「右傾化」してます?
 先日の朝方、ぐっすり寝ていると電話が鳴った。知らない番号だけど出てみたら、某有名マスコミだった。うーん、マスコミ業界は別に就職希望を出していないのに、リクルートに来たか、というわけはなく、知人の紹介で僕を取材したいというのだ。

 聞いてみると、「いまの日本が右傾化していると思うのですが、そうした現象とその背景にスポットを当てたモノを描き出すことによってですね…」と一気にコンセプトを話しはじめる。大学に入学して以来、この手の話を受けるのは何本目だろうか。

 国内外あわせて十回近く取材やら何やらを受けて来た。全てに共通するのは「いまの日本が右傾化している」という問題意識である。電話口の担当者は企画を一通り話して、おもむろに「いまの日本が右傾化していると言われていますが、どう思いますか?」と聞いて来た。

 何度も聞かれ続けて来た質問だ。大学一年生のころは自分の希望的観測も交えて「うーん、そうですねぇ、いい意味で右傾化してるんじゃないですかねぇ」などと無責任でノンキに答えていたけど、いまはこの問いに明確に「否」と答える。

 実際に自分の周囲を見回す。皇国史観研究会の会員数は冷戦崩壊前後の結成から、だいたい10人前後で推移してきた。それは「右傾化」と言われる今でも変わらない。皇国史観研究会に限らず、他大学の民族派系サークルも同様だし、実際に社会で活動する組織も同様だ。活動ヘの参加人員は平行線か、微減ぐらいだ。

 なので僕が率直に「右傾化なんてしてませんよ」と答えたら、電話口の担当者氏は随分と焦ったように、「いや、それは違うと思いますよ!なぜならですね!」とまくしたてて来る。こっちは聞かれた事に答えただけだし、そのうえ寝てたんだからイイカゲンにしろと言いたかった。どうも彼らマスコミ的には日本が「不健全」に「右傾化」していないと困るようだ。変な話だ。

 では、マスコミが「右傾化」の根拠に挙げるものは何か。概要以下の通りだ。
・小泉前総理、安倍総理の支持率が高い。
・8月15日に多くの国民が靖国神社に参拝するようになった。
・憲法改正議論が高まって来た。
・対北朝鮮強硬世論が盛り上がって来た。
・かつての左翼運動が力を失った。

 まず、小泉&安倍の支持率の高さだが、これを「右傾化」と捉えて、同様に「右傾化」していると定義した僕のところに電話してくるのは、あまりにもお門違いだ。なぜなら僕は小泉&安倍はおろか自民党すら支持していない。それらの人気が高まるのが「右傾化」というならば、あまりに短絡に過ぎる。

 8月15日の靖国神社についても同様だ。靖国神社には先の大東亜戦争の戦没者が数多く祀られているが、別に8月15日にこだわる必要はない。あえてそこにこだわって、政治的パフォーマンスをやったのが小泉前総理であるだけだ。しかも、村山談話継承と言う屈辱的な歴史観を持って。

 さらに、憲法改正論議にしても、中東戦略が行き詰まりを見せたアメリカが、自らの都合に合わせて日本を利用する魂胆でなそうとするもので、議論が9条のみに集中している。かつてアメリカの都合で押し付けられた憲法が、いま再びアメリカの都合で変えられようとしている。

 それはおよそ独立国家の態度ではなく、戦後体制を強化して、アメリカの従順なる家来と化す現象に過ぎないではないか。左翼運動の衰退もそうだ。意外に思われるかもしれないが。僕は左翼運動に一定の評価をしている。

 いかなる時代にあっても人民の権益に立脚し、伝統的価値観と資本主義的圧搾に対抗して、反体制の反骨精神を貫くものを左翼運動と定義した場合、それはいかなる時代でも必要であると思うからだ。

 ところが、そうした精神が衰退したのは、戦後の左翼運動が人民に届く言葉を喪失し、単なる労働貴族としてのノスタルジックな既得権益集団になり果てた事によるところが大きいが、それ以上に現代の国民が反体制的な反骨精神を失い、「小泉劇場」などの体制側政治ショーに踊らされているだけではないか。

 そのような現象が「右傾化」というならば、僕はかような「右傾化」には断固として反対する。なぜならその「右傾化」の先にあるのは、我が国にとって最も陰惨で不幸な形での「全体主義」と、没落ではあるまいか。

 今回のように僕に電話してきたマスコミにしてもそうだが「右傾化」の実態を、いま日本で進行している前述のような現象と、我々の父祖が命を賭けて実現しようとした日本と余りにも乱暴に混同しているが、我々はその実態が大きく異なる事実に気付かなければならない。

 そこにおいてこそ始めて、マスコミが定義したり、現体制が押し進める浅薄な「右傾化」とは明らかに違った、真の日本再生がはじまるのではあるまいか。
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# by shikisima594 | 2007-08-03 23:43 | 随想・雑記
私的敷島回想録 4
f0018981_15491520.jpg 大学のサークルにはスポーツ系、文化系、武道系という分類がされる。じゃあ皇国史観研究会は何系なの、と思われるだろう。おそらく大勢の方が文化系サークルだと思われるはずだ。

 それで間違いではないが、もっと正確にいえば民族派系サークルである。7月25日の本連載に、国士舘大学OBのもみじ氏がコメントを寄せてくださっているが、国士舘大学には國士拳千唐會、國士拳友會、國防部、大日本國心會、大日本國友會、大日本昭和維新會、日本民族研究会といった錚々たる民族派系サークルがひしめいていた。

 これは何も当時の国士舘のみの現象ではなく、昭和30年代後半から40年代にかけて、左翼学生運動のうねりが全国の大学で高まって来るのに対抗する形で、戦後の民族派学生運動が誕生し、日本学生同盟、日本学生会議、全国学生自治体連絡協議会などの巨大な民族派系学生団体が結成される。

