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硫黄島遺骨収集記 第一回
 かつて大東亜戦争中に歴史の残るような激戦がおこなわれ、去年はハリウッド映画にもなった硫黄島の遺骨収集に皇国史観研究会の有志会員が参加して来ました。先日、その会員がおかげさまで硫黄島から何十柱もの英霊の御遺骨をともなって本土に無事かえってきましたので、以下に有志会員によります報告を掲載いたします。

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 私が硫黄島へ行くこととなったきっかけは、ほんの些細なことであった。
 平成十八年の夏に学校の先生や先輩から遺骨収集事業が展開されていること、学生の有志が参加できること、そして事業に対して政府側が打ち切りを望む声を漏らしていることなどを聞き、遺骨収集に興味を持ったのだ。同時に参加を希望したのだが、学業面での懸念や親の反対を受けて、今しかないのにとは思いつつも申し込みを見送ることとなった。

 そして今年の一月に再度その話しを持ちかけられた。前回の派遣は時期的に様々な問題があり興味を持つに止まったが、今回は学校が長期休暇の時期、私事に何があるわけでもなし、両親も渋る表情を見せつつも許してくれたので、今こそと言わんばかりに参加を申し込んだ。補足するが、硫黄島の遺骨収集は年間で例えば「平成十八年度第一次~第三次」といった具合に何度かに時期を分けて行われている。私が参加したのは十八年度の第三次派遣だ。

硫黄島へと旅立つ前に硫黄島の歴史や人骨に関しての勉強を行った。実際に最前線に立って作業を行うのは基本的にベテランの方々のみなのだが、英霊の御遺骨の収集に携わる者が余りにも知識に欠けていれば、なんと言うか格好がつかないからという配慮からか、それなりの知識をかじってから現地へと赴くしきたりとなっている。実際に骨格標本を自分たちで人型に組み立てるなど、学校の教養科目よりもよっぽどそれらしいことができた。

いよいよ出発の日が近づくにつれて士気が高まる。出発前日、私より一週間先に現地にて作業を行っている方々からはここ十数年ぶりに見る大規模な壕を掘り当て、その中に多数の英霊の御遺骨が眠っているとの報告をうけた。先発の団員のかたは冗談交じりに「まだまだ沢山あるから、お前たちの分も残しておいてやるぞ」などと言っているが、作業時間が延長されるなど、現地は大忙しらしい。私にもきっとお役に立てることができると思うと、出発の日が本当に待ち遠しかった。

出発当日、自衛隊の輸送機(C-1だかC130だったか忘れたが、確かそんな名前だった)にて硫黄島航空基地へと向かう。埼玉の入間基地から厚木基地経由で硫空基地という経路をたどるのだが、座席の座り心地が悪く、兎に角エンジン音が五月蝿い。入間から厚木までのほんの十分チョイの飛行だけでもう耳が痛くなる程だ。現地到着時には少し疲れてしまい、我ながら「出発前の心意気や何処に」と情けなくなった。しかし輸送機から降り立てば、視界は一気に広がり、障害物が何一つ無い地平線から吹き荒れる強風と、内地よりも高い位置から降り注ぐ太陽光が何とも言い難い爽快感をもたらしてくれた。余りにも清々しいので、不覚にもここに遺骨収集に来たことを一瞬忘れてしまったことを鮮明に覚えている。

さて、到着後間も無く私の班の者は今回の活動で今まで収集された御遺骨の安置室へと案内された。日の丸の旗の下に並べられた数多の白い箱の中には三十柱の英霊が何も言わずに帰る時を待っているという。それを目の前にして、思いのあまりに泣き出す者もいた。私は泣きこそしなかったが、やはりとても重い気持ちになった。今は英霊と呼ばれる方々は、約六十二年前の此の地にて、日本を滅亡から守るという大義の為に二つと無い命を鴻毛より軽いとして戦って下さった。日本人として平和で食うに困らずの生活を送っている者ならば何ものにも代えることのできない程の恩を英霊に対して感じなければならない。そんなことを思いながら、私は安置室を後にした。

その後に硫黄島の天山慰霊碑という場所にて「来島報告」を未だ島内に眠る英霊に対して行い、ベテランの方々に摺鉢山や様々な慰霊碑などと島内を案内していただき、夕食をとって床に就いた。食事や水分補給などの内地に於いては何とも無いことであっても、此の地にいると不思議と色々と考えてしまう。来島初日、私は此の島を本当にのどかで美しい島だと思った。こんな言い方は失礼にもあたるかもしれないが、何も知らない人を連れてきて観光地だと言ったら信じない人などいないだろう。内地の何処でも見られない特異な形状をした岩肌に、硫黄の蒸気噴出す白い大地、遮るもの何一つ無い視野の向こうに見える水平線、西空をオレンジに染めて摺鉢山の向こうに沈み行く夕日、澄み切った空気に映える真夏の如き蒼穹と満点の星空。硫黄島は世界の雄大さと己の小ささを改めて実感させてくれる場所であった。(つづく)

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by shikisima594 | 2007-03-10 20:03 | 活動報告
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