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民族文化回復運動についての補足
 文化というものは、それがどんな形態であるかでいくつかの分類ができる。今回お目にかけたいのは、専らモノに関してのことであるから、説明は詳細には及ばないで済む。すなわち、モノには区分として、たいていは主と従の関係がある。簡単に言えば、モノにはハードとソフトの関係があるのだ。ところで、これですっきり解釈せられるであろう自分の言語感覚を省みても、現状において社会は、異文化にますます侵食されつつあるのだという、切なる思いを禁じえない。


 話を続けよう。ハードというものには、建物とか船とか絵とか嗜好品などのように、民俗学で研究されるような大枠のモノが入ると考えていただきたい。あてもなく取り上げたものに名前さえついていれば、それをさしているのだと思って欲しい。

 これに対応するソフトには、そのもの一つ一つの風流というものを見出せる。こちらは、各々のモノが持っている個性と考えていただきたい。しかし個性とはいっても、要するに個々のモノの美術的な特徴であるから、実例を取ってみれば、一定の傾向があるということも想定していただきたい。すなわち、絵にしてみればシュルリアリズムなりキュービズムなり、服装にしてみればトラッドなりモッズなりシックなりポップなりといった具合である。


 さて、前回私が説明した「和風なモノ」について振り返ってみると、じつは「和風」というのは、この内どちらについてもそういうことがあるということがわかる。ハードのほうで言えば、和服というのもその一つである。それは、洋服や世界の民族衣装とは異なった独自の体系を持っており、形や技術的な点で他と違っていると考えられる。付け加えるにそれも、単に全体が「和服」であったのみではない。消防服や医師の服装、職人の仕事着や官服、軍服、祭祀用の服など、用途がさまざまにあった体系をさして「和服」といったのである。したがって正確な表現を心がけるなら、それら一つ一つの体系が、「準ハード」でもあったろう。とりあえずここでは、分けて自由芸術的な服装である私服について考えることにする。

 さてその上で、ソフト、つまり和服の私服において美術的な面を取り上げれば、その中において「和風」は、一つの固有の性格として存在するにはとどまらない。もし可能なら、その時々を魅了した流行の数々を調べて見ていただきたい。そこには、京風江戸風という土地柄を表す文様の要素にも加えて、花の絵や色重ね、濃いも淡いも、古きも新しきも、おそらく個性表現の手法として堂々と要素を確立していたことがわかる。なかには、現在のトラッドの軸もタイトの軸もあったし、純粋な美術様式として生み出されたかどうかは不明だが、ゴシック的なセンスに通じるものも見たことがある。

 一口に和風といってみても、ふたを開ければ、現代からでも自由芸術として発展できる可能性を見出せそうなほどの、多様性があるのだ。

 考えてみれば当然のことに過ぎないが、我々はここに大きな可能性を見出すことができる。すなわち、一民族の持つ芸術的な可能性は、例えば文様が、民族という枠で統一されていて独自であり一元的であるとしても、個人個人の好みに合わせて発展していけば、そこに芸術的に多くの潮流が誕生し、文明の中に多様性が確立される可能性は常にあるのだ。

 そして、私はその美術的な多様性が多くの人々の求めるところと信じる。現に私だって、美術的な多様性に精神を浸し、癒しつつ生きている一人である。
 多くの人も、一つの美にこだわり続けることには限度がある。そうであれば、これまで怠ってきた我々自身の文化芸術の再発見と発展とは、むしろ推奨されるべき事のように感じられる。

 今まで取り扱ってきた服装で言うのなら、我々がこれまで洋服に注いできた文化の進化への力、芸術への欲求を、翻って和服にあて尽くすことが重要なのである。そうして和服には、わが民族の日常の主役を取り戻してもらわねばなるまい。

 しかし当然ながら、我々はその独自な文化文明を発展し大きくすることには努めても、確固として存する他の文化には妥協を許してはならない。とくに、お互いの尊厳を守るためにも、彼われの文化の差を縮めるに腐心するようなことは、是非やめておいていただきたい。もし、別個の体系として発展した結果、部分として彼我に似たものができたというのなら、我々はそれを、自身の尊厳を守った結果として受け入れるべきであろう。

 ところがそうした文脈が欠損し、まずは他者を基礎に築きあげたという文化は、元来模倣と呼ばれ蔑まれるものである。それでもかまわないというのであれば、芸術の自由は止めようがないかもしれない。