 当時の資料にあたっても、東京大学、早稲田大学、拓殖大学、日本大学、國學院大學、東洋大学、桜美林大学、駒澤大学といった首都圏の多くの大学にも民族派系サークルと呼ばれるものが誕生し、その一部は後の新右翼と呼ばれる新勢力を形成していく。

 しかし、ソ連が崩壊し、冷戦構造が終わりを迎え、各大学で燎原の火のように燃え広がっていた新左翼学生運動が風前の灯火にまで後退してしまうと、「アンチ左翼」「反共」の側面が強かった民族派学生運動も同様に、形骸化し活力を失い衰退していく。

 都内の有名大学や中堅大学では珍しくなかった民族派系サークルは、昭和から平成の御代への代替わりの狭間で、次々に消滅していってしまう。その流れとすれ違うように、昭和58年に結成されたのが皇国史観研究会である。

 反共やアンチ左翼に終止するのではなく、あくまでも日本はいかなる国であり、そこに生を受けた我々はいかにあるべきかを、硬直して形骸化・自己目的化した運動や議論ではなく、後輩や先輩の別なく自由に切磋琢磨していける集団を目指した。創設にかかわった先生によれば「歌って踊れる民族派学生団体」との事だった。

 前置きが長くなったが、そんな経緯で結成された皇国史観研究会。僕が入った頃には国士舘大学唯一の民族派学生サークルで、学内の左翼教授や日和見教授たちからは、かなり煙たがられる存在だった。まあそっちの方がオモシロい。とことんやったろうじゃないかと思ったものだ。

 民族派系に限らず、左翼系もそうだが、おおよそ思想をぶち上げるサークルは、どこかの系列にある。既成の新左翼セクトだったり、宗教だったり、既存の民族派団体だったり、なにがしかの“母体”を持っているものだった。僕もそれを少し覚悟していたが、皇国史観研究会には“母体”はなかった。あくまでも学生が主体で、セクト主義とは無縁の非常に珍しいタイプのサークルだった。

 僕が入会する二年前の平成14年9月17日。あの歴史的な日朝首脳会談の席上、北朝鮮の金正日が拉致問題を認め、同年10月24日には拉致被害者5名が帰国を果たした。この時から拉致被害者救出運動が盛り上がっていた。それは東京の民族派学生や、保守系学生においても例外ではなかった。

 拉致被害者救出集会が何度も開かれ、そこに参加した学生同士のネットワークが出来て、互いに刺激を与えあって、活発な運動が繰り広げられるようになる。平成15年5月14日、早稲田大学で拉致被害者家族などの関係者らを招いて拉致問題を考える集会が開かれ、これに国士舘大学の有志学生らが提携した。

 当日は国士舘大学から皇国史観研究会や武道系サークル、応援団が警備として参加した。この時のことを革マル派系の早稲田大学新聞が「会場警備として国士舘大学の体育会系学生がにらみをきかせるなど、物々しいムードにつつまれた。」と書いているから何だか笑ってしまう。

 この試みは国士舘大学でも取り組まれて、同年に国士舘大学鶴川校舎の30号館大教室に横田夫妻を招いて講演会をする。この時は立ち見もでて、会場に人が入り切らない大盛況になったというのだからスゴい。

 ちなみに、このとき、皇国史観研究会の先輩たちが毎日のように学校が終わったら、ハサミとホッチキスを手に、ブルーリボンづくりの内職に励んでいた事はあまり知られていない、舞台の裏話であるが、この平成15年頃に東京中に出回った数万個ものブルーリボンの多くが、「メイド・イン・コクシカン」である事実を書いておきたい。

 こうした拉致被害者救出運動の一番先頭に立っていたのが、衆議院議員の西村真悟代議士であった。その関係からか、こうした運動に加わった学生の多くが西村氏のもとに集って、勉強会や運動に関係していく事になる。皇国史観研究会の先輩も何人か参加して、そこから広い交流を得て、活動の幅を広げて行く。

 そうした動きの中で、かつての全国学生自治体連絡協議会の流れを汲む、首都圏学生文化会議が靖国神社で「大東亜戦争戦歿全学徒慰霊祭」というのを催しており、ちょうど平成15年で学徒出陣六十周年で、慰霊祭自体も第二十回という記念すべきものであったので、国士舘大学から皇国史観研究会をはじめ、有志学生ら約25名が参列して、共にお手伝いをさせていただいた。

 このように皇国史観研究会の活動は、既存の学生運動的な党派主義とは全く無縁だった事が今更になって思われるのである。写真は、撮影したY君の指だか何かが写りこんでしまっているが、翌年の「第二十一回大東亜戦争戦歿全学徒慰霊祭」が終わった後、靖国神社拝殿前にて、当時の皇国史観研究会一同で撮影した貴重な一枚。

タカユキ
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# by shikisima594 | 2007-08-01 23:14 | 随想・雑記
私的敷島回想録 3
f0018981_105879.jpg 皇国史観研究会は結成以来ずっと会員数が十人前後で推移してきた。だから、個人の個性が組織運営にものすごく反映される傾向がある。野球部やサッカー部ならそうはいかないけど、十人前後という人数と活動内容からそうなるのだろう。

 それが顕著にあらわれるのが、学園祭である。前回からの続きで学園祭のことについてちょっと書いておきたい。前回書いたように、平成16年の学園祭は春が「日露戦争」で秋が「日本人受難の歴史」というものだった。

 内容も内容だったが、会場づくりや準備の不手際などが目立ち、来場者数が極度に少なくて、閑古鳥が鳴く事はなはだしかった。軍事や戦争が好きな人が多かったから、展示内容が「軍国主義サークル」と言われるぐらいになっていた。そこで、平成17年に、僕が二年生になった時の学園祭は、露店をする事にした。

