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文化の浸食を直視せよ!
対談参加者
タカユキ@皇国史観研究会代表
ムネカミ@皇国史観研究会々員


タカユキ 今日は「文化の侵食」ということで、話してみたいと思います。それでは、よろしくお願いします。

ムネカミ こんなイメージは一昔前のものになってしまったかもしれませんが、アメリカ人はみんな金髪碧眼で、カウボーイ姿で、みたいな話しがありましたね。

タカユキ 一昔前だけど、確かに日本人の中にはそうしたアメリカ人像があるね。

ムネカミ こういうのは「典型的なイメージ」として、今嫌われている感じがありますが、食の世界から言えば、結構生き残ってるみたいです。朝鮮料理といえば、焼肉にキムチ。アメリカ人ならハンバーガー。では、メキシカンといえば?

タカユキ タコスだっけ?

ムネカミ そうですね。とうもろこしの粉をひいたパンみたいなものに、サラダを乗っけて食べてます。当たり外れ結構ありますが、良いところにいくとうまいんですよ。

タカユキ ガストのはイマイチだなぁ。

ムネカミ (笑)それでです、こんな風に異国の有名なものだけをみて、それでその国の人が全部そうなんだといったら、やっぱりそれは偏見なんですよ。
じっさいには、韓国人はハンバーガーがないと生きていけない人たちもいますし、メキシコにも日本料理店はあります。というか、日本にだって日本食というものがありますが、どうでしょう?毎日和食で暮らしていますか?

タカユキ その事象に対する無知の中で、唯一の知識の断片が、その事象を端的に表象するものであるという概念が形作られてしまうのは、どこの国にもあるね。
実際に僕自体も毎日和食は食わないよ。和食でも洋食でもないような、有り合わせの物を混ぜたような?(笑
みんなから「てめぇは何てもの食ってんだ!」って言われるけど、貧乏学生の日常生活ですよ(笑

ムネカミ そうですか。ぼくは実家通いなんで、しっかりした食べ物にはありついています。(笑) とはいっても、うちは外国料理をよく作る家庭で、和食にお目にかかることはほとんどないんです。

タカユキ 外国料理かー、こないだ神田で「アフガニスタン料理」ってのがあったけど、そうでもない限り、外国料理って感じは薄くなっているな。支那料理にせよ、洋食にせよね。

ムネカミ そうですよね。そりゃあぼくらが毎日和食を食べるなんてことはないでしょう。けれども、それにしても町から和食が遠ざかっていませんか?ハンバーガーのチェーンがあるんだから、おにぎりのチェーンがはやったって良いわけじゃないですか(笑)

タカユキ むしろ、日本の食べ物が「和食」って言われるあたりが、他国の食文化に押されているように感じるなぁ。

ムネカミ そうなんですよ。「和食」っていうとそれがもう、数ある選択のうち、一つでしかないみたいな。

タカユキ 当然のもの、ではなくなっているんだな。

ムネカミ でも、そういうのを突き詰めていって、例えば中国人だってハンバーガー食べるから、「中華」料理なんてないとかいえてしまうわけですよ。

タカユキ 世界規模で「食」のグローバリズムが起きていると?

ムネカミ そういうことですね。でも、それは食に限った話じゃあないんですよ。
だってそんなこといったら、わが国はどうなるんでしょう。確かに日本にある料理はそうして、どんどん「世界化」というか「普遍化」というものが進んでるんです。じゃあ、建物はどうでしょうか?
建物にも日本らしさは出ます。例えば出雲大社と東京都庁、どっちが和風ですかといわれたら、答えは決まってる。

タカユキ そうだね。建物も、岐阜の白川郷とか、京都の町並みが観光対象となるんだから、一目瞭然だね。

ムネカミ そうですよね。ところがです、いまの「日本らしい建物」といったら、どっちを選びますか?

タカユキ 現時点においての、日本らしい建物か…言ってしまえば、出雲大社は千年以上前で時間が止まっているからなぁ。

ムネカミ なるほど。確かに文化には新しい流れも古いのもあります。しかし、都庁とこないだ崩されたツインタワーを比べてみてください。そこにその国「らしさ」というのが感じられますか?
おそらくそんなことはないでしょう。そこに大社を持ち出したら、どれがその国の「らしさ」 を出しているかといったら、大社になることでしょう。同じことを食の世界で考えてみてはどうでしょう?
「ハンバーガーは日本的」か? そんなことないですよね。そうして外国のものが、あちらこちらの文化を壊していってるのは間違いないことなんですよ。

タカユキ 世界的普遍性を持つ、異質なものが、その国の歴史的な存在に取って代わっている。

ムネカミ そういうことですね。でも注意しなければならないのは、それはおっしゃるように「取って代わって」いるんです。どんどん定着してしまう。
想像してみてください。もし、日本料理、日本絵画、日本の陶器などがなくなったとしたら、日本というものはどうなるでしょうか。 「まわりと変わらない」ものになってしまうのではありませんか?

タカユキ そうなれば、我々はどこに日本的なるものを求め得られるのか、という深刻な問題に直面するね。現に音楽CDだとかゲームの表紙やサイトなんかは、一体どこの国のものなのか分からなくなっているよね。

ムネカミ ええ、何せよ「我々のもの」がなくなってきていることは間違いないんです。ここで注意して欲しいのは、僕がいま話題にしてきた「らしさ」というのは、おおむね「美術様式」のことなんです。 これが全部なくなったところで、日本はまだあるでしょう。
倫理・道徳観・宗教観なんかが残れば、日本は残せます。単純なナショナリズムだってそうです。それに、例えば西洋絵画をやる人にだって、ナショナリズムくらいあるでしょう。神話を舞台にして絵を書いていらした方もいらっしゃいました。

タカユキ 倫理観、宗教観、道徳観、それらの核となられる 皇室が存在される限り日本はあり続ける。しかし、我々の持ち得る「日本的」なる物が喪失し続ける現状は止まらないわけだ。

ムネカミ 同じことは世界中で起こっていますが、これは要するに、美術がナショナリズムと関連していた、ということの証拠でもあると思うんです。
とくに、五感で直接感覚できる固有文化、僕はこれを「風文化」と呼んでいます。「和風」「洋風」の「風」です。これが、結局美術としてのその国のあり方をあらわしているんだと考えるわけです。

タカユキ 君は美術の定義が広いね。いまはこんなんだけど、僕は昔々美術部だったんだよ。そんときはキャンバスにどうやって世界の一端を描き出すかってことしか考えなかったけど…昔の話だ(笑
君の言うような、そうした民族や国民性から湧き出た、固有の芸術や創造物に囲まれて、我々の祖先は感性を育まれてきたわけだ。
そして、今はその美術が、感覚的に感じ取れるナショナルなものが剥ぎ取られて、その国らしさを失いつつある。まぁ、盛り上がって来たけど、今日はこの辺で…

ムネカミ どうもお疲れさまでした。


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by shikisima594 | 2006-03-09 23:48 | 対談・座談会
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