 最も、和服にも多様性があることすら認知されない当面の現実においては、和風の洋服なり日の丸のヨコバタを振ったりするのは、平常より精神が民族自主に近いのかもしれない。これらはいずれも、ハードが外来であるが、ソフトに在来を取り込んだ形式となっている。或いは逆の場合もしかりである。日本人はいつからハンバーグをおかずにご飯をほおばるようになってしまったのだろうか。民族の主体性を考える上で、これらは話題として挙がらなければならないはずであるが、私は一度として、この問題を問題とみなすホシュをみたことが無い。


 なるほど、やはりわが民族の主体文化は貧困であり、文化の混合ですら、文化の自主性に重きを置いた結果として現れてくるのである。残念な事実である。我々はこれを、恥とは受け止めてこなかった。

文責 ムネカミ


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by shikisima594 | 2006-06-30 23:08 | 随想・雑記
皇国史観基礎試験
 六月二十三日の勉強会で、平泉澄著『物語日本史』(講談社学術文庫)の試験を行ったことは昨日書きましたが、ここにそのテストを全て掲載いたします。自信がある方はやってみてください。(カンニング、持ち込み不可!)

 全部で33問、100点満点で合格点は60点。皇国史観研究会会員の最高点は86点でした。高校や中学の日本史試験などとは随分と趣きが異なり、なにしろ肝心の歴史観が決定的に違っており、“不真面目”な会員からは赤点を取る者もいましたが、こんなテストが大学の入試になればいいなぁーと思います。

1、日本創世の起源となった国生みをした男女の神の名をカタカナで書け。(各2点)
               (          と          )
2、橿原宮で即位され、建都の詔を発せられた天皇の名を書け。(3点)
                           (       天皇)
3、上記の方が即位したとされる年から数える皇紀は今年で何年か?(3点)
                           (        年)
4、スサノヲノミコトが倒した大蛇の怪物の名を書け。(3点)
                       (             )
5、上記の怪物の尾から出て来た刀の名を書け。(3点)
                     (             の剣)
6、天照大神が高天原から葦原中国に降臨させた孫の神の名をカタカナで書け。(3点)
                     (               )
7、継体天皇のあと、我が国に仏教が伝来するが、これに反対したのは何氏か?(3点)
                          (         氏)
8、蘇我氏を滅ぼした大化の改新を中臣鎌足と一緒に行った皇族の名を書け。(3点)
                          (        皇子)
9、奈良時代に日本のあらゆる人々が詠んだ歌を集めた歌集の名を書け。(3点)
                          (          )
10、皇位を狙った怪僧道鏡を失脚させた者の名前を書け。(3点)
                        (            )
11、「いろは歌」を作ったとされる人物は最澄か、空海か?(3点)
                          (          )
12、我が国ではじめて上皇となり院政を執った天皇の名を書け。(3点)
                        (          天皇)
13、保元の乱と平治の乱で大出世した武将の名を書け。(3点)
                         (           )
14、牛若丸とは源氏の誰の事か?元服後の名を書け。(3点)
                          (源         )
15、壇ノ浦の戦いで失われた三種の神器はどれか?(3点)
                              (      )
16、宮中の作法、天皇の心得を記した『禁秘抄』を書いた天皇の名を書け。(3点)
                        (          天皇)
17、承久の御計画で討伐対象となったのは何氏か?(3点)
                          (         氏)
18、蒙古襲来の際、若干20歳で、これに対処した執権は誰か?(3点)
                        (            )
19、天皇親政・倒幕を目指し、失敗し隠岐に流された天皇は?(3点)
                        (          天皇)
20、19の天皇に仕え、大楠公と呼ばれた武将の名前を書け。(3点)
                        (            )
21、20の人物が息子に永遠の別れを告げた場所はどこか。(3点)
                        (          の駅)
22、19の天皇に反逆し、九州から京都に攻め上がって来た逆賊の名を書け。(3点)
                        (            )
23、山鹿素行が、日本こそ中国(中朝)であると主張した本の名前を書け。(3点)
                        (中朝          )
24、孔子や孟子が攻めてくれば、それを討ち取るべしと喝破した朱子学者の名は?(3点)
                        (          闇斎)
25、江戸時代に『古事記伝』を編纂した国学者の名前を書け。(3点)
                        (            )
26、『大日本史』を編纂し、水戸学の流れを形成した人物の名前を書け。(3点)
                        (            )
27、大老・井伊直弼が日米通商修好条約締結反対派らを弾圧した事件の名を書け(3点)
                     (               )
28、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも…」この歌を詠んだ者の名前を書け。(3点)
                        (            )
29、「天下億兆、一人も其処を得さる時は、皆朕が罪なれば」とは、どなたのお言葉?(3点)
                        (          天皇)
30、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」これは大日本帝国憲法の何条か?(3点)
                           (        条)
31、「よもの海みなはらからと思ふよに…」この続きを書け。(3点)
      (                              )
32、明治天皇崩御にともない夫婦で殉死した陸軍将軍の名を書け。(3点)
                        (            )
33、大東亜戦争末期に人間魚雷回天を発案した海軍少佐の名前を書け。(3点)
                    (            少佐)