 といっても、武士の商法のようなもので、みんなして商才のある者がいないから、何をしていいものか全く見当がつかない。なにしろ、昔、焼き鳥屋をやったことがあったが、その時は焼き鳥屋でバイトしている会員が中心になって、良い肉を使って、しっかりとした調理器具を用意して大好評を博したという。

 それで二日間の学園祭で焼き鳥が完売したので、売上金を数えてみると、値段を余りにも安く付け間違えていたせいで、なんと純利益が300円しかなかったという笑い話まである。とにかく、いままで人が寄り付いて来なかったのだから、これからは人の集まるような店を出したいと言う話になった。

 なので、平成17年春の学園祭はラムネ屋をやることにした。なにしろラムネなら冷やすだけで、調理する手間がかからないので、とっても簡単だし、子供にも人気があり、店の前には地元のちびっ子たちが行列をつくる大盛況になって、二日目の昼過ぎには用意したラムネが完売してしまった。

 この時、ラムネを売りながら、当時発行していた皇国史観研究会の新聞を「おまけ」と称して付けてあげていた。新聞をもらった小学生の子が「これどうするの?」と聞いて来たものだから、「しっかり読んで、日教組の悪い先生に騙されないで、明日の日本を背負って立つ立派な日本人になるんだよ」と言ったら、「うん、わかった」と答えてくれたのが今でも心に残っている。

 このラムネ屋は好評だったので、翌年の平成18年の春も同じくラムネ屋をやることになった。

 さて、夏が過ぎ、秋の学園祭がやってきた。平成17年11月2日から3日に国士舘大学世田谷校舎で開催される楓門祭である。この時が大東亜戦争敗戦60周年だったので、当時、会長代行だった僕が責任者となって「大東亜戦争の真実」という展示をすることにした。

 ここで僕らが目指したのは来場者の倍増である。いつも学園祭で展示をやっても、来場者数が二日で50人もいなかったりすると、何のためにやっているのかという気になる。だからせめて、来場者100人以上を目指したかった。

 そこで、夏休み前から用意にかかった。いつもは学園祭の直前に徹夜の突貫工事で仕上げるのに、この時は夏休み前から会場のレイアウトと、展示内容、展示写真、広報宣伝に力を入れた。写真の立て看板もつくった。やっぱ学生運動と立て看板は切っても切り離せない。

 この時はブログもなかったから、この展示を広く告示して、来場者を集めるために、ビラを印刷して、近隣の大学の前でビラ配りをやった。放課後に授業の終わった会員を集めて、拓殖大学、首都大学、日本大学、東京農業大学といった大学の前で千数百枚にわたるビラ配りを敢行した。

 その甲斐もあってか、当日は例年の六倍にあたる300人もの人々が会場に訪れてくださった。本当にありがたい限りだった。他大学からも志しを同じくする学生が集まってくださったし、我々とは思想を異にする創価学会員たちがやってきて論争をふっかけるという出来事もあった。

 この時は三時間を超える大討論会となって、たちまち人が集まって来た。日本による朝鮮併合、大東亜戦争、明治維新の歴史を彼らは侵略的にとらえていたが、僕らはそれに反駁する形で互いに汗を吹くような熱い討論をやったのをよく覚えている。

 祭はやっている最中よりも用意している間が楽しいというが、この時はやっている最中も、終わった後も楽しかった。みんなが一体となって全力を尽くして、何かを成し遂げる青春の喜びを感じることが出来た。

タカユキ
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# by shikisima594 | 2007-07-30 02:19 | 随想・雑記
私的敷島回想録 2
f0018981_233899.jpg 団塊の世代が退職して、いままでの自分の半生をつづった自叙伝を自費出版する人が増えているという。いったいそんなの誰が読むのだろうかと思ったりもするが、この連載もそんなものの類いと思っていただきたい。

 さて、「国士舘大学の民族派系サークル」と聞いたら、みなさんは何を想像されるだろうか。きついヤキ、押忍の連呼、極端な上下関係、先輩命令には絶対服従……

 過去に存在した民族派系サークルにはそうした傾向を持つところがいくつかあったようであるし、実際に自分もそのように想像していた。だから、皇国史観研究会に入るときは、先輩からブチ食らわされるのは覚悟の上だったが、あまりに優しくて人当たりのいい先輩たちばかりで、逆に驚いたのを覚えている。

 これは最初は甘やかしておいて、抜け出せなくなってから本性を表すのかと思ってみたりもしたが、先輩方はずっと優しかったし、そんな猜疑心なんてすぐに吹き飛んでしまった。

 僕が一年生の四月で入会して、四年生の現在に至るまで、先輩方からは飯や酒はたらふくごちそうになったが、ゲンコツやビンタは一度もちょうだいすることはなかった。ただし、礼儀作法については、やはり国士舘の伝統あるサークルらしく、細かく指導を受けた。

 先輩に対する挨拶の仕方、メールでやり取りする際の文章の書き方、電話の受け答えの仕方、道の歩き方、酒席でのビール瓶の取り扱い方、旗に対する態度などなど…

 しかし、そんな中でも先輩の考えに対して、後輩が率直に意見を言えた。キツい上下関係なんてものじゃなくて、かなりフランクな関係があった。そういった意味で、皇国史観研究会というのは、世間一般の人が想像する国士舘の民族派系サークルとは相当に雰囲気が異なりながらも、国士舘の本質に近いサークルだと実感した。

 ここで、当時の皇国史観研究会による学園祭の様子も書いておきたい。国士舘では五月と十一月にそれぞれ学園祭があるが、その準備をする時の会議でも、僕ら当時の一年生も意見が十分に言えたし、しっかりと仕事も任せてもらえた。

