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"民族"って?
 辞書的な意味での"民族"という言葉は、英語の"nation"と"ethnic group"の二つの意味を同時に持つ。前者がより近代的な、国家を元にする考え方であるのに対して、後者は考え方や言語などを元にするものである。フランス革命によって国民国家が形成され、ヴェルサイユ体制に至って限定的ながら民族自決の国家が誕生していく過程で、民族という枠組みは、これら本来の役割を超越して拡大解釈されてしまったのではなかろうか。私にはそう思えてならないのである。

 私事ながら、私には交際している女性がいる。彼女はドイツ人の父と日本人の母を持つハーフであったが、青い虹彩と白い肌、金髪は非日本人的だった。綺麗なドイツ語を話し、ドイツ風マナーも嗜んでいたものの、彼女は日本で長く生活しており、考え方や行動原理はむしろ日本人的であった。

 しかし子供というものは残酷なもので、小学校六年生くらいまで、彼女はその外見から仲間はずれにされていた。彼女は日本というコミュニティの中で、日本的であったにもかかわらず、他の日本人に「お前はドイツ人である」と決め付けられてしまったのだ。これに対する彼女のリアクションは、日本人の中にあって、誰よりもドイツ的に振舞うことだった。自分が所属していない、ドイツ人というコミュニティに"所属"していなければ、日本人というコミュニティの中で生きていくことが出来なかったのである。

 確かに、人間は脆弱な生き物である。自己の居場所を確認しなければ生きていくことは出来ない。しかし人間は自己の精神的な居場所を絶対値で確認することは出来ず、相対値でしか確認することは出来ない。つまり、人間が所属するコミュニティというものはこの確認のために用いられるわけであって、そのために人間はコミュニティに対する帰属意識を持つ。このコミュニティの大きなものが、"民族"と呼ばれるものだ。

 彼女は自分が日本人だと思っていて、日本人の女の子達と遊びたかったのに、ただ「髪が金色だから」という理由で廃絶されてしまった。コミュニティに所属する人間は、コミュニティの崩壊を何よりも恐れる。つまり彼女は、日本人コミュニティに所属する人間が、「自分達は外人ではない」ことを認識するための材料にされたのである。

 しかし、これでいいのか? 果たして"民族"とは、排他主義の体のいい隠れ蓑なのだろうか?

 決してそうではない。"民族"を含む人間のコミュニティは、相手を攻撃する言い訳にはならない。本当に自分の所属するコミュニティとしての"民族"を愛しているなら、同じ考えを持つ人を仲間として受け入れられるはずだし、自分達の考えに誇りを持つことができれば、相手が自分達と同じように、自己の考えに誇りを持っていることがわかるから、違う考えにも敬意を払うことが出来るはずだ。

 "民族"というのは"壁"でなければ"線"でもない。増して、"民族"というものが人間の全てというわけでもない。"民族"というものは、相手の考えに耳を傾けて、相手の考えを尊重しながらも自分の考えをはっきりと相手に伝えるための、ある種の道具に過ぎないのではないだろうか。

 新入部員
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by shikisima594 | 2009-07-04 02:15