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by shikisima594 | 2006-06-29 18:35 | 告知
6月23日皇国史観研究会定例勉強会
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 6月23日国士舘大学世田谷学舎にて、皇国史観研究会の定例勉強会が開かれました。
 弊会は平泉澄『物語日本史』(講談社学術文庫平成十二年)の「上」・「中」を取り上げて参りました。23日はいよいよ「下」を取り上げ、『物語日本史』勉強会を完結させました。
 特に会長より人物を中心に発表がありましたので、以下に主旨を掲載致します。


 日本の歴史を通史として描く場合、大抵下巻は江戸時代から描くものである。『物語日本史』では戦国時代から始まっている。戦国時代といえばまず名前が挙げられるのが織田信長である。織田信長は宣教師が連れている背が高く色の黒い人間は何かと問うた。宣教師は「これは黒人、奴隷である」と答えた。キリスト教は「愛」を根本としている事知っていた信長は「何故愛を根本としている宗教の人間が奴隷など連れているのか」と喝破した。その黒人は信長の処置に感動して終始信長に付き添ったと言う。

 織田信長は皇室への礼儀も忘れなかったという。国史絵画には天皇陛下の前で三つ指をついて頭を垂れている姿が描かれている程である。ところが「功名が辻」では織田信長は天皇を無視し「余がこの国の王となる」と言う場面がある。明智光秀はそれを防いだ人間として描かれた。時代が移り変わるにつれ人物の評価は様々に移り変わっていく。最新の情報を常に抑えておくことは勿論だが、その情報をよく自分のものにして自分の中で確固たるものを築き上げなくてはならない。

 山鹿素行は『中朝事実』を著した。儒教は孔子や孟子の教えにより、「徳」も良く注目される。ところが肝心の中国では易姓革命(=天命が改まる)の思想を元にして、「私こそが天命を受けた者だ!」と名乗った者が天下を支配した。孔子や孟子は徳をもって国を治めるのが良いと言ったが中国では実践されなかったのである。
 ところが日本に於いては皇室の下、日本人は纏まって国を営み続けてきた。山鹿素行はこの事実を見て「日本こそが中国である」と説いた。『中朝事実』とはこの視点から書かれたのである。

 江戸時代は中国を本当に世界の中心と仰いだ。「中国」という名前からしてそうだろう。林羅山や新井白石は儒教をそのまま取り込む余り、自身が中国に生まれなかった事を嘆いた。当時のインテリにはそれ位の影響力を持っていた。今でもそうだが外国の方が先進的で中心的であるという意識が蔓延っていた。『中朝事実』はこの様な中では正に衝撃的だったのである。

 この事大主義的な意識は現在でも変わっていない。日本というものを忘れ、中国が良いかアメリカが良いかを言い争っている訳である。排外主義ならぬ「拝外主義」と言わねばならない。

 勉強会の最後に、今までの勉強の成果の確認として会長作成の試験を行った。是非とも抑えておかねばならない事、覚えている様で忘れがちな事がちりばめられた問題に一同改めて『物語日本史』の要点を抑える事が出来たのであった。


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by shikisima594 | 2006-06-28 23:50 | 活動報告
羽織袴の何が悪い!?
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「羽織はかまで神社に行くのは見た感じからして軍国主義。クールビズで行かれたらどうか」

 これは一体誰の発言か。一見すれば中共外務省の報道官の台詞のようだ。まぁそれでも遠からずといったところだろう。この発言は、あの経済同友会代表幹事にして日本IBM会長の北城恪太郎氏が、今月二十日に小泉総理の靖国神社参拝に触れて発言したものだ。

 以前に日の丸を持って悪いのか!?皇紀を使って悪いか?という二つの記事を書いた。で、今回は題して「羽織袴の何が悪い?」だ。前回の二作と併せて、皇国史観研究会“居直り三部作”だと思ってほしい。

 さてさて、北城恪太郎氏といえば今年の五月に中国で商売がしたいから総理大臣は靖国神社に参拝するなという売国提言を出した人で、僕の中では「尾崎秀実、河野洋平、中曽根康弘、村山富市、北城恪太郎」というぐらいの売国奴ベスト5に入る人だ。

 このときは総理の参拝自体に反対していたが、後に小泉総理に会った時に「お騒がせして申し訳ない」と詫びた。しかし発言自体の撤回はせず、心ある国民の抗議や質問にも一切無視を決め込んで、言いっぱなしの無責任ぶり見せつけてくれた。