 ちなみに僕が一年生だった平成十六年の学園祭企画は、五月の鶴川祭が日露戦争百周年記念展示で、十一月の楓門祭が「日本人受難の歴史」と銘打って、幕末以降の日本が周辺諸国や欧米列強から被って来た惨害の歴史を記した。

 僕の入学する前年の学園祭の企画は、鶴川祭が北朝鮮による不審船に関する展示で、この時は防衛庁(現在の防衛省)からの資料提供を受けていた。楓門祭が 「蛍になって帰って来る 特攻隊の言乃葉」と題して特攻隊に関する展示をやっていた。

 この頃の学園祭といえば、「会場のレイアウトはどうする?」といっても、とりあえず日章旗や旭日旗をデカデカと掲出し、会員のコレクションの銃剣や模造刀を並べるばかりで、「BGMどうする?」といえば、もちろんメジャーからマイナーな軍歌が会場によどみなく流れることになるのがオチであった。とくに戦前のレコードから直にCDに焼き直したのは、音の割れ具合と相まって、かなり危ない雰囲気に……

 あげくに企画のビラを、右翼団体が街灯や電信柱に貼ってあるビラのパロディでつくって貼り出してみたりした日には、会場は閑古鳥の大合唱で、さすがに空しさを覚えたものである。まあ軍歌には詳しくなったから良かったかもしれないが。僕の同期など、ずっと軍歌を聴かされたあと、サイゼリアに飯を食いに行ったら、店内のBGMが軍歌に聞こえたというのだから、その調子が察せられるだろう。

 そこにある先輩がやってきて、「なんだよ。まだ軍歌なんて聞いてんのかよ!?これカケろ」とCDを差し出した。僕はてっきりポップかユーロビートぐらいだと思って、CDプレーヤーに放り込んだ。聞き慣れない古い外国の歌が聞こえて来た。調子のいい感じの歌だったから、シケた軍歌よりはマシだろうと思っていたら、その歌が「ナチス党歌『ホルスト・ヴェッセルの歌』」のであった事を知った時には後の祭であった。

 おかげで、学園祭開催期間中の来場者数が百人に満たないぐらいであった。笑い話のような話だし、実際に笑い話なのだが、これではダメだと思ったのは平成十六年の楓門祭を終えたあとだった。その翌年の学園祭はどうなったのか。それは次回に譲ることにしたい。

 写真は皇国史観研究会の会員バッチである。

タカユキ
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# by shikisima594 | 2007-07-25 23:58 | 随想・雑記
私的敷島回想録 1
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 大学に入学した時に、当時の先輩から「四年間なんてあっという間だぞ。だから悔いの無いようにガムシャラにヤレよ!」と言われて、「いやぁ、四年間は長いっしょ」と内心思っていたら、いま僕が後輩に「いいか、四年間は短いんだから一生懸命、やりたい事とやらねばならない事に全力を尽くして頑張るんだぞ」と酒席で説教していて、ハッとしてしまった。

 いまや自分も四年生として就職活動も終え、大学生活は卒業論文を残すのみとなってしまった。本当に時間が経つのは早いと驚かされるばかりであり、一睡の夢心地のような感がないわけでもない。

 そう考えていると、本ブログの7月8日付けの記事で、僕の一つ下の後輩にあたる彩の国君が、彼なりの回想を記していた。さっと目を通して、彼との出会いや思い出も想起し、いろいろと考えさせられる所が多かった。彼にとっての学生生活と我が皇国史観研究会での活動の雑感を見た時、自分のそれはどうであったのかである。

 もはや自分も大学に留まるのも残り半年無いのである。だからこの機会に、取り留めも無い僕なりの回想をポツポツと記しておきたい。どうでもいい思い出をまとまりなく書いた、つまらない年寄りの昔話だと思って軽く読んでいただきたい。

 僕が国士舘大学に入学したのが平成16年4月だった。僕自身、どうしても国士舘に入りたくて入った学内少数派の一人であった。しかし、入学式で学長が式辞で「みなさんの中には不本意ながら本学に入った方もおられるでしょうが…」とネガティブ極まりない発言をし、あげくに式中に中国のナンチャラ大学の教授に名誉博士号を贈呈するなどと始めて、中国国旗が出て来たからビックリした。

 初っ端から五月病ならぬ「四月一日病」にでもなりそうだったが、そんな僕にとっての一縷の望みは、大学案内に名前が出ていた「皇国史観研究会」なる正体不明のシーラカンスみたいな民族主義サークルの存在であった。

 その翌日、大学の新入生オリエンテーションで、僕は新入生勧誘をおこなっていた皇国史観研究会の先輩方に出会い、その場で入会し、ビラ配りと勧誘の手伝いをし、そこから僕の皇国史観研究会での活動が始まった。

 その時配っていたビラは、牛乳パックをあしらったもので、大学サークル特有のスゴく意味不明でシャレっ気の効いた感じだった。先輩方にその真意を聞くと「牛乳はカルシウムがいっぱいで骨をつくるだろ。戦後、GHQによって骨抜きにされた日本人に日本人としてのガッチリとした骨をつくるんだよ」と言われ、妙に感動した。

 さて、その当時の皇国史観研究会の様子はというと、会員数が約十名。そして正式な会員じゃないけど、会の周辺をウロウロしている愉快な仲間たちがこれも十名くらいといった感じで、それぞれ高校時代にやっていた事といえば、野球、ラグビー、ボーイスカウト、水泳、弁論、剣道、柔道と全くバラバラ。

 國士舘といった感じの蛇腹に角刈りの硬派な先輩もいれば、国民服を「正装」といって着てくる風変わりな先輩もいれば、ネオナチのファシストもいれば、小林よしのりを少し読んだだけの者も、女の子も、秋葉系も、軍事マニアも何でもいるような人種の坩堝であり、驚くことしきりだった。

