長く国会を騒がせた民主党永田議員のメール問題も落ち着いて、国会もようやく本来も仕事に返り始めた。この問題も落ち着いてから冷静に考えると滑稽な問題だ。永田議員の不手際はさて置き、民主党と自民党の対応だ。

 自民党は居丈高に「国会の品位を汚す」「ガセネタで個人の名誉を傷つけた」と騒ぎ、民主党は前原代表以下幹部も謝罪に徹していたけど、どうもしっくり来ない。どうせなら前原代表が「まだ堀江氏と武部氏の癒着関係が判明していないからといって、この関係がなかったとは言えない」とでも言うべきだった。

 以前に自民党総裁の小泉総理はイラクが大量破壊兵器を保有している事を理由にアメリカのイラク戦争を支持した。そんでイラクで大量破壊兵器が発見されないとなると「フセイン大統領が見つかっていないからと言って、フセイン大統領が存在しなかったことにはならない」と言ってのけた。

 アメリカからガセネタを掴まされて、侵略戦争を支持した。こっちの方が永田議員より遥かに悪質じゃないか。何しろ結果として「国会の品位」どころか、道義国家日本の名誉と、多数のイラク人を傷つけたのだから。メールのゴタゴタは数週間で忘れ去られても、イラク人達は百年以上忘れないだろう。それは西洋の十字軍に対する彼らの思いを見れば一目瞭然だ。

 それに永田議員も「武部氏にご迷惑をお掛けして、申し訳ございませんでした」と何とかの一つ覚えみたいに言っていたけど、あの姿勢からは野党根性がすっかり抜け落ちている。どうせ謝るなら「お父さん、ごめんなさい」とでも言えばいいんだ。

 何しろ武部幹事長は、ホリエモンのことを弟だの、息子だのと呼んで戯れ合っていた事を、ホリエモン逮捕後にマスコミから追求されると、「日本中の若者は全て私の息子」と断言したんだから、武部氏も自分の息子である永田議員を過酷に追求せずに、寛大に接してあげるべきだ。

 日本中のパラサイトシングルもニートも、実の親の臑をかじってないで、偉大なる父親武部勤氏の臑をかじればいいんだ。俺も甘えさせてもらおうかな〜などと考えてしまう。とにかく、自民党と民主党による、狐と狸の化かし合いのような茶番劇に付き合わされるのは懲り懲りだ。


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by shikisima594 | 2006-03-24 14:01 | 随想・雑記
『靖國のこえに耳を澄ませて』
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 今年は気象庁の予報が的中し、例年より早い開花となつた。都内の各所では咲いている所が見られた。この桜の花を見てゐると、他でもない、この『靖國のこえに耳を澄ませて』(明成社)と、そこに紹介されてゐる戦歿学徒達の事を思ひだしてしまふ。

 ここに紹介される十七名の戦歿学徒達は皆若い。中には自分よりも若い者達が幾人も居る。そして彼らの遺書を拝するに、その明晰な頭脳と高い智識。今の大学生とは比べるべくもないだらう。

 美しい心を持った日本人、さうした言葉は彼らのためにあるのではないかとすら思へてしまふくらひに、彼ら流麗な国語で記した書は読む者の心を打つ。自分が初めて、この本を読んだのは高校生の時であつたが、数頁おきに涙が溢れ、感涙で頁を繰るのに困つた事を鮮明に覚へてゐる。

 彼らの身近に居た人々の話も掲載されてゐるが、純粋で素朴であり、ちまた言はれる、洗脳された狂信的な兵士と云つた姿は微塵もない。ただただ、彼らは家族と、愛する者、そして自らが連なり、そしてこれから続いて行く日本といふ共同体の為に起つたのだと読む者に自然に感じさせる。

 さうした彼らが、愛し、友や家族、また後世に生きる我々との再会の印しとしたのが、桜の花であつた。日本人は古来より桜の花を愛した。また彼ら戦歿学徒達も桜の花に、自分たちの思ひを後世の我々へと託したのだと思ふと、感慨深いものがある。

 この本を読んでからといふもの、桜の花を見る度に、さうした彼らの思ひに如何に応へて行くかといふ問ひを、頭の中に巡らせる春である。


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by shikisima594 | 2006-03-22 00:50 | 読書録
平成十七年度国士舘大学卒業式
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 桜の花が芽吹き始めた三月二十日、神奈川県のパシフィコ横浜国立大ホールで、国士舘大学卒業式が行われ、私たちも卒業する先輩達を送り出すために参加して来ました。

 皇国史観研究会の卒業生達が、式を終えて会場から出てくると、私たち在校生会員が、先輩達の門出を祝して、高らかに万歳を三唱し、これから社会の荒波に漕ぎだして行く先輩達を送り出す意味も込めて、「出征兵士を送る歌」を歌いました。

 時が経つのは早いもので、先輩方と過ごした月日が走馬灯のように思い出されます。会の発展に尽力され、私たちと苦楽を共にし、優しく後輩達を見守って下さった先輩方、本当に有り難うございました。

 そして、これから社会に出られてからも、皇国史観研究会で会得された精神をもってご活躍される事を、心からお祈り申し上げます。
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写真上、大舘旗を背景に。
写真下、皇国史観研究会旗を背景に、卒業生たちを囲んで。


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by shikisima594 | 2006-03-21 21:46 | 活動報告