 そして今回の発言がでてきたわけだ。こっちの発言では「個人的に参拝される形の方がいい」という、いわゆる「私的参拝論」を主張している。しかし総理大臣という性格と靖国神社という国のために命を捧げられた方々を祀っている場所の性格上、総理大臣の参拝に公私の別が付け難いのは散々言われて来た事だ。それも踏まえずに今更、「個人的ならいいよ」と言うのは実質的に参拝に反対しているのと同じだ。

 しかも、それ以上に笑ってしまうのが、「羽織袴プラス神社イコール軍国主義」という外国人でも思いつかないような発想だ。羽織袴が軍国主義になるならば、成人式、卒業式、初詣、お盆、夏祭りになると日本は軍国主義者でごった返していることになるではないか。なんと頼もしい!!

 また、この説の逆を言えば、羽織袴がいない中国や北朝鮮は、まさに「地上の楽園」の平和国家じゃないか。北城氏には是非とも、羽織袴の軍国主義者がいない、ご自分の大好きな中華人民共和国への早急な引っ越しを提言したい。

文責:タカユキ

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by shikisima594 | 2006-06-27 15:26 | 随想・雑記
日本を蝕む外国産野菜
 最近、スーパー等でよく見かける中国産の野菜。値段も国産の物より安く、一人暮らしの私は、ぱっと手が出そうになるが、この中国産野菜から、通常の百倍の農薬やDDT、ヒ素、カドミウム、水銀、鉛が検出されるというような事件があった。

 直ぐ様、日本政府は輸入禁止の措置を取ろうとしたが、中国政府は「日本がそのような措置を取るのであれば、我々も日本製品に百倍の関税をかける」と脅し返してきた。

 中国政府の威圧的行為はどうかと思うが、文化大革命の時代に木を切り過ぎ、土は痩せ、水も畑も産業も無い非常に貧しい大陸内部に住む中国農民は非常に貧しい生活を強いられている。

 そんな彼らは、日本に売れば高収入で、必死になり、できるだけ大きい物や形のいい物を少しでも多く出荷し、少しでも生活が楽になるよう必死なのである。その為に、悪いと解っていながら、上記で述べたような農薬類を大量に使用するのである。

 これは、中国だけでなく、今や世界中が日本に作物を売る為に行っている事であり、現在世界最高水準の農業技術を有する日本の品種の作物が世界中で作られているのである。

 さて、話しが少し変わるが、現在、我が国の食料自給率をご存知だろうか?供給熱量自給率が40%、穀物自給率に至っては28%と、先進国の中でも最低クラスである。近年では、若者の離農化が進み、ぐんぐん下がる自給率に安い中国野菜が追い打ちをかけ、国内の農家の離農に拍車がかかり、農業事情は壊滅的なものである。

 しかし、農業技術が世界一を誇る日本の穀物自給率が何故こんなに低いのであろうか?一つは、上記で述べた離農による農業人口の減少と、もう一つは、消費者である我々に問題があると思う。もう一度、思い出してもらいたい。何故、中国農民が大量の農薬を使うかを。

 現代日本人は形や大きさにうるさく、規格に合った作物しか買わないのである。そして、規格外の大きすぎたり、小さかったり、形の悪い農作物は、破棄されたり、ゴミ袋いっぱいで百円くらいの価格で無人売店などで売られている始末で、農家は全く儲けにならない。これらを市販し、消費者がこれらを消費する事により、穀物自給率も大幅に上がるのではないかと思う。

 最後に、世界では既に食糧難により食べる事のできない人達が沢山いる。しかし、それは他人事では済まされず、ただでさえ食糧自給率が低く、食糧の殆どを輸入に頼っている我が国は、他国が食糧を我が国に輸出しなくなれば、たちまち食糧難となり、一億餓死となる。

 これを防ぐには、形や大きさにはこだわらず、どんな野菜でも消費し、農家を支援して食糧の自給率を高めなくてはならない。

文責:満州

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by shikisima594 | 2006-06-26 23:24 | 随想・雑記
オオヤシマ民族文化回復運動の呼びかけ
 オオヤシマ民族という人々は、オオヤシマ民族の文化を共有していると考えられる。個人が生み出す誤差もあろうが、それが本質であるならこの世には民族もナショナリズムも生まれなかったに違いあるまい。結局何らかのものが共有されているということが、あるいはその意識が民族にとって必然であるとみなされ、それが民族の存在を考える上ではやはり重要なものであったのだ。