 その頃の皇国史観研究会の特徴としては、掛け持ちが多かった点である。活動が月に一度の土曜日に二時間程度の勉強会をするだけだから、みな時間を持て余して他のサークルに名を連ねている場合がほとんどだった。登山、空手、応援団など体を動かすサークルが多かった。

 逆に皇国史観研究会にだけしか藉を置いていない者が「専従活動家」と呼ばれて珍しがられるぐらいで、かく言う自分も他の武道サークルで汗を流していたのである。そういった兼部率の高さのせいもあって、他のサークルの予定が入ったら勉強会に欠席という場合が多かった。とくに勉強会が週末だったため、他サークルの試合や行事が入りやすく、行ってみたら2、3人という冗談のような事があったりもした。

 しかし、その反面で人的交流の広さは今以上で、なにか行事があれば相当な動員が出来た。例えば、僕が入学してすぐの平成16年5月29日に町田市立総合体育館で「北朝鮮による拉致問題パネルティスカッション 」という五千人規模の大集会があった。これに国士舘大学からは皇国史観研究会などが中心となって60人ぐらいの学生を諸サークルから動員して会場の設営と警備をやった。

 さらに7月には皇国史観研究会などが中心となって青梅の河川敷でバーベキュー大会をやるのが毎年恒例行事になっていて、これにはいくつものサークルからいろんな学生が参加してワイワイやるのだから、兼部も捨てたもんじゃないなと思ったりもした。(写真はその時の集合写真)

 そんなこんなで僕の皇国史観研究会一年生としての夏がやってきたのだが、続きはまた気分が向いたら書く事としたい。

タカユキ
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# by shikisima594 | 2007-07-23 23:01 | 随想・雑記
世界の言語国粋化運動
 日本語を大和言葉で、というのは私が以前から主張してきたことであるが、実は私以外にもそのような事を考える人々がいる。とはいっても、これから紹介する同志たちは、私たちの民族の者ではない。
 言語の純化という運動は、体制派にしろ国民の些細な運動にしろ、世界中あちらこちらで試みられてきた事である。その際、重要な事実として、これは全く平和的な運動であったことをお知らせしておきたい。というのも、言語純化というものは、その言語を話すものにとって、消極的な反対こそあれ、内戦を起こしてまでそれに反対する正当性など無いのである。然るに、それに対する反対というものは、唯一その運動に対する何とない反感や興味のないところによるのであり、なべて保守主義的な反応である。

 ドイツ人の諸邦において、三〇〇年前に生み出された民族語協会は重要な歴史要素である。その会は、フランスなどの言語教会に刺激されて生まれたものであることは疑いようが無いが、現在のドイツ語にも若干継承されているフィリップ・フォン・ツェーゼンの造語は、まさしく彼の国語純化の意思によるものだった。
 ナポレオンのもたらした普遍主義が、ドイツ語の標準語創設と純化および発展を志した人物を生み出したことを最近知った。ヨアヒム・ハインリヒ・カンペは、ジャコバン派の博愛主義者の一人で、数多くの言語純化論者の中でも黎明期に位置する言説を持つらしい。彼は二五〇年ほど前に人物であるが、ドイツで本格的にそれらが始まったのは二〇〇年ほど前である。

 アングリッシュといっても、ご存知の方は少なかろう。これは、最近起こっているアングロサクソン語たるイングランド語を純化しようという運動であり、その言語である。合成語が多いが、ドイツ語のようにてにをはを取り込んで単語化しないため、冗長な熟語が多くなる傾向にあるようだ。だが、大半はそのような置き換えと、若干の造語で済む事が分かっている。どうも、英国でなく、オーストラリアで始まっているらしい。

 アイスランド語は、屈折語の特色で、名詞が格変化により若干異なるだけで文法的表現になる。このため、新しい単語でも既存の言語体系の延長である事が望ましく、そういう必要性から体系的に全ての語彙をアイスランド語化している。ちなみに、北欧神話の経典とも言うべきエッダはこの地にあったのであり、ここは明らかに北欧の純粋な文化を保っている。
 最近では、ハーフロンスカと呼ばれる運動があり、上記の体系にもれた外来語や、なかには固有語さえも約しようとしているらしいが、参加者はすこぶる少ないそうだ。かの国ではメディアが面白がって話題にするという。満洲のハルビンはÁrbakkaborg、ハワイイの島々はStórdyngjueyjar、日本からは広島がBreiðeyjarhöfn、本州はHöfuðey と訳された。

 以上にあげたのは、言語学上全て印欧語族ゲルマン語派に当たるが、勿論他言語も例に取ることができる。

 イスラエルは、知ってのとおり宗教を基礎としたユダヤ人の国家である。しかし、そこには常にヘブライ民族のナショナリズムがあった。ユダヤ教にとって、ヘブライ語は実は神学的に大して重要ではない。勿論優先的ではあったが確たる証左も無く、言語は任意の選択がなされて構わなかった。そして、イスラエルの建国当初まで、ヘブライ語は教会の一部でしか用いられる事のない、全く日常からは乖離していた言語であった。ところが、ロシアから帰還したエリエゼル・ベン・イェフダーは、驚く事にほぼ独力で古典語の現代交互化を図り、彼の息子は、約二千年ぶりのヘブライ語母語話者となった。その後ヘブライ語は、国内の全てとは言わないまでも、現在までに順調に母語話者を獲得しつつある。その発展には、支配的な英語や、ユダヤ・ドイツ語(イディッシュ)からの借用語を常に翻訳している。

