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 多極化について書いたが、この折にここにも意見したい。

 今、たとえアメリカに対する反動としてかどうかはともかく、多極化が起こっていることは間違いない。前回あげた、アメリカへの反動とは、「中東民主化構想の破綻」、「南米の社会主義的方向への転換」、「保守的な欧州の政治的統合と米国離れ」「中華人民共和国の発展」「ロシアの経済成長」「アセアンの政治的進展」
などである。ここに、もうすこし加えて、世界の多極化の構造を浮き彫りにすることができる。このブロックは、「欧州」「ロシア」「アラブ」「南米」「シナ」「インド」「東南アジア」に「アフリカ」である。

 各国では、先のブロック化時代を予期してか、それぞれ政治的にある程度緊密になろうとする動きがあって、一方ではその阻止に躍起になる国もある。

 アメリカは、アジアやアフリカで政治的な統合が進むことを阻止し続けてきた。それが、長く日本が加わる経済的交流組織にアメリカが入ってきた理由である。アメリカは日本国内の経済をこの時期に植民地化した。しかし一方で日本自体は、この干渉に毅然と立ち向かうつもりは毛頭なかったらしく、この干渉に甘んじ続けている。そして、現段階では、更に問題は複雑化している。東アジア諸国がこれに加わったのだ。

 現在、東南アジアのアセアンブロックは、主体となっている東南アジア諸国が、ほぼ総意と表現しうる立場で日本の参加を臨んでいる。日本がこれに加われば、食料、鉱山資源から精密工業製品まで作れる一大経済体制が出来上がり、アセアンの諸国はこの体制を心待ちにしていた。しかし、いざ会議が始まったとき、立ち入ってきたのが覇権国家中共と韓国である。後者の場合、どうも国益云々より日本の加盟ということに咬みついてところが見て取れるが、周辺諸国においていかれるのが心配であったという要素も十分考えられる。しかれば、中共が更に大きい問題に挙げられる。

 一体かの国が、この経済ブロック構想に関わろうとしているのはなぜか。おそらく、アジア制覇のためである。表現が大げさになったかもしれないが、かの国の経済に取り込まれた場合、いつ我々が「中華大家族」に纏め上げられるか知れたものではない。だから、あながち過ぎた表現でもあるまい。この発想は、かつての大東亜共栄圏の理想とあまり変わらないものであることが知られているが、マルクス思想を軸に考えている点から、明らかに他の文化に対して冷酷であるといえる。

 この覇権国家の台頭を、日本はほとんど無防備といってよい状態で対処しているのである。この現状を知れば、本来の国家であれば対抗するなり、締め出す工作を行ったりするのが対処するのが普通の国家である。日本が外交に指針が無いといわれるのはこのためである。

 しかしながら著者の場合、かかるありきたりな主張にも、問題を見出すものである。何も全く革新的な発想をするのではない。端的に表現して、一体何故日本ほどの技術力と経済力を持った国が、今後の超大国として軸を一個形成することを考えようとしないのか。超大国としての国家戦略、つまりイデオロギーの整理が必要と目することが、当面の著者の主張である。

 散々お目にかかったろうから、みなまで書かないが、我が国は、三千年来の八紘一宇或いは八紘為宇の思想がある。しかも明治新に民族の自覚に目覚めた我が国は、大東亜戦争にこの流れをついだ思想を以て戦っている。「有色人種解放」「抑圧下にあるアジア民族解放」、それこそが、世界を大御心のままに平和に導く唯一の手段であった。
 しかしながら今日、アジア民族の最も典型的な抑圧者にして、かつての日本は周辺諸国からの篤き支持にもかかわらず、帝国はこの覇権国家に周辺諸国の長役の座を易々明け渡そうとしているのだ。北京人が今尚続ける侵略は許されざるものである。上海から上海語を奪い、雲南諸民族の土地を奪いとり、モンゴル人の住居をあらし、満洲人をひざまずかせ、あまつさえ、チベット人を根絶やしにしようと画策しているのである。それにもかかわらず、我が国は更なる被害拡大の恐れを放置しかねない。

 果たして、この怠慢はどういうわけだろうか。そこに明らかな義があり、そこに我々にしか救えない者がいるにもかかわらず、せざるというのか。この現状では、勇無きというより心なしとしたほうがむしろ近かろう。

 著者には、民主主義や市民主義の拡大といった西洋普遍混同の思想が、全くつまらないという主張も大変重要である。かく地方的な問題と思われる際でも、やはり我々は西洋に足を引っ張られ続けている。この視点の普及は、容易とは思えない。
 しかしながらそれ以上に、我々は結局自らに沸き起こるものがあまりにも少ないことを暴かなければならない。しかも、あらゆる面においてその弊害は、我々の無知と無関心に因っていることを皆に知っていただかなければならない。当面、我々は周知につとめることが課題といえるだろう。
 我々の主張は、他者への批判よりも先に、身から起こり出でなくてはならないのだ。

 ムネカミ

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by shikisima594 | 2007-01-12 23:59 | 随想・雑記
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