 民族というものは、人々の間で、独自で均質的な文化が共有されているか、その事実の認識および主張から成り立っている。確かにそれは否めない。このうち、どちらが先に始まったのかといえば、卵が先か鶏が先かの問答をここで繰り広げることになる。それはどうでもよい話だ。大切なことには、このうちいずれを欠いたとしても、民族という視点は生まれ出ないに違いない。

 だが著者は、言葉を強いた上ではあるが、認識よりも事実のほうに重要性があるのではないかと思っている。ないものはあるといって見せることはできない。これは自明であって、いちいち省みるに値しないはずであった。

 ところが今日、わが民族の習俗を見てみると、世界に比べて独自であり均質な文化が多く存するとは到底言いがたい。客観的には日常が円滑に機能しているし、そうだといって食うに困るわけでもないので、どうでもよいことかもしれない。
 しかしながら、われわれ民族主義なり国粋主義の立場が、それを問題として捉え切れていないということは、問題ではあるまいか。本日は、ここから話を始める。

 本来のオオヤシマ文化、すなわち日本文化や和風というものは、たしかに独自で一元的であった。たとえば、今では考えがたいことであるが、一五〇年もさかのぼれば、国民に日本的な衣装を常用していないものはおそらく一人もいなかったのである。和服は常用されていたのだ。

 なお、これは「呉服」とも呼ばれることがあって、文字通り「呉(シナ系民族のひとつ呉人がたてた古代帝国)の服」の意味であるのだが、奈良時代の宮廷服はともあれ、他の時代の和服が呉帝国の民族衣装の様式を反映させているとはいえない。柄や織り方に唐風和風の区別もあって、少なくとも和風のものに関しては完全に和式であった。

 言わずもがなのことであるが、著者は前述の社会の状態に疑問を覚えている。民族主義者としては当然のことであると思う。何故といって、われわれは日本の文化を愛するということを忘れて、日本の民俗を忘れ続けて、果たして最期には民族が残るとは思われないからである。
 もはやわれわれは、かつて独自であった文化をしのんで、そこにかろうじて民族のアイデンティティを見出しているにしか過ぎない。実際には、そんなものは社会からとうに追放されてしまっているにも関わらずである。

 その例は枚挙に暇が無いとはいえ、ここで取り上げるのが和服である。いわゆる「和服」は、それがオオヤシマの、という形容を行う「和」という言葉がつくほど、日常から離れ、特殊化されてしまっている。

 また、それは「伝統的な衣装」と呼ばれることもある。しかし正確な表現を望めば、そんな欺瞞に満ちた言葉より、「伝統的衣装と呼ばれる衣装」という言葉がふさわしい。
 オオヤシマ民族に所属する人の中に、日常を和服で過ごしている方がどれだけいるものか。おそらくほとんどの方が、我々が我々のものと認識している服を着ているものはいないに違いない。もちろん伝統ある特殊な職業は、和服を常用することを強いることもあるが、あくまで特殊にとどまる。

 我々一般人は、代わりに洋服という明らかなる他者の衣装に身を包んでいる。これは不自然なことと感じはしまいか。一体我々は、何の必然性があって異国の衣装を着ているのだろう。

 洋服と呼ばれるものは、欧州諸国の民族衣装をない交ぜにしてあるが、だからといって人類に普遍的な形態を持っているわけではない。利便性が確かに他の民族衣装と比べて高いということはありそうだが、近代技術が支配する社会でよく用いられる服装が、利便性から言ってよくなる、作り変えられるのは、どの民族衣装にも変わらない条件である。

 これに文化相対主義を掛け合わせて考えれば、我々はチマチョゴリを日常化していることや、ポンチョが社会の通例になっているのと変わらない世界に生きているのである。もっと言えば、腰蓑の類であろうと、ペニスケースであろうと変わるまい。端的な比喩であるかもしれないが、それが異民族のものであるということは、条件として全く変わらないのである。

 それでも、洋服は今日に至っては結局百年以上の「伝統」を持って日本に定着している。繰り返し問おう。わが国の伝統的衣装は何か。それは残念ながら、かれこれ七、八十年前からパリのモードやロンドンのトラッドやニューヨークのカジュアルに支配されている、しかしながら定着している、洋服という形式の衣装でありはしまいか。そして、更に放っておけば、あと一〇〇年後にはそれはすべての民族の「民族衣装」となるだろう。

 そこを、我々保守だの右翼だのと言ってきた者が、果たして放置しておいて筋が通るのであろうか。我々のような主張をもつと言っても、街頭に立ってアメリカの文化支配を批判するような者でさえ、洋服は外来和服は在来だという思想さえ消えうせてしまっているのではあるまいか。
 みればわかるとおり、これは事実である。そしてそれさえなくなったとき、また一つ、わが民族を他者から離別せしめていた重要な要素が消えたことになるのではなかろうか。より確信を持った問いでこれらを確固たらしめたい。我々は、現状を追認するままで良いのだろうか。