 ケマール・アタテュルクがはじめたトルコ語の純化運動も有名な例である。
 中世までに、様々な民族の入り乱れていたアナトリアをはじめとして、トルコ人の定着は終わったが、この時彼らはイスラームを受け入れるとともに、イスラーム文明に支配的なアラビア語とペルシア語も受け入れなければならなかった。
 ところで、ペルシャ語もアラビア語に影響を強いられていたが、ペルシャ語は母音が基本的には六つあったのに対して、アラビア語には三つしかなく、母音をあらわす文字があるものの、ほとんど表記しないという特徴があった。然るにペルシャ人は苦労を重ねていくつかの記号をアラビヤ文字に加え、正書法を編み出したが、後のトルコ語は母音が八つもあったし、母音調和の法則性が整った母音主体の言語だった。中世以降、トルコ人たちが王朝を創設するにつれて、トルコ語の支配的な位置も上昇した事があったが、雅語として発達したオスマン語でさえ、五つの文字に母音表現を押さえ込み、しかもその法則性はかなり怪しく、そのうちの三つの文字はア音エ音をあらわすことがあった。こうした事情から、民間にも広く書けるようにする際は、トルコ語の表記体系が母音字を多く作り出す事が必須である事は疑いようが無かった。ケマールはこの事とあわせて、脱亜入欧を地で行く欧化政策の一環として、ラテン文字を取り入れた。そしてその際、純化は主に、イスラームの高級語彙を言い代えしようとして行われたが、各地の方言や大陸中のトルコ系民族をたずね、音韻法則をあわせてトルコ語を磨き上げた。しかし、高級な権威語はどうしてもアラビア語やペルシャ語に寄らなければ格好が悪いという保守的なイスラーム学者の批判は正当なものであった。これは、日本語にもある傾向だが、今でも高級語彙には、他の文化の影響が強い。権威語は、日常と響きが違う方が扱いやすいのである。そこを外来語に頼るよりも、自国語の古典語に頼った方がよい。トルコ人と日本人は、偶然にも同じ失敗をしている。

 北朝鮮では、朝鮮語の固有語をもとにした造語が盛んにもてはやされた事があり、民族の始祖タングンを祭る近代創生のチョンド教あるいはデジュン教の運動と結んだ事もあったが、これは後に失敗してしまったそうだ。これは主体思想に一環であったらしい。私の読んだところでは、例えば産業の「業」などは、これに変わる表現が無いから残さざるを得ないとして、早々に諦めてしまっている。これは実に残念である。彼らは言語の純粋化とともに、民衆化を推進したのであるが、この基準は相互によく矛盾する。
 南朝鮮の、漢語も全てハングルで表記するようになったことで、外見上外来語がなくなったように見えるからといって全然見向きもしなくなるようなことでは全然軽薄といわざるを得ない。

 ムネカミ
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# by shikisima594 | 2007-07-21 23:59
怖いぞ!中国製電化製品
 これまで、散々中国製の食品の怖さを取り上げてきた。
 最近では、具に段ボールの入った肉まんが売られていたという報道がなされもしたが、中国産の物で怖いのは食料品だけだろうか?

 今月の11日に、中国商務部の王新培報道官は、中国の輸出製品の品質と安全性について、輸出製品個別の問題を全体に関連させるべきではない述べた上で、「このように大量の商品が輸出される中、契約ごとに輸入相手も輸出元の中国企業も、規格や品質などの各方面で合意した上、厳格に取引を行っている」と発言した。

 しかし、13日には来日中のハーガン米厚生副長官代行が、安全性に問題のある中国製品への対策を強化するため、日本との協力を推進することで一致したと明らかにし、両国当局は中国製品の情報交換などを進めるとした。

 これは、食料品が主な情報交換の対象とされているが、食品以外の製品も含まれている。
 そもそも、中国製の電化製品はどれくらい怖いのだろうか?実例をいくつか紹介しよう。

 今月の17日に、米消費者製品安全委員会が懐中電灯や子ども靴など6つの中国製品について販売業者らが自主回収を始めたと発表したのだが、このうち懐中電灯では、松下電器産業の「パナソニック」ブランドと偽った内蔵電池が発火、手にやけどを負う被害も報告されているという。

 自主回収がこの日発表された8製品のうち、中国製が6製品を占めており、問題の懐中電灯は4400個が流通し、発火事故が2件報告されているそうだ。

 他の商品に関しても、人気キャラクターをあしらった子ども靴は留め具が外れる恐れがあるとされたほか、高濃度の鉛を含む子ども向けイヤリング、電子レンジなどが回収対象となっている。

 これは、米国での事例だが、日本にも次のような事例がある。

 今年の4月に、TOTOが1999年3月から2001年12月までに製造した温水洗浄便座一体形便器(ウォシュレット便座)Zシリーズの無料点検・修理を発表したのは記憶に新しい。

 このZシリーズという機種において、発火して焼損した事故が3件、煙が出た事故が26件発生していたという。

 その原因は、1999年3月に日本製から中国製に切り替えた端子部分において、メッキの密着不良があり、使用を続けるうちに振動などではがれて通電性が悪くなり発熱、発火にいたるというのだ。

 しかし、中国政府はこの事を日本側の誤報と決めつけ、部品に問題はないと発表した。更に、後日TOTO自身が品質管理に問題があったと発表している。

 まるで、中国から言わされたかのように個人的には思えてならない。

 ただ問題は、これらの品質管理だけではない。
 日本の自動車産業は、中国に沢山の工場を展開しているが、ホンダ等の日本車や韓国の現代(ヒョンデ)モービスの自動車のパーツ等を模造しているという話がある。

 今年の五月に開かれた、上海モーターショーにて現代の関係者が、バイヤーを装って「現代・起亜(ヒョンデ・キア)車のエンジンとミッションを作れるか」と中国部品業者に尋ねると、相手は「もちろん作れる」と答えたという。

 このモーターショーでは、この韓国企業の自動車にそっくりな物が展示された他、日本の三菱やホンダの製品にそっくりな自動車も展示されていたという。

 また、韓国のあるコンデサー製造業者では、北京に支社を開設してから、クレームが多くなり調べてみたところ、そのコンデサー製造業者と10年間も取引をしていた中国のバイヤーが流通元だったという。

 現在、日本の企業は安い人件費と豊富な被雇用者を求めて中国に多数の工場を進出させているが、結果として問題のある製品を輸入し、中国側には日本の技術が漏れているように思えてならない。

 確かに、安い商品は魅力的だが、より安い悪質な模造品や海賊版で市場を奪われていては、元も子もない。日本の企業は、もっと“作り手”を選ぶ必要があるのではないだろうか?