 技術の進歩によって、効率化によってモノが普遍的な便利さのある形に近づいていくのは仕方のないことである。それならばいっそ、ここで提案したいのは、我々は技術の革新と発展を求めてモノを発達させるのと同時に、我々独自の美術様式や倫理的諸要素を求めていく運動である。

 指摘が遅れたが、和風の形容詞が冠されるものは、大抵過去の技術水準や便利性にとどまる。それは、和風が非技術的なものを目指しているのではなく、我々がそれらを改良する義務を放棄し、日常から和風という体系自体放り出してしまったからに他ならない。 
 例えば和服は着付けに時間がかかるし、自由芸術が盛んになる時代の前に、社会の表舞台から取り外されたため、芸術的趣向もそう多くはない。しかしながら、それが果たして、効率よさを求められる社会の第一線で活躍していて、或いは若者の間でファッション芸術の追求が盛んに行われていたら、著者は、そこにこそ真の生きた和服は存在するのだと思われてならないのだ。

 そしてそれは、もちろん服装などという限られた世界にとどまるべきでない。和のつくものは全てその対象となるべきなのである。だが和船、和紙、和鋏、和本、和絵、和方薬と、和のつくものをあげてみたところで、これまでに我々が獲得した文明社会を機能させるには不十分である。
 我々は民族に接している全てのものに、それは、時には最新の技術や、西洋思想に毒された社会機能、時には偏見に満ちた自らの精神でさえも、文化の回復運動につき合せなければならないのではあるまいか。

 著者はこれを国粋発展主義と名づけて諸君らに提案する。

 しかしそれも一人では適わないことである。否、我々はそれらを発展させるどころではない。我々はこれまで、精神の保守を叫び、時にそのためには形を忘れても良いとさえ説き、ついには自らの手で、目に見える民族性を歴史の闇に閉ざそうとしているのである!

 こうなった以上、我々は初歩から段階を踏んで運動を展開しなければならない。ひとまずは、和服に限ってでもかまわない。そうした具体的民族性を、日用化するための運動を、少なくとも構想くらいは始めてもよいのではないだろうか。まずはそのことを、同志諸君らに訴えたい。
 これに成功すればもう一つ、「発展」は必要であることなど、すぐに気がつくことになろう。我々が招いてきた民族の崩壊は、我々が何か余計なことをしたのではなくて、「何もしなかったこと」が引き起こした事態なのである。したがって、我々が保守よりも維新を目指して活動すべきことは、明確であるといえる。是非ご協力願う。

 さもなくば、である。
 精神と現実はどちらか一方では長く持たない。著者が滅亡を危惧することも、理由があるのだということを、どうかお留めいただきたい。


文責 ムネカミ

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by shikisima594 | 2006-06-25 23:15 | 随想・雑記
ホタルになって帰って来る
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 蒸し暑い日が続き、すっかり真夏が、すぐそこまで来ていることを体感させられる。今から六十一年前の六月、大東亜戦争の戦局は逼迫の度合いを強め、多くの若い生命が前線へと飛び立って行った。この昭和二十年六月に鹿児島県の薩摩半島は知覧町にある富屋食堂で後世に語り伝えられる有名な話が生まれる。

 この話は、今から三年前の国士舘大学楓門祭で皇国史観研究会が「蛍になって帰って来るー特攻の言の葉ー」という題名で展示した。写真はその時の看板を持つ当時の会長だ。

 富屋食堂は女主人の島浜トメさんが切り盛りし、多くの特攻隊員達が出入りしていた。トメさんと、その娘さん達は、死を直前に控えた青年達と接していたのだ。トメさんは自ら青年達の母代わりとなって、優しく尽くしてあげていたそうだ。

 この年の六月六日、本土への空襲が恒常化した頃、富屋食堂に出入りしていた宮川三郎軍曹は二十歳の誕生日を迎え、皆に祝われていた。しかし、宮川軍曹は特攻出撃を明日に控えていた。明日死にに行く者の誕生日を祝う者の気持ちはいかばかりであったろうか。

 その中で宮川軍曹は「明日、帰って来るよ」と言った。トメさんは「どうやって帰ってくるんだい」と問うたところ、宮川軍曹は外を飛ぶホタルを眺め、「じゃあ、明日の晩の九時にホタルになって帰ってくるよ。だから食堂の入り口を少し開けておいてくよ。その時はみんなで『同期の桜』を歌ってくれよ」と言った。トメさんはそれを了承して宮川軍曹を送り出した。