 文責 洗国

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# by shikisima594 | 2007-07-19 23:35 | 随想・雑記
七月下旬の行事告知
「男たちの国防論Vol.4」
《国防論から考える政治の在り方とは!?》

これからの時代、右翼も左翼も政治家も関係ねぇ!!この国を いったい誰が守るんだ! ?民族派・新右翼を代表する熱き男たちが熱く語る!!

第一部:戦後の混乱期から新左翼華々しき日々を見てこられた方々から観た国防論なき「政治」について。

第二部:針谷議長をはじめとした実践活動家から、現代の政治のあり方を検証!

【出演】
針谷大輔(統一戦線義勇軍議長)
【ゲスト】
鈴木邦男(一水会顧問)
犬塚哲爾(八千矛社代表)
舟川孝(愛国党総隊長)
丸川仁(大行社中央本部長)
福田邦宏(防共新聞社社主)

日時:7月20日(金曜日)
   Open 18:30 / Start 19:00
場所:新宿ロフトプラスワン(新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2)
料金:¥1,500(飲食別)

______________________________________

第7回国体文化講演会
「人類文明史に於ける昭和時代」~聖天子の御生涯を仰ぐ~

日時:平成19年7月25日(水)18時開場18時半開会

会場:中野サンプラザ8F 6号室(03-3388-1174)

交通:JR中央・総武線・地下鉄東西線 中野駅北口徒歩1分

講師:中島英迪(国際総合研究所代表)
著書に『よみがえれ日本!』『日本人よ目を覚ませ!』等いづれも大雅堂「爽やか通信」シリーズ。『大東亜戦争の真実』國民新聞社

主催:日本国体学会(代表 河本學嗣郎)
〒180-0014
東京都武蔵野市関前5-21-33
電話0422-51-4403 FAX0422-55-7372
Eメール aek06130@nifty.com

入場無料
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# by shikisima594 | 2007-07-16 03:16 | 告知
「愛国」の条件
 以前に、ネットだったと思うが、政治思想診断のようなものがあって、暇つぶしにやってみたことがある。「皇室の存在に賛成か反対か?」、「高所得者に重い課税をするのは賛成か反対か?」「日の丸・君が代に賛成か反対か?」…そんな質問に答えて行くものだった。

 すると、「南京大虐殺はあったと思うか?」だったか、「従軍慰安婦はいたと思うか?」という質問がでてきた。もちろん、自分の思う所を答え、診断結果は「強度の右翼・保守派…愛国心が強い」というような結果がでたわけである。

 しかし、あとになって、この前述の設問には違和感を感じざるを得ない。皇室の存在に賛成か反対か、あるいは国旗・国歌に賛成か反対かが思想的保守性の物差しになるのは頷ける。それにひきかえ、南京大虐殺や従軍慰安婦の有無が愛国心のバロメーターになるのはおかしい。

 なぜならば、皇室の存在に賛成か反対であるかは、純粋に思想・信条・イデオロギーの問題であるが、南京大虐殺の有無は歴史的事実関係のみの問題であり、実証的な歴史考察にはイデオロギーの介在する余地はないはずであるからだ。

 「天皇制打倒」という者が左翼、「 天皇陛下万歳」というものが右翼というのは、事実であろうが、「南京大虐殺があった」という者が左翼、「南京大虐殺はなかった」という者が右翼と定義され、実際にそのような思想傾向に属する者達が、そのように考えている所に、この国の思想というものが、陣営・党派の言説によって修飾されて、あらかじめ引かれたレールの上を走るような味気なさと限界があるのではないか。

 「子供たちを二度と戦争に送り込まないよう、偏狭な愛国心を持たせず、地球市民として育てるために、かつて日本軍が中国の南京でおこなった蛮行を教える」と意気込むサヨクな人々。

 あるいは「反日勢力が日本の子供たちから愛国心を奪うために、大嘘の南京大虐殺を教えているのは許せない。日本軍は軍規厳正で南京では一切、虐殺をしなかった事実を教えて、愛国心を取り戻させよう!」と頑張るホシュな人達。

 このような議論が、それぞれの“論壇誌”で喧々諤々に戦わされるのであるが、端から見ていて、なんという些末な事に執着しているのかと思ってしまう。南京大虐殺の有無が、「愛国」の条件になるのであれば、「愛国」という概念は実に矮小なものである。

 南京大虐殺があっただけで嫌いになれる祖国。南京大虐殺がなかっただけで愛せる祖国。いつから我が国は、そんなアメリカや中共支那のような、薄っぺらい国になってしまったのだろうか。右も左も、この国には2000年以上におよぶ歴史があることを認めている。

 その歴史の中には、さまざまな栄光の歴史も、流血の歴史もある。その中のひとつひとつをあげつらって、祖国を愛せるか愛せないかと判断できてしまえる人間は、大河の流れのような我が国の歴史に根ざさずに、本の中だけに結論を見出す早とちりな人である。

 ここでは南京大虐殺や従軍慰安婦の有無については論及しない。かつて自分もその有無には多大な興味を持ち、多くの人々と白熱した討論を戦わせたりもしていたが、いまは特にあろうがなかろうが、さして興味がないのが本当のところである。