 翌日、夜九時なった時、どこからともなく一匹のホタルが富屋食堂の中に入って来て、天井の梁にとまった。その場に居合わせたトメさんと娘さん達、特攻隊員達が集まり、皆号泣しながら同期の桜を歌った。歌い終わったあと、ホタルは外に飛んで行ってしまったという。

 こうした富屋食堂での出来事を題材に俺は、君のためにこそ死にに行くという映画が制作されている。製作総指揮と脚本を石原慎太郎氏が担当し、監督は新城卓氏で、徳重聡氏、窪塚洋介氏らが特攻隊員として出演する。完成は今年の末で、来年の夏に公開されるという。

 特攻隊という存在が歪められ、貶められて来たのが、この国の戦後であったが、等身大の彼らと向き合うことは、我々現代日本に生きる青年に課せられた義務だと思う。

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by shikisima594 | 2006-06-24 21:52 | 随想・雑記
言論の崩壊が進む日本
 小泉首相を支持している人たちをヒダリといわれている人たちは右翼だとすぐに叫ぶが…
正直いって、馬鹿じゃないのかと思う。

 本当に左翼と自称出来る人たちであるなら、小泉のとっつあんより、今は非常にチャンスであると考え。これから、下層と置かれる人たちを如何に魅了するような言葉をつくり出そうと研究し共産革命を押し進めるか?と考えているだろうと思う。

 自分なら確実にそうする、短期的な感情より。長期的な戦略を考え出そうとすると思う。
まあ、それだけ筋の入った左翼と言われる人たちが消えていってしまった…と反省するべきであろうと思う。

といっても、今回はそれが言いたいのではなく、国家と国体の問題である、国家というのは政体と経済、軍事、国民を全てまとめた上で頂点に存在するものが国家であり。国体というのはその国家の系譜である。

 故に、日本で言う国体というのは歴史そのものであり、それは最終的に皇族と日本民族が歩んで来た歴史そのものが日本の国体そのものになると言えると思う。
だけど、今の日本には外国というものに揺さぶされすぎてしまう人民があまりにも多いというべきであろうと思う。

 それが媚韓、媚中、媚米、また嫌韓、嫌中、嫌米遊びになってしまうような気がする。
このエキサイトのブログを見ればすぐに分かる、たいてい上位に上がっているブログというのは基本的にこれらに属する事を言っているブログが多い。

 一言で言わせてもらう、これらは単なる対立遊びであり循環論である。
全く無意味な言論である事を言わせてもらう。

 では、意味、意義がある言論とは何か?それは目的と手段をわきまえるという原点に戻る事である。あくまでも、目的は日本の国体を護るという前提を置かねばならない。

 それなのに、くだらない感情で言論を語っているようではまさしく亡国が近いと思う。
まだ、上記にあげたものが手段であるならばまだ救いがいがあるが…。

文責:○○おじさん

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by shikisima594 | 2006-06-23 23:09 | 随想・雑記
大橋正文烈士顕彰
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                大橋正文烈士

 昭和四十九年の二月十一日紀元節、午後十時半頃、靖国神社拝殿前で元国士舘大学生が国を憂いて、三島由紀夫烈士に続くとして割腹自決を遂げたことは余り知られていない。かくいう自分も、先日そのことに関する本を職員の先生いただくまで知らなかった。

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 これが先生より頂いた本だ。この本は大橋烈士の自決を受けて翌年の紀元節を期して国士舘大学が発行した冊子で、発行者名は「国士舘大学有志」「大橋正文君遺徳顕彰会」となっている。まえがきを、当時の柴田梵天総長が烈士のご両親様に宛てた形式で記している。一部引用する。

「昨今の時勢は、純真なる真日本人には、忍び難き状況にて、我々も心から義憤を禁じ得ません。私は故正文様の挙が決して無にならぬことを固く信じ、又、我等一同心から、御冥福を御祈り致しおる旨御霊前に御報告いただきますならば、誠に幸いでございます。」

 このことから分かるように、当時の国士舘は学園を挙げて大橋烈士の追悼と顕彰を誓ったものの、時間の流れは恐ろしいもので、今の国士館大生で大橋烈士を知る者は皆無に等しい。烈士の遺書は実家の大橋家に宛てたものと、親戚家にあてたもの、友人や先輩にあてたもの、そして社会に宛てたものの四通であり、その文面から烈士の烈々たる憂国の至誠と人情と優しさに満ちた人柄が読み取れる。

 以下に『義』と題した社会に宛てた遺書を掲載する。(原文ママ)