 みなさんのご両親や子供を、あるいは親友と呼べる人を思い出していただきたい。その人達にはそれぞれ、素晴らしい長所がある。同じように欠点もある。それに対してみなさんが取っている態度はどうだろうか。

 素晴らしい長所があるからといって、一部の欠点を見て見ぬ振りするわけでもないだろうし、ましてや一部の短所があるからといって、その人の全人格を否定するわけでもあるまい。長所や欠点を含めて、その人を思いやって付き合っているはずだ。

 それは祖国に対しても同じではないか。南京大虐殺の有無で喧々諤々やっている左右論壇とは関係なく、圧倒的大多数の日本人は、慎ましく、この国を愛して生活しているはずだ。愛国心と些末な歴史論争は別次元にあり、歴史の一事象に対する評価が、愛国心の条件にはなり得ないはずであるのだ。

 それを愛国心と歴史事実を無理矢理に結びつける風潮から、我々はもっと自由になっていいと思うのである。

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# by shikisima594 | 2007-07-14 23:55 | 随想・雑記
中国食品を信頼するな?!
 今月の10日に北京で中国の食品管理に携わる農業省、衛生省、国家工商行政管理総局、国家品質監督検査検疫総局、国家食品薬品監督管理局の政府5部門が共同記者会見を行ったが、国家品質監督検験検疫総局(質検総局)輸出入食品安全局の林偉副局長は「中国の輸出食品の合格率は99%以上だ。このところ食の安全が問題になっているが、中国政府としては楽観している」と強調するとが、国家食品薬品監督管理局政策法規司の顔江瑛副司長は「食品や医薬品の安全性を監督するメカニズムは少しずつ整備されているが、まだ完全とは言えず、楽観できない」というまとまりの無い内容だった。
 更に、「中国は発展途上国であり、安全・監督管理のスタートが遅く、基礎は相当に弱い」という発言があり、関係各国の協力を希望している。
 やはり、北京オリンピックの影響もあるのだろうが、中国にしては珍しい会見となった。
 しかし、この会見で「政府のホームページで違法企業のブラックリストを掲載し、輸出を禁止する措置を取った」と語っているが、その取り締まりの効果には疑問を抱く。
 風邪薬の原料として有害物質が輸出されていた件で、確かに輸入した側のミスもあるだろうが、責任を一方的に押しつけた国である。
それに、ブランド商品の海賊版が未だに出回っているという話を聞くと、信頼性に欠けてしまう。
しかも自分たちは棚に上げて、今年の6月29日に米食品医薬品局(FDA)が中国産ウナギなどの魚介類の輸入制限を発表したことに対して、国家質検総局(国家品質監督検験検疫総局)の李長江局長は「米国から輸入した食品が品質検査で不合格となるケースが相次いでいるが、中国政府は両国関係に鑑み、適切に処理してきた。個別の中国企業が米国に輸出した魚介類の品質で問題が存在したのは事実だが、中国産魚介類を狙い撃ちにした今回の措置は受け入れられない」と文句を言い、同月30日に国家品質監督検験検疫総局(質検総局)は米国とフィリピンから輸入した6種類の食品が安全基準に違反したとして、製造した会社名や製品名等を公式サイトで公開し、いずれも輸入中止としている。
 一応、今年の5月までに180ヶ所余りの違法な食品加工工場を摘発して、約32億円に匹敵する食品を没収したというが、つい最近までの違法な食品(主に農作物を下ゆでした物等だが)は何だったのだろうか?
 中国国内でも食品の安全性に疑問符が持ち上がっており、今月9日の北京紙『京華時報』では多くの飲料水販売店で、水道水をミネラルウォーター等と偽って販売していると報道した。
 これに対して今回の会見では、この問題が存在する事を認めたうえで、当局が今年5月に実施した北京市内の飲料水販売店の抽出調査では合格率が96・9%だったとしている。
 今後はこれらの違法販売店を取り締まるようだが、「個別の販売店の行動」であるとしている点が気になる。
 果たして、一度取り締まりを行った後も、定期的に取り締まりを行ってくれるのだろうか?
 一度だけの安全確認で中国政府が満足してしまうのであれば、それは中国の自己満足に過ぎないと私は思う。
 日本国内の税関にも問題はある。
 厚生労働省名古屋検疫所(名古屋市港区)は今月10日、食品衛生法で定められている残留基準を超える、殺虫剤が検出された中国産‘しょうが’約2万4640キロの検査結果を誤認し、輸入を認める通知をしたと発表した。
約1万9600キロは倉庫に保管されていたが、残る約5040キロは愛知県内に流通した可能性があるそうだ。
同検疫所は「継続的に摂取しなければ健康被害はない」としているが、厚労省によると、残留基準の検査を誤認し流通させたのは全国で初めてだという。
同検疫所によると、今回の中国産‘しょうが’を輸入したのは大阪市の輸入業者で、先月7日に同検疫所が殺虫剤BHCの検査を命令。民間の検査機関で残留基準(0.01ppm)を超える0.04ppmが検出された。
 ところが、検査結果を受けた同検疫所の担当者2人のうち、1人は基準値を0.1ppmと記憶違いし、もう1人は検査結果を0.004ppmと誤認。輸入を認める通知を出した。
今月9日になって、輸入業者が違反に気付き、同検疫所に通報。流通した‘しょうが’はすでに消費された可能性が高いという。

この様な状況で、本当に中国産の食品を食べても大丈夫なのかは、非常に疑問に思え、出来る事なら中国産の食物には口をつけたくないと思う。
しかし、国内の食物自給率がどうにかなるまでは、中国産の食品とうまくつき合わないといけないのかもしれない。


文責 洗国

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# by shikisima594 | 2007-07-12 22:24 | 随想・雑記