 世に言う三島事件以来、早や三年幾月が経過しましたが、現状の日本社会は、混乱を来たし、富の偏差は甚だしく、人心は乱れ、巷での悲劇は枚挙にいとまがない。日本民族に継承されつづけた伝統、美的心を失った者が世に氾濫し、正直者が馬鹿をみる社会風潮は一向に改められるような兆候は見受けられない。あの故三島由紀夫先生の死が、我々日本国民一人一人にとって、又現在直面している日本社会にとって、歴史的に何を意味するものであるかを、今一度今一度日本人の心に立ち帰り、直視しなければならない。
 今日、建国の日をもって我らが憂うる御国に命、捧げん。
これは亡土方英次君の遺言書の一節です。
 『我、日本人に生、受けたるを喜ぶ。
                 土方英次(叔父)
                 昭和四十八年十一日二十日自刃』
                 大橋正文
  昭和四十九年二月十一日(建国記念の日)
叔父、故土方英次の名を記しましたのは、平常、小生と同様の考えを持ち、同様に割腹自決して果てた故人の死が誤った形で世間に伝わり、その無常さを思うと、忍びず、真に勝手独断な振舞ではありますが、小生の至情お察し下さいますよう。
                               元国士館大生
                                大橋正文
                 昭和二十三年十一月五日生(二十五歳)


 大橋烈士の遺書は以上だ。遺書にもあるように、この自決の際、大橋烈士は国士舘大学の学生ではなかった。しかし、遺書に元とはいえ国士舘大学と記された烈士の国士舘に対する並々ならぬ誇りと思いには胸迫るものがある。また、烈士の自決の前には叔父も同様の思いで割腹自決を遂げておられるというのだから、壮烈だ。

 三島由紀夫烈士も、吉田松陰先生も、大楠公も、またその他の多くの先覚烈士達は後世の人々の記憶に残り感奮興起せしめることで魂は永久に生き続けるという話がある。だとすれば、記憶から忘れ去られれば魂は消滅し消え去るのだ。それは余りにも悲しい。

 この大橋烈士の祖国日本への思いを世に広め、大橋烈士の御霊を弔う意味も込めて今回の記事を投じた。靖国神社社頭で流血をともなう自決ということで批判もあるだろうが、その大橋烈士の憂国の至誠を前述の遺書から幾分か汲み取り、皆様の記憶の中に大橋烈士の御霊を留めていただきたいと思う。

 また、謹んで大橋烈士の御霊が安からんことを衷心より御祈り申し上げます。

合掌。

文責:タカユキ

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by shikisima594 | 2006-06-22 23:48 | 随想・雑記
初夏のつぶやき
 もう少しすると8月になる。8月になると「敗戦無念日」がやって来きて、左側から反戦平和と言う叫びが聞こえて来るようになる。だが、その叫びには何一つ説得力を持たない。なぜなら、もう思想で青春気分を味わう時代は終わったからである。

 我が日本軍が負けて、およそ六十年経つが六十年というのは二世代変わるという事である。二世代変わるという事はどのような事か?これは、思想や経済、教育もろもろ国家というのが変化するという事である。

 ちなみに、循環経済学上ではこの二世代の変化をコンドラチェフサイクルと言って。このサイクルは通称「経済のサイクル」と言われている。では、経済が変わるという事は連動して、政治にも影響を与え、軍事、教育など国家の中枢にも影響を与える。

 なぜなら、自分達のおじいさん達は完全に引退し、お父さん達が国家の中枢を握るようになるが、それも後、十数年位である。その後、自分とあまり変わらない人達が国の中枢を担うようになっていく。完全な変化がやってくるのだ。

 左側の人達のように、今の若者は戦争の悲惨さが分らないと叫び上げる人達がまだ生き残っているが、私から言わせてもらえれば、そのような方便を使う事で若者達を自分達の思想に染め上げて、拘束したいだけなのだ。

 それでは、時代は刷新されない!自分達も戦争の恐ろしさはイラク戦争などの圧倒的破壊をテレビでとはいえ、見ている世代である。故に、我々は備えねばならないのだ。そう、有事のためにだ。自分達の世代は思想で妄想している世代ではないのだ。

 事実上の敵国としての北朝鮮、敵性国家の中国、そして圧倒的暴力の暴走を正義だと叫ぶ米国。このような国家に挟まれ虎視眈々と自分達の利益を増やそうとしている、東南アジア諸国。我々の世代は全てが現実に起こっている問題である。

 思想家が夢想して生まれた「可能性」という戯けた言葉ではすまないのだ!思想家よ、日本はもう青春をしている余裕は存在しないのだ。大人になれ!

文責:駄目人間

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by shikisima594 | 2006-06-21 23:54 | 随